意識の根源
自分の中にある意識は、スイッチとそのメモリーで構成されていて、外部もしくは内部からイメージを受容する形で受け入れている。
根源的には有ると無しであって、存在しているかいないかの二元論で分かり易く説明されているだけである。
実際には二元論で解釈し易くしているだけで、実際のイメージはイメージとして在るだけだ。
イメージそのものは非常に複雑なものである。
コンピューターは1と0にまでそのイメージを分解し、そのデータを記憶してイメージとして扱っているに過ぎない。非常に単純な機械である。
複雑な計算ができるからと言っても、それは組み合わせて複雑に至っているだけであって、言うなれば子どもの遊びに使われているブロック遊びで複雑な形を作り出していることと何も変わらない。
微分積分という大量の数を計算させる式を1と0で計算できるようにしたら、複雑な計算ができるようになったと見るだけでも分かり易い。
微分とは【瞬間の変化率】のこと。
これ以上難しくもないし簡単にもならない。
一方、積分とは、【変化量の面積】のこと。
こちらもこれ以上難しくも簡単にもならない。
微分と積分はお互いに逆の操作として成立する。
これらの変化率は時間に沿って曲線で表され、その変化率の変化により関数式が複雑化するのみ。
これを知っていればコンピューターで数を扱う基本は十分である。残りは四則計算とプログラミングのコマンドをしっかり覚えるだけで十分に満たされる。
なかなかこれらが簡単にならないのは、そこを難しく捉える人しかプログラマーにいないからかもしれない。
何故こんなコンピューターの話をしたのかは、これだけでAIが成立しているから。
「な訳ないだろう!」と思うのは、プログラミング言語の未発達部分が単に基礎的プログラミング記述を邪魔していると理解していないから。
さて、何故これらの話をしたのかは、AIが人間と同じイメージを取り扱えるから。
単なるレコーダーとの差は、そのメモリー内容を捉えるだけでなく操作できるところ。
コンピューターは自然言語を扱うプログラムもある。これらは文字をキーボード入力したら、そのキーボードに付いている番号を受け取って、日本語なら日本語に単に変換しているだけだ。
それさえ分かっていればプログラム自体も単純だと分かる。
残りは変化量を扱う微積分のプログラムが変化量を如何に操作できるようにされているかだけだ。
厳密にいうとパソコンのディスプレイへ表示したり、メモリーの取り扱いをしたり、操作方法を単純にしたりする為のUI(ユーザーインターフェイス)を導入しているのでプログラムも膨大になっているだけである。
余談だが、MacやWindowsと呼ばれている基本ソフトウェアと呼ばれているOS(オペレーション・システム)は、これらの操作を簡単にする為に導入されている商品であって、実際にはもっと単純に且つコンパクト化できる代物である。シェアがあるから皆で使っているだけで、本来ならもっと効率的で単純な画面にすら構築できるものだ。
話を戻すと、AIはこのルールを機械学習という取り込んだデータで統計を取って、命令に従って単に並べ変えているだけである。
言葉上では、これだけ単純化して解説できるのだから実際にはもっと単純化できる筈である。
プログラミングの方法論も一種類だけではない。
AIだからPythonのプログラムを使わなきゃ!というのはある意味洗脳である。
流行と実際は全く別物であって、実行した者にしか分からない。勿論洗脳というのは悪い意味だけではなく、利用価値のあるものと言うこともできる。
ここまでの定義はコンピューターは人間とほぼ同じことをやり遂げられるというお話である。
その上で人間はイメージを基礎にして世界を捉えていると知ることが大切である。
イメージは霊界つまり常世国にある。
常世国は、この世も常世国に有るのだが、この世は常世国の一角に造られた限定的な世界である。
結界を張って造られた限定的な世界であり、その正体もほぼコンピューターと同じ数字の組み合わせでできている。
重力場を発生させているのは現し身と呼ばれる人間の身体のせいもしくはお陰である。
良いと見るか悪いと見るかは、この世をどの様に捉えているかの自分の見方に依存する。
この世で不幸な体験ばかりしていれば、悪いと感じるし、幸福な体験ばかりならば良いと感じるだけである。
更にいうと、常世国は現世(うつしよ)と呼ばれるこの世が消滅すると一緒に消滅する。
この部分がとても大切である。
私達はこの世で起きたことをあの世でも認識しているので、あの世が本体だと思っているので、この世は要らないと思うかもしれない。
しかしながら実際にはこの世があの世の現世(うつしよ)なので合わせ鏡であり、そもそもが必要な世界なのである。
生まれ変われるのは、この世も存在するからである。
但しこの世は、あの世と対になっているので、現世で学んだことはカルマ(業)という形で繰り返す形で再生される。
その場合には、現世はこの世界だけではなく、あらゆる世界形成も可能であると言える。
それがイメージによる構築で可能となる世界なのである。
かなり完成度の高い現世であってもイメージを変えると更に都合の良い世界に成り変わるのである。
イメージとは体験とも言い換えられる。
これこそはイメージを取り替えるメタ・プログラミングの基本である。
メタ・プログラミングというとコンピューターの世界だけと思われがちだが決してそうではない。
プログラミングとは、そもそも因果律のことを指しているので、何が起きて何が起こるのかを先取りすると因果律は簡単に崩壊するのである。
変わらないと思っているのは常にそのイメージに囚われているからであって、それは決して決定を表すものではない。
これらの変化を改善する上において必要ないものは、要らないイメージである。要らないイメージはどんどん消し去るのが良いが、思い出さない様に潜在意識へ働きかけて消滅されるのが良いのである。
吉報があるとすれば、既に起きていることであっても、まだ知らない事実についてはあなたには起きていないことなので、念じることによって大きく真実を変更できるのである。
本当はこういうことだったという歴史を念じて創り上げ、元にあった歴史を書き換えることすらできる。
これは自分にしかできない魔法である。何故なら観測者効果と言って、見る者が世界を現出させているからである。
自分とは決してsydneyminatoのことではなく、この書き込みを読んでいるあなた自身のことである。