睡眠時無呼吸と申請主義
▼もくじ
・睡眠時無呼吸症候群の治療
・病人は己の力で立ち上がれるか?
▼睡眠時無呼吸症候群の治療
――結論、「生活習慣で直せるレベル、集中的な治療や器具は必要無い」
なんということでしょう。
そう事実とデータを叩きつけられて、私は大人しく理解を示した。
データ的には・・・
・睡眠の質
良い睡眠1
良い睡眠2
良い睡眠3
このようにレベルが分かれていて、良い睡眠3が最も質の良い状態。
で、2時間に1度程度、瞬間的に睡眠3の状態になれている。
・呼吸が止まる頻度
若干の重症度。
健康であっても睡眠中に呼吸が止まるらしく、
その回数が15で、俺は34ぐらいの数値。
マウスピースを作るかどうか程度の領域らしく、
それを聞いた時に安心したような絶望したような感じがした。
マウスピースよりも特別な治療であればメンドイという心がありつつ
マウスピースでどうにかなるのかと思いつつ
作成は断ってしまったが、必要と思い立ったら作成を依頼しようと思う。
それよりもですね、20歳の頃は身長170体重75だったのです。
先月測った所、身長172体重78でした。
20歳以降に2cm伸びている・・・!?
調べたら20歳以降も伸びる事はあるそうで。
それよりも腹が爆弾気味になっていて生命の危険とプライドがヤバい。
~~
▼病人は自分の力で立ち上がれるか?
答えはYESでありNOである。
厳密には”己のみの判断と思考で選んだかどうか”である。
これを選ばない限りでは、収束的にNOである。
何故この話をするのか?
これは少し複雑な話になる。
前提となるケースを話そう。
1.家族が健康で働いており
2.自分だけが不健康で働けない状態にある
3.しかし、自分は20歳以上である
――20歳以下の者は、20歳になるまで待つかSOSを出そう。
この場合、働けない自分は生活保護を受けるのが定石である。
しかし、生活保護には以下の条件がある。
1.家族=世帯の者がその者を養える場合は、それに努める事。
2.世帯の世帯主、あるいは世帯全員が生活保護に賛成しない限り、その者が生活保護を望んでも門前払いされる。
世帯=そこの住所に登録されている住民票みたいなモン
世帯主=そこの住所に登録されている世帯のリーダーみたいなモン、あるいは決定権を持つ者(詳しくはしらない
1と2の条件はとても重く、そして絶望的な条件である。
2はそもそも論外であり、家族と話したり相談をするなど馬鹿げている。(と、個人的に考える。時間とストレスの無駄である。
こういった場合、基本的には家族に養って貰うのが常である。
しかし、家族と不和があったりする場合はこの限りではなく、奥の手を使う必要がある。
単独で生活保護を受けるのだ。
その条件は以下である。
0.自分が20歳以上である
1.元々の世帯と違う市、あるいは区に家を借りる
(元々の世帯と同じ保護課であると面倒な為)
2.世帯分離を行い、単独の世帯となる。
この手続きには転出届と転入届を行うことも含まれる。
3.生活保護課には家族と不和、あるいは絶縁状態であると説明する必要がある。
(最低限の連絡などを行っても隠していれば良い)
日本は申請主義である。
申請とは自分から申し請う事である。
この性質から、受け身・受動的によるライフラインへの自動的契約の割合は感覚的に非常に低いのである。
つまり、先程の前提のケースの”自分だけが働けない、働きづらい状態”であったとしても、市が自動的にその人単体の保護を行う事は通常無いのである。
別のケースとして虐待ネグレクトが認められる場合は、市の保護課と病院が連携して自動的に生活保護になる可能性がある。
しかし、この場合は発見・もしくは発覚されるまで助けてもらえないのだ。
発見が遅れれば当然、疾患は重くなり、より複雑な疾患になる可能性が高く、人格分離や記憶障害の発露に至りやすい。
だが性質上発見発覚は基本的に遅く、既に人格や記憶が無茶苦茶になってから保護されるケースが多い。
良くない状態が長引けば、より複雑で重い疾患病気に派生しやすいのです。
ではどうすればよいか?
”これ以上壊れる前に、自分の判断のみで自分を守る”
これに尽きるのだ。
他人が何を言おうと、
生活保護課が何を言おうと、
自分が生活保護に入れる条件を自分の脳みそで満たすのみである。
先のケースで、複雑で重い疾患病気になればどうなるか。
家族と住んでてそうなるなら、既に詰みなのである。
考えられなくなり、動けなくなる前に詰みを回避するべきなのである。
市や保護課、病院が発見発覚する頃には廃人になっている可能性が高まる。
そう、家族は私の子供が廃人になってしまうだなんてとは考えません。
親が病気持ちであろうと病気持ちでなかろうと関係ないのです。
世帯分離が必要になっている時点で全て無意味なのです。
――何故、私は壊れそうなのに、誰も見てくれないのか?
いいや、違う。
皆、壊れそうな中でなんとかしているのだ。
私は壊れたくなかった。
だから、壊れたい人を見ても話しても意味が無いのだ。
――申請主義。
これは、うつ病などの疾患の治療でも顕著である。
特定の疾患や病名を認定される可能性があったとしても、
治療に前向きな姿勢や理由が無ければ治療の必要が無く、
治療の必要が無いのであれば疾患や病名の認定をしない可能性が高い。
少しでも社会復帰の意志を見せれば、手のひらを返すように認定される可能性が高まる。
私はこの現象がとても気持ち悪く思う。
申請主義だと知ったとして、
動ける肉体はあるのか。
進めれる精神的エネルギーは残っているのか。
世帯分離、申請、その後の通院。
自分がどうありたいかと考える段階の前に壊れてしまう。
どんなに成績が優秀で、どんなに知能が高くとも、壊れれば関係無いのだ。
――誰かに支えてほしい。
支えが居なくなればまた元に戻る。
意味が無い。
ならば支えなど無くとも、これ以上堕ちないように努めるべきだろう。
何故ならば自分は支えられるに値する人間ではないからだ。
何故、自分は支えられるに値する人間だと考えているのか。
傲慢甚だしい。
相互関係はお互いが自立していて成り立つだろう。
支えてほしいのではない。
誰かが欲しいのだ。
誰かが欲しいのならどのような手段でも自立するべきである。
――そして、助けてと声をあげる者が居る。
困っている人は助かって欲しい。
だが、助けてと言う割には自ら助かろうとしない者が居る。
先に上げた壊れて動けない状態にある。
私は心を鬼にする。
これ以上壊れない為に動くのだと。
壊れる過程で何人の知り合いと謙遜になったか。
否、これ以上壊れない事で、今とこれから先の知り合いと居るのだ。
健康で上手く行ってるヤツは、そいつら同士でワチャワチャすりゃいい。
光ある道を進め。私と同じようになるな。私のように堕ちるな。
壊れた者同士で不快快楽の雑言暴言はネットの海の馬鹿共と同じ声と波長を発するようになる。
同じ野郎になっていいのか?
俺が問いたいのはそういう事である。
――と、長々と思う事を述べた。
ここで新たな事実を述べよう。
SOSを出した後は、SOSという申請を行わなければならない。
ほう?
ならば、SOSを出す意味など無いではないか。
SOSは、実行して初めて意味を成す。
それも破滅的なSOSなどではなく
自分が取れる選択肢で
自分が通せる選択肢で
全ての詰みを確認し
どうすればこの先を生きれるか
どのような生き方なら生き延びれるか
どのような状態や環境なら生きれるか
取れる選択肢を強制的にゴリ押す
そう。
助けてと声を出しても助けてくれないのは
この国が申請主義だからである。
故に、
自殺防止センターに電話をしても一時の不安しか解決しないのである。
その電話は一時の不安を解消し、先に進むためのモノであると、電話をした私は確信した。
一時の不安は解消されても、永続的な不安は解消されない。
不安と怒りを収め、申請主義であることを受け入れるしかないのだ。
自分の状態と脳力が低下している事を認め申請するしかないのである。
申請を通せば、一時は解決である。
一時を生きよ。
耐えるも苦しむも、申請主義は通してしまえば下限に終わる。
自分の力のみで立ち上がれる人間は既に立ち上がっている。
立ち上がれない人間と、
立ち上がれないまでに壊れて壊された人間は、
その選択肢を推奨しない。
しかしその選択肢すら構築できなければ、それが
自殺者の数
行方不明者
重度患者
として数えられるのだ。
自分の精神状態を鑑みなさい。
自分の労働能力を鑑みなさい。
劣り壊れている事を認めなさい。
誰かに認めて貰う必要など無い。
自分が認めるしかないのだ。
自尊心も存在価値も一度全て捨てなさい。
我々は子どもの頃よりも劣ってしまった。
誰かが奪ったあなたの尊厳を、国で賄いなさい。
誰かが奪ったあなたの活力を、国で賄いなさい。
誰かが奪ったあなたの時間を、国で賄いなさい。
壊れた時間の分、国から時間を貰いなさい。
壊れた健康の分、国から健康を貰いなさい。
どんなに時間がかかろうとも。
いつでもそれを求めることが出来る状況にするべきだ。
誰かの尊厳を奪うことは国を疲弊させる事に繋がる。
誰かの活力を奪うことは国を疲弊させる事に繋がる。
誰かの時間を奪うことは国を疲弊させる事に繋がる。
全て、どうでも良い茶番なのだ。
――マルチ商材に引っかかった時、偉そうに演説する者は言った。
「人生を変えたければ、環境を変えなさい」
私はこの言葉に納得し、同じ分納得しなかった。
なるほどね。
自分という人間を最大限に引き出すために鉄火場に行くのか。
――私は鉄火場を間違え続けた。
――私は鉄火場で判断を間違え続けた。
――私は鉄火場で水準以下であった。
――私は鉄火場でなくとも、生きるスタンスが間違っていた。
――そも、生きる信念が生成されていなかった。
環境を変えた所で、私の興味と疾患は変わらない。
――このままいけば、私は荒れ狂い廃人になるだろう。
話の通じない阿呆になってしまう。
それは、私が最も嫌う人間と同じ存在になる事。
私はそれを許せなかった。
私が私を許さなかった。
間違える度に、私は壊れていく。
失敗する度に、私はすり減っていく。
誰もが無理をしている。
誰もが無茶をしている。
誰もがそうして、ストレスで歪んでいく。
ストレスが積み重なるから人格が歪むのだと直感的に理解した。
馬鹿か?コイツらは?
ふとそう評価してしまった。
馬鹿か?俺は。
そう、馬鹿だ。
馬鹿だから馬鹿なりに生きるしかねえだろうよ。
ストレスが積み重なることで苦しく絶望してしまう。
で、あれば、ストレスを限りなく取り除けば良い。
私はそう考えた。
そうすれば最も忌み嫌う人たちと同じ存在にならなくて済む。
だから私は、ストレスの要素を書き出した。
・仕事
・家族
間違える頻度を下げるために、私は仕事を辞めた。
失敗する頻度を下げるために、私は仕事を辞めた。
私を間違えていると否定する家族から、私は遠ざかった。
そうすれば家族は私を否定しないで済むようになる。
私は仕事が向いていないのだ。
私は家族と共に居ることに向いていないのだ。
誰も彼も私という人間を理解しなかった。
――いいや、私がまだ誰であるか、私が私を確定させていなかったからだ。
夢の中でもう一人の私と刀を振るいあって、お互いの体に刀を突き刺した。
沸き立つ怒りは、私が私にそう与えてしまったのだ。
震える不安は、私が私にそう与えてしまったのだ。
人は皆が自分を確定させているワケではない。
その過程にある者。
その過程を済ませた者。
その過程が永遠に来ない者。
調べます。
研究します。
考察します。
私は私を調べ、研究し、考察します。
私を開示します。あなたを開示したいです。
私を確定させてください。あなたを確定させたいです。
私を理解してください。あなたを理解したいです。
――それから1年以内に理解する事になる。
「変われない私の為に、私が私の為に環境を変えるのだ」
私にとって演説の言葉はそう変化した。
これが最も腑に落ちた。
私は私にそう語った。
変われない私がこれ以上壊れない為に。
変わろうとした私がいつでも挑戦できるように。
この先、私という人間が生き残れるように、私は私を操作するのだ。
「変われないあなたの為に、私があなたの環境を変えます」
「あなたの環境を変えたので去ります」
「あなたの環境を変えれないので放置します」
これがお前の望んだ結末か?
他人に環境を委ねてはならない理由が全てそこにある。
――本来、このように歪な自己操作など必要無いのだ。
理想的には。
なんと惨めな思いをさせる国だろうか。
ただわかりやすく、国が一人一人を円滑に見つけて勝手に救えばよいのだ。
馬鹿げたシステムと風潮を作り上げた者達が生きるこの時代を。
同等に馬鹿げたシステムを利用して生きれば良い。
賢く無い者も、生きる力を育まされなかった者も。
全てが自己責任であるというなら、あなた方も全て自己責任だ。
それほどまでに無責任な世界を、最低限の責任で生きれば良い。
いつか立ち上がるかも知れない自分をイメージできたなら、
一度休み立ち直す時間を得る。
この先二度と立ち上がれないかも知れない自分をイメージできたなら、
一旦休んでみて、考えが変わるまで休む時間を得る。
莫大な休息が必要なのだ。
うつ病と疾患はそれほどまでに個人の時間を奪うのだ。
それが
誰かによる影響でも
先天的や遺伝的なものでも
自分のせいによる影響でも
莫大な休息が必要なのだ
莫大な安息の中で閃きと気付きを得るのだ
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