エニア14679

自分のルーツは”恥”である。

自分のエニア1は
元を辿ればエニア4のモノです


恥はハートセンターのモノです。
恥をガッツセンターで例えると怒りです。

途中で怒りを覚え始めたのです


恥って、自分の失敗だと思うじゃないですか
その割合は0じゃないので間違いではないのです
体感、大体は6割ぐらいだろうか

残りが4割であれ何であれ
他人の因果で恥をかかされたのも0ではないですよね
大体4割前後じゃないのかなと思います


年齢を重ねるごとに
今かいた恥は自分のせいなのか?誰かのせいなのか?
の成否が分かるようになってくるんです
この成否判断ができるようになったのが20歳ぐらいなんですね

成否判断は10歳ぐらいの若い子でもできてしまうんです
的確に状況と対比を理解して理路整然とモノを申せます
自分はそういう学生ではなかったという事です
今でも成否判断はできたとしても
すぐその場で実行することは難しいのです

成否判断を覚えてない頃は6749がトライタイプの候補にあります
快楽と怠惰、調和と平穏
これが学生時代の自分の有り様です

さて、成否判断が芽生えてきた年頃になって来ました
今、自分がかいた恥は何が原因なのか
過去、自分がかいた恥は何が原因なのか
大前提として自分が青臭い経験不足である事は変わりません

自分でやらかした事は素直に受け入れられます
しかし理不尽にかかされた恥に怒りを覚えるようになったのです

誰かに理不尽にされるのも
誰かに恥をかかされるのも
全部ばかばかしくなったんですね

で、自分が特別だと思っていたのもバカバカしくなったんです
自分は水準以下の人間で
水準を満たしている人間の方が特別ですよ
自分は特別なんじゃなくて無知無垢の雑魚だったんですね

じゃあ無知無垢の雑魚でいいじゃねえか
他人が高水準ならスゲーで、基準以下ならカワイイネでいいじゃん、と
他人の許容はここから始まりました
(それでも基準以下にネチネチする事はままある)

基準のモノサシはしっちゃかめっちゃかです
自分を基準にしたり
他人を基準にしたり
モノサシを覚えてから両方みなくちゃいけなくなるのです

自分が無知無垢の雑魚である事を許容されたければ
同じく無知無垢の雑魚に怒っちゃいけないよね
というのが4から1への統合だなというのが本文です

エニア9です
人は何故誰かを壊すのか?
人は何故余裕が無くなるのか?
全てはストレスに集約していると考えました

自分でストレスの基準値を決めないから
人は壊れたり、より重い病気になる
壊れたから誰かを壊したり、誰かを病気にさせる

自分も誰かを壊す側に回る可能性がある
それを先回りして阻止しなければならない
自分が誰かを壊す側にならない為には
余計なストレスの影響を受けてはならない

自分の肉体と脳みそ(メンタル)をこれ以上壊したり負荷をかけてはならない
自分の状態に基準を設け、自分自身に最低限の基準を与え
ストレスを排除する為にストレスに基準を設ける

理不尽を体験するのも
誰かに恥をかかされるのも
もうゴメンです

無駄なストレスを受けないためには
余裕の無い人や馬鹿と同じ時間と空間を共有してはいけないのです
基準に満たない人とは離れれば良い
基準を満たしている人とだけ居れば良い
格上の人とは今はまだ早く、相手の為に一緒に居てはならない

エニア9の影響で怒りを忘れようにも
情報が入ってくる時点で脳みそがキューンと反応して
完璧な構造にしようと試みてしまうのです
エニア9はストレスを操作するだけであって
どうしようもない怒りは忘れがたいのです
だから1が後退すると4の過去の恥を思い出すんですね

エニアを学んで
例外として目的を持って破壊する者が居る事を学びました
ストレスだけでなく自分が持っている1のように
脳みそがキューンとしたり考えあって破壊している事を知りました


・・・で、自分は7に向かいたいのです
善悪や成否よりも歓喜の喜びに満ちあふれていたい
常に快楽に満ち溢れていたい

1だけじゃ何も始まらんのです
1だけじゃ出来ない事があるんです

時には7が全てを解決するという予感があります
既に7の人々が示した解決事例を知っています
7が人々のプレッシャーを解す事を感覚的に把握しています

なのですが・・・
それを誰かとやるのが怖いんですねぇ
自分は脳みそがバグっていて
やっぱいいや~とか、だるいから諦める
となるのが面倒で

となると
>一人で7状態<
が一番良いのだろうね

肉体と脳みそがついていかないぜ
肉体を整備して脳みそを治すのが一番なのはわかるぜ
何年かかるんだぜ



エニア9
外界とのつながりと、内面の心地よさを失う

外界とつながって居る為に、それをぶち壊す事はしません
例えば殺したい人が居たとして
殺人を犯せば、自分と親しい人が不名誉を被る可能性があります
親しい人は自分を理解してくれる人もいれば
自分を見限ってしまう人も居るでしょう

自分にとって殺人は自分と外界を隔ててしまう行為で
それが誰にも知られていなくても
自分が外界に居られなくなってしまうのです

だから1で筋を通して殺したいんですね
筋が通っていれば9の外界と内面に悪影響の傷を残すことが無いのです
筋が通らない事は”帰ってこれない”事を意味します

自分が”帰ってこれない”事をするのが恐ろしいのです
それをしない為に忘却したり有耶無耶にするのです
誰かが”帰ってこれない”事をしても、許せるなら迎え入れれるのです

なのでわざわざ”帰ってこれない”事をしてくる人は意味不明なんですね
それが証明や立証を求めているのはうっすら理解しているんですが
そんな事をする必要はないんですね 経過と経由では必要なのだろうけど

その分、”帰ってこれない”事をする人は帰る場所がないのかなと
解像度が低すぎる

で、自分は”帰ろうとしない”事は率先してやっていたりします
帰る気が無いからです
というより、誰かの世界が帰る場所ではないからです
帰らない方が外界と内面のリンクが良くなるからです
外界と内面のリンクを劣化させる人はできるだけ忘却したい

で、ここで1と7が出てくるんです
誰かの外界と内面リンクに悪影響を与えてはならないのが1
誰かの外界と内面リンクを受け入れるのが7
自分の9において1はそう機能したくて
新しく導入して機能させたいのが7です

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