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勉強するということ。

みなさんこんにちはsyareeneです。
今回はタイトル通り勉強するということについて語っていきたいと思います。あくまでも個人の主観等が含まれているのでそういった点を理解してから読んでいただけると幸いです。

勉強をすることのメリット

勉強をすることのメリットにはいくつかあるだろう。例えば、既存の知識をもっと深めることができるということだ。これは主に大学が当たるだろうが、自分の興味があることをどんどん探求していって極めるということは自分の地震にもなるし、趣味にもなったり、今後の仕事にだってなりうるかもしれないものである。
また、新しい知識を取り入れるということも立派な勉強であると思う。新しいことを学ぶということはそれだけ新しい知識の幅が増えるわけで深くは対応できなくてもいろいろなことについて対応ができる。個人的にはこれら両方を両立してできるのが理想だが現実はそううまくはいかない。

勉強できる=特技?

あくまでも個人的な主観だが、勉強できるというのは特技であると思う。見知らぬ何かからそれを吸収して自分のものに出来るということは、もうそれは立派な特技なのではないのだろうか。もちろん、すべてがすべて特技といいたいわけではなく、得意な人は吸収する効率がいいのではないかと私は思う。努力はもちろん自分の能力を補強できる存在ではあるが、元の才能がないとうまくいかせないんじゃないかと最近思ってきた。結局いつかは限界が訪れる。個人的に努力は限界があると思っていて、もちろん伸ばすことはできるが伸ばす限界が絶対にあると思っている。

では結局勉強とは?

結局勉強とは、自分が知らないことをどれだけ吸収できるかだと思う。
もちろんそれは学校に行って勉強するということもあるのだが、それだけが勉強ではなく、社会に出て仕事のやり方や効率が良い方法を学ぶことも立派な勉強である。人類は勉強しないなんてことはないのだ。その過程で、自分がどのように効率よく吸収していけるかを見つける必要がある。もちろん努力にはある程度上限があるが、ある程度は補うことができて一般以上にはなることができる。私自身努力を諦めてしまうこともあるが、努力あってこその将来なのではないかと個人的に思うう。よければnoteのフォロー、記事のスキ、ツイッターのフォロー(@syareene)をしてくれると嬉しいです!!
では。

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