降り立って四半世紀
6月18日は、私の四半世紀記念日だった。
といっても結婚X周年とかそういう話ではなくて、私が25年前のその日にオーストラリアはシドニー空港に降り立ったということ。そして、25年間このハーバーシティにずっと住み続けている。
25年前というのは1996年6月18日のことで、シドニーに着いたのは夜だった。ホームステイ先を決めていたので、そのエージェントの人と、ホストファミリーが空港に来ていて、車でこれからしばらく住むべき家に向かった。ハーバーブリッジを渡った際に、ちらりとオペラハウスが夜の照明に照らされてぼうっと白く光っていたのを覚えている。
あれから25年か…なんといっても、前世紀の話だよ。それだけ年数が経てばもちろん色々あったが、いまだにこの国に元気で住んでいられるというのは、単純に喜ばしいことなのだろう。
6月18日はたまたま仕事が休みだったので、どうせだから何か記憶に残ることをしようかな、と思った。
話が少しずれるが、私のラン友、いやランニングの先輩は、誕生日に自分の年齢分のキロ数を走る。…その人、もう50過ぎてるので、50数キロを走るわけだけど。
私はそんな事できないが(そこまでマゾではない)、滞在年数の距離なら走れるな、と思った。その前の日に友達にもけしかけられたので、いっちょうやってみようと、25キロ走ってみた。
幸い天気も絶好調に素晴らしく、まさに空はシドニースカイブルー。
ランニングコースでは途中海軍の基地を通るのだが、たまたま軍艦が帰港するところだった。
清掃をした乗組員がずらりとデッキに並んでいる様はやはりぴしりとしていて壮観だ。すると岸壁に待機していた軍楽隊がい、景気の良いマーチを奏で始めた。乗組員の家族も基地に入っていて、乗組員の帰りを待ち構えているようだ。艦が着岸し、下船するまでの時間はさぞかし長く感じるのだろう。
いいものを見させてもらったな、と思い、ゆっくり目のペースで25キロを走り終えた。
それにしても…
まさか25年も居ることになるとは思わなかった。もともと海外で生活してみたい、という欲求はあったし、日本社会で暮らしていることに若干窮屈な思いをしていたので、あわよくば、という思いは正直少しはあった。
でもそんなのは行って、生活してみなければわからない。また、仕事が見つかるかどうか、就労ビザや永住権をどうするか、という現実的なハードルもある。好きで来たはずの海外生活が思うようにいかず、夢やぶれて帰国した人も、やはり日本の生活のほうがいいや、と思い直して帰国した人もたくさん知っている。
私だって、その時々の決断が少しでも違っていたら、ここにはいなかったかもしれない。それなりに自分で努力もしたけれど、周りの人々や家族のおかげで現在の自分がある、ということを改めて噛みしめた。
もう一つ思ったことは、まさか25キロも走れるようになるとは思わなかった。先ほどさらりと25キロ走った…なんて書いたが、25キロって結構な距離である。
だいたい運動が嫌いで、体育の成績もひどかったこの自分が、25キロはおろかフルマラソンまで走れるようになり、しかも人並み以上のタイムで走ることができるというのは、自分でも不思議な結果である。
これも、シドニーというランニングに好適な気候や環境の街にたまたまランディングしたからという要素はあると思う。例えば同じオーストラリアでも、もっと寒かったり暑かったりする街に住んでたら、ここまで走るようにはならなかったかもしれないし。
走ることによって、身体が健康体になるのももちろんだが、気持ちを整える上でもプラスになっているので、本当にランニングという趣味というか生き甲斐というかを見つけられたのは幸運だと思う。
25年間、この街に住めたこと。
25キロ、気持ちよく走れること。
2つの嬉しい誤算が私の人生に起こり、まあ幸せな人生を送っている。
そんなことを考え、ふわりとした気持ちで家に帰ってネットを見ていると、なんと6月18日は、海外移住の日らしい。
もちろんそんなことを知らずにたまたまこの日にオーストラリアに来たわけだが、巡り合わせの面白さ、というのをまた発見した。
今現在の状況を考えると、どうやら私は死ぬまでこの地にいそうである。
ということは、来年の6月18日は26キロを走ることになるのだろうか。いつまで滞在年数ランをできる身体でいられるかは不明だが、色々なことに感謝しつつ走り続けようと思った。