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オーストラリアに行ったら、レ・クレドールのコンシェルジュになった:とりあえず〆ます

山あり谷ありのシドニー生活も、ひと段落。でも、これで落ち着いてはいられないよ~。

次なるステップ…?

さて、永住権もとれた、レ・クレドールのメンバーにもなった。そうすると、新たなチャレンジが出てきた。それは、5スターホテルのコンシェルジュになるということだった。

グレースホテルには在籍10年になり、このホテルに雇ってもらったおかげでここまで来れた、という一面もあるから、それについては感謝してもしきれない。ただ、どんな良い職場でも、マンネリ…というか、同じプロセスの繰り返しによるモチベーション低下、というものが出てくる。そして、このホテルの4.5スターという位置づけだと、きちんとしたコンシェルジュサービスを提供するにはスタッフのハードやソフト面でも限界があるし、ゲストの方も、それほどコンシェルジュサービスに重点を置いていない人が多い(強調しておきたいが、それが悪いという訳では全然ないです)。

一応チーフコンシェルジュというタイトルは付いているとはいえ、自分がやっている業務内容は、荷物の上げ下げがメインで、言ってみればベルキャプテンの延長のようなもの。また、自分の能力だって、下からたたき上げてきたのできちんとしたマネジメントの勉強が出来ていない。また、独立系ホテルの弱い所なのか、きちんとしたキャリア・パス(Career Path、どうやってスタッフを会社の中で成長させていくか)がはっきりしていない。そのせいかどうかわからないが、直属の上司(自分の場合フロントオフィスマネジャー)も入れ替わりが激しく、一貫したマネジメントスタイルもなく、これは!という人物にもあまり巡り合うこともなかった。今から考えると、自分もお山の大将だったし、貪欲に自己学習する意欲が欠けていたかもしれないが。

とにかく、また一度原点に立ち戻り、きちんとしたチーフコンシェルジュの下について勉強し直さなきゃだめだ、と思い、めぼしいホテルのポジションが空くのを狙う。これは、別に今のホテルが嫌いで移りたい、というような切羽詰まったものではなかったので、落ち着いてチャンスをうかがっていたと記憶している。
すると、ウェスティンシドニーのコンシェルジュだった友人が海外へ行くというので、早速その後釜に入れるように工作した。この辺りがレ・クレドールのメンバーの強みで、ウェスティンのチーフコンシェルジュとは既に顔見知り。相手もリスペクトしてくれているのでは、という感触もあった。他の応募者もいたようだが、(おそらく)難なく合格、ということになった。
こうして2008年に、11年働いたグレースホテルを円満退職し、ウェスティンホテルのコンシェルジュとなったのである。

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ウェスティン時代の写真だが、もちろんストームトゥルーパーは宿泊客ではありません。何かのプロモーションだったのかな?


レ・クレドールについて

レ・クレドールは、メンバーになったらそれで上がり、という訳ではない。これはきちんとした機関なので、色々な役職があるし、年次総会や、会食、ワークショップ…などといった行事を皆で準備していかなくてはいけない…ただ、これは給料をもらっているホテルの外の世界の話なので、もちろん無償で、自分の空き時間にやらなくてはいけない。皆の自己献身にはいつも感服する。自分も出来る限り、ちょっとした雑用などでを手伝うことにした。

レ・クレドールというのは全世界に広がる組織だが、国ごとに支部があり、オーストラリアの場合、さらに各州ごとにサブディヴィジョンがある。そして、州幹事(State Director)という役職があり、各メンバーとの連絡調整をするのだが、ある年、現職の州幹事が勤務先のホテルを退職した。そうすると、その人の会員資格は一時停止状態になるので、誰かが州幹事をやらなくてはいけない。どうも手を挙げそうなメンバーがいなかったので、うーん、誰もやらないなら自分がやりますわ…と、あまりカッコよくない出馬の仕方だったが、義務感に押されて手を挙げた(さすが押しに弱い日本人)。

その役職自体は、別に何か重大なことを決めたりするわけでもなく、まさに幹事=調整役なので、まめな性格の人なら何とかできる。ただ、毎月発行されるシドニーの観光案内雑誌のひとページに今月のニュース、みたいなことを書かなくてはいけなく、もちろん英語だったので冷や汗ものだった…。

また、レ・クレドールは、年に一度、オーストラリア全土のメンバーが集まって年次総会というものをやるのだが、幸か不幸か自分が役職にあった年はシドニーでの開催だった。そうなると、会場の手配、他の州から来るメンバーのホテルの予約、空港からの送迎、夕食会場の選定、議案やレポートをまとめて冊子にする…といった雑用がざっと押し寄せて来て、てんてこまいになった。はたから見ると頼りなかっただろうなあ、と思うし、いくつかのマイナーミス(あるメンバーのフライトナンバーを間違えて、迎えの車を手配しそこねた件など)もしでかしたが、おおむね無事に閉会にこぎつけることができた。

国際大会

レ・クレドールのメンバーになって最大の楽しみは、毎年開催される国際大会に参加できることである。

国際大会…カッコよさそうじゃありません?

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初めて国際大会に行った時の写真。背景がいいとモデルも良く見える。

世界のどこかで開かれるこの大会、世界各国のメンバーが何百人単位で集まる。必ず参加しないといけない、いうものでもないので、自分が最初に参加したのは、2013年のクイーンズタウン(ニュージーランド)だった。
普段オーストラリアのメンバーと会って話をしていても啓発されることが多いのに、国際大会に行けば、世界中のコンシェルジュと会って話をすることができる。こんなに素晴らしい団体って、そうそうないのではないだろうか。
これまで計4回の世界大会、1回のアジア地域大会に参加した。最初はとにかく場の雰囲気に飲まれてしまって、他の国のメンバーと話すことなんて恐れ多い…と思っていたが、段々母国日本のメンバーを中心にネットワークの輪が広がり、参加数が増えるにつれ、前回にも会ったメンバーと、「おお~、元気?!」とハグしたりと、本当にすごい団体だなあ、とつくづく思う。

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2019年カンヌで開かれた国際大会。ガラ・ディナーだったのでみな正装している。

今後の展望は?

この後はざっと述べるにとどまるが、ウェスティンシドニーでは結局8年間勤務。他のホテルから何回か誘われた後、ヒルトンシドニーのアシスタントチーフのポジションに誘われた。ウェスティンでは、ヒラのコンシェルジュでやっていたが、そろそろこの辺でまたマネジャーとしての経験を積もう、と思い応募。このインタビューも割合スムーズにいって、2015年の9月からヒルトンシドニーに移った。

(ちなみに、それほど街の規模が大きくないシドニーだが、自分がコンシェルジュとして働いたこの3つのホテルは、3ブロック圏内という狭さ。なんでかなあ。)

さて、アシスタントチーフとなりそろそろ5年になるが、まだまだ、である。これは謙遜などではなく、全然人格が出来ていない、ということを毎日にように感じている。細かいことに気が付く性格は悪いことではないのだが、他の人に対して不寛容になる傾向があるので気をつけないといけない。また、スタッフの個性、性格に合わせて対応しなくてはいけないとも痛感。例えば、打たれ弱いスタッフには余り強くアドバイスするとパワハラになっちゃうし、プライドの高いスタッフに何かいう時も気をつけないとマズい。こういうルールは、ゲストに対応する時も同じだけど。

よく言えば、自分に対するハードルが年々高くなってきているのかもしれない。そして、最近になって、ようやっとownershipということが理解できて来たような気がする。困難な状況になった時に、逃げずにベストを尽くすことができるか、ということだ。もうじき50歳になるっていうのに、全くもって学習速度が遅いなあ。

さて、次のステップは?チーフコンシェルジュになること、である。野球で例えると、ヘッドコーチでいるのもやりがいがあるが、やはり監督となって自分の「チーム」を作ってみたいと思うので。コーチだと、技術を教えればよいが、監督だとキャラクターが大事になるのではなかろうか。その辺りは、元々が社交的でない性格なのでまだ自信がないのだが、チャレンジしたいと思う。

最後に…

さて、数えるのが面倒なほど長々と書いてしまったストーリーをふり返ると、まあ運が良かったなあ…とつくづく思う。そんなに一大決意をして業種を選んだわけでもない、選んだ国、都市も熟慮の末…という程でもなかったし、もし違う学校に行っていたら、グレースホテルには応募しなかっただろうし…などなど。

それとも、運は実力のうち、とも言うし、継続する意志はあったので、パラレルワールドでも、おそらく日本でコンシェルジュをやってたのかもしれないが、それは我々のあずかり知らぬことであるけれでも。

いや!一番感謝しないといけないのは、自分のこれまでのJourneyに交錯した人たちだ。家族、友人、同僚…。ポジティブなエネルギーをくれた人も、結果として反面教師になってしまった人も全部ひっくるめて、今の自分の形成にあずかっているわけだから。

締めには、今思い出したこのセリフをもちまして…長々と書いてしまったけど、読んでくれてありがとう!

All we have to decide is what to do with the time that is given us.

— Gandalf, from "The Lord of the Rings"

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