貧すればダンス
貧すれば鈍するというが、これはきっと建築学生のための言葉でしょう。建築というのは金がなければ考えることもできない学問だからです。先生はよく言います。
「手を動かして考えてみましょう」
模型を作って、図面を引いて、出来上がったそれを見てまた改良して新しく模型を作って(人によっては順番が入れ替わる場合もあるでしょう)、そうやって自分の設計の形を洗練させていって、自分の建築が人々にとって多様で豊かな空間を得るように……ウンタラカンタラ。建築学科ではこの工程を気取ってスタディなどと言うのですが、とにかく形を考える上で、手を動かすというのは非常に重要な、”思考”の一つであるのです。しかし、ここには大きな犠牲があるのです。今の私の机の上をご覧ください。スチレンボードという、建築模型の主に壁の素材となる白いボードの破片が雑然と山積みになって、ほっぽり出されております。確か、私の大学の購買では、5mm厚A1一枚が800円程度なのですが、こいつがよくない。チリも積もればなんとやら、何しろ、一つの設計課題が終わる頃には平均して1万前後こいつに金がかかるのです。おぉなんと。一万あったら、何ができる。ちょっとおしゃれな料理屋で彼女とデートして(そんな人いないのですが)すすきのの観覧車(なんと一回転1000円!観光の際はぜひお試しを!)で、
「ごめん、今日、誕生日だったよね。ちょっと目を瞑ってて。」
そして彼女が再び目を開くと、茶色の包み紙から、バラだのガーベラだのカスミソウ(カスミソウ!?)だのの、ピンクと白の花びらがくす玉みたいに顔を出し、
「お誕生日おめでとう」
などとしょうもないサプライズをやって、彼女を赤面させてやることだってできるのに!!(ご飯5000円+観覧車1000円+ブーケ2000円+その他諸々2000円=10000円!!完璧な計画!)それがどうだ、三角だの四角だの円だの、生活において何にも使い用がないチンケな模型に変わりやがって。みんな心では悔しいと思ってる。そうに違いない。だから、建築家は意義だの、未来だの、豊かさだのを語って自分を納得させようとしているのです。ここまで来て聡明な読者諸君にはお分かりのようですけれども、嘘でもこんなことを言うなんて、僕はきっと建築家に向いていない。建築家になるにはあまりにも自分は自己中心的な人間なのです。しかし、乗りかかった船、と言う言葉があります。始めたからにはそりゃあコルビジェもミースもライトもびっくり仰天しちゃうようなかっちょいい建築を作っちまうぞということで、スタディにスタディを重ねるわけなのですが、ここで一つ、問題があった。金がない。今の僕の預金を見たまえ。8000円ポッキリだぞ。もう一度、大切なことなので繰り返しますが、建築学科において、考えるためには手をうごさなければならなりません。しかし、手を動かすにも物がない。物がないのに手を動かしていたら、それはただのダンスです。貧すればダンス。バカいっちゃいけねぇ。てな訳で、僕は今非常に困っております。未来ある若者に一つ投資だと思って(なんだか人の好意にかこつけて気が引ける気もするのですが)どうか、この記事がいいと思ったら、ちょいとばかし俺に潤いをくださいませ。
-終わり-