母子家庭生活保護育ちの私が社会保険労務士試験を合格するまで①
私は社会保険労務士に独学で一発合格しました。
私の生い立ちから社労士合格までお話お付き合いください。
母子家庭の生活保護世帯で育った私は、小学生のときに惨めな思いをよくしていました。
服は兄からのおさがりのダサい服で、生活習慣も乱れており、お風呂に入らず、朝ごはんを食べずに歯も磨かず顔も洗わず登校していました。身長はクラスで1番低く、テストも他の子に比べて悪かったです。母はへビースモーカーで、部屋も私の私物も全てタバコ臭かったです。
そんな私をクラスメイトは馬鹿にして笑ってくることがよくありました。
うつ病だった母は炊事や洗濯、掃除がほとんどできなかったうえ、夜中まで母は起きており、それにあわせて私は起きておりました。自分の部屋はなく、母と生活リズムが同じようになるため、朝に起きれず、よく学校に遅刻しておりました。
遅刻して、教室に入る時にクラスメイトの視線が自分に集中するのが嫌で嫌でたまりませんでした。
そのため遅刻したときは、ズル休みをしておりました。
母が朝ごはん作ったり、学校にいくように起こしてくることはほとんどなかったです。
友達の家に遊びに行くと、その家はとても綺麗で大きく、両親がいて、友達の母が掃除やご飯をつくったり、買い物に行ったりしている様子をみると、自分の家がすごく惨めに感じました。
小学校高学年になると成績の良いお金持ちの同級生はみんな塾に行って勉強し、中学受験を目指しておりましたが、私は家が貧乏なので、塾に行くという選択肢すらありませんでした。
そんな惨めな私でも小学校高学年になってからは漢字テストで満点を取ることができるようになり、それが自信につながり、勉強を頑張るようになりました。私が今漢検準一級まで持ってるのは、このような小学生時代があったからだと思います。
中学生になると、バスケ部に入りました。
シューズやバスケットボール、練習着などお金がかかり、母が出してくれましたが、心苦しかったです。貧乏な家で生まれると、自分にお金がかかるのがとても申し訳ない気持ちになるのだと思います。
そこで私は部活を頑張ってみましたが、身長が高くて、練習にお金をかけれる他の部員に勝てるはずもなく、補欠となりベンチに座ってました。
惨めだったので、中学生2年生の時に退部しました。
退部してから、時間ができたので、本を読むようになりました。ここから、自分の考え方が大きく変わるようになりました。
もっとも影響を受けた本は、太宰治の『人間失格』と福沢諭吉の『学問のすゝめ』です。
中学生ながら、人間失格を読んで衝撃を受け陰鬱な感情が芽生えて「自殺」が頭に浮かぶようになりました。
そんなワードにほとんど目がいかないような青年でしたので、大きな変化でした。
そして、『学問のすゝめ』についてですが、冒頭で「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずといえり」とあり、勘違いされる方も多いですが、福沢諭吉は決して平等を唱えたわけでは無いのです。この冒頭に続いてこのようなことを主張してます。神様は平等に人を作ったと言うけども、この人間世界を見渡せばお金持ちと貧乏人、身分の高いもの、低いものと格差がある。その差は何か、それは学問をしたかしなかったかの差である。
だから『学問のすゝめ』になるのです。
惨めな私を克服する大きなヒントをこのときもらったのです。学問をするしかない。
中学生2年生の冬から勉強を頑張るようになりました。しかし、地頭はよくなく、受験に必要な英語・数学はクラスの平均点以下で、特に英語はクラスの中でも最下位付近に位置しておりました。
そして中学3年になり、引き続き勉強を頑張りましたが、周りの受験生と大きな学力の差があり、結局受験したのは偏差値46くらいの微妙な学校でした。
またも挫折。当時は生きていて全く楽しくありませんでした。勉強もできない、容姿もよくない、家は貧乏、運動も音痴とくれば、自殺すれば楽になるという考えが強くなっていきました。
当時の私は自己嫌悪に苛まれておりました。それを救ったのはまたも本でした。マークトウェインの『人間とは何か』という本です。
「人間は、環境に支配されながら、自己中心的に動く機械である」
悲観的な主張と思われるかもしれません。しかし、このように考えることで、自分にはどうしようもないんだという一種の悟りのようなものが得られたのです。
次回に続く