朝が近い
人間は忘れていく生き物だ。今日、友人の高校の文化祭に行った。高校というか、学校というか、教室が私はトラウマの場所で仕方がなかった。
しかし今日は違った。教室に入っても閉塞感と動悸が少ない。人のおかげなのか自分の変化なのか、はたまたトラウマを克服しつつあるのか。私はたった1年前のことも忘れて生きていかなければならないのか。嫌だ。忘れたくない。
忘れてなるものか。
せっかくつけてもられた傷なのに。自分が人生を諦めたくなるほどに抉った心なのに。忘れていくほどに朝が近くなる。不幸でいるのは、簡単で心地がいい。心の傷を治さなければら幸せになれないのだとしたら、私はずっとぬるい不幸に浸かっていたい。
最近、友人に彼女ができたらしい。その様は私の求めていた幸せそのもので、羨ましかった。変化することは当人に幸せをもたらすのかもしれない。その中で不変の芯を持っている彼にはまだ追いつけない気がする。
ずっと深夜2時ごろだった私の窓に屈折がもたらすプリズムとやわらかな朝日が差し込もうとしている。そろそろ私も変わらないといけないのかもしれない。永久不変のものなどないと誰かが書いていたように。
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