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道徳の欠如を埋めるインターネット文化:野獣先輩の可能性

ふと、深夜に思いつく。こういう考え方があってもいいかもしれないと思った。だから書いた


1. 戦前日本の道徳教育:統一された価値観

戦前の日本では、「教育勅語」を中心にした道徳教育が全国で実施されていました。この教育は、天皇を中心とする国家への忠誠心や、親孝行、公共心などを強調し、全国民が共有する価値観を育むものでした。

このような道徳教育は、地域社会や家庭、学校での統一された文化の形成を可能にし、個々人が「国家の一部」としての自覚を持つことで社会全体の秩序が保たれていました。

しかし、この道徳教育は、個人の自由や多様性を犠牲にする側面もありました。


2. 戦後の日本:個人主義と道徳の希薄化

戦後、日本は教育勅語を廃止し、個人の尊厳や多様性を尊重する新たな教育方針を採用しました。しかし、これにより、「共通の価値観」としての道徳が希薄化し、家庭や地域社会でのつながりも弱まっていきました。

現代の日本では、道徳教育は形骸化し、若い世代を中心に「共通の倫理観がない」と指摘されることが増えています。個人主義が強調される一方で、孤立感や疎外感を抱える人々も増えました。


3. ネットミーム文化の登場:新しい道徳の形

インターネットが普及する中で、ネットミームが新たな「共通認識」を提供する役割を果たしています。特に「ビリー兄貴」、「野獣先輩」や「真夏の夜の淫夢」に代表されるミーム文化は、特定の世代やインターネットユーザー間で共有され、共通の語彙や価値観を形成しています。

ネットミームの魅力は、国境や文化を越え、多様な人々が自由に参加できる点にあります。ミームを介して、ユーザーは暗黙のルールやユーモアを共有し、コミュニティを形成します。これは戦前の「道徳教育」に似た役割を果たしていると言えるでしょう。


4. 野獣先輩と共通認識:争いを減少させる可能性

「野獣先輩」は単なるミームを超え、インターネット上で「共通の笑い」を生み出す存在となっています。その独特な語彙(例:「やりますねぇ」「いいよ来いよ」)や表現は、ユーザー同士の親近感や一体感を高め、対立よりも共感を促進します。

さらに、ミームの匿名性と再解釈の自由度が、「個人のバックグラウンドに関係なく共通認識を持てる」という特性を生み出しています。これにより、異なる文化圏であっても野獣先輩を介して争いを減少させる可能性が生まれるのです。


5. ネットミームが創る未来の文化

戦前の日本が教育勅語を通じて共通の価値観を提供したように、現代のインターネットはネットミームを通じて新しい文化を作り上げています。「野獣先輩」という象徴は、その自由で創造的な特性によって、個人とコミュニティをつなぐ重要な存在になりつつあります。

これからの社会では、ネットミームのような新しい文化が、争いや孤立を減少させ、より多様でつながりのある未来を築く鍵となるのかもしません。

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