【釈正輪メルマガ5月7日号】日々是好日
【布施の大切さ】
立花の候。
茶の湯では、立夏を迎えた五月は初風炉の季節です。冬の間使用した茶室の炉は、昔は田舎のどこの家にもあった囲炉裏の姿から創意されたといわれています。確かに天井に打たれた蛭釘(ひるくぎ)から釜を釣り下げて使用する「釣釜」点前は、なんとも言えない風情があります。炉の季節には大ぶりの釜に煮え立つ、湯音も湯気も炭火も心身暖まるおもてなしでした。
それを閉ざして、軽やかな風炉の季節到来です。風炉は、熱気を感じさせない小ぶりの釜に、風炉の炭火も視界から遮り、これからの季節に相応しく、清々しい設えに変わります。風呂炭が入れられますが、「二文字」「遠山」などの灰型をつくることが、茶人の修練のひとつになっています。
合掌
死に近き 母に添寝の しんしんと
遠田のかはづ 天に聞ゆる
斎藤茂吉
私たちが幸せになる方法は、六波羅蜜(六度万行ともいい、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六種をいいます)の実践にあります。この六つには、数えきれぬほどの善が収まっています。然も、どれか一つ実行すれば、六つ全部したのと同じになるのが六波羅蜜の特徴です。中でも私たちが一番行い易いのが布施ですから、お釈迦さまは、六波羅蜜の最初に挙げられるのです。
布施とは「施す、与える」ことで、広い意味で「親切」です。布施には大きく分けると、「財施」と「法施」の二つになります。財施とは財を施すこと。つまりお金や物を人にあげることです。恵む人は恵まれる。生かす人は生かされる。幸せになりたければ布施をしなさい。貰うことや取ることばかり考えていたら、幸せにはなれないとお釈迦さまは説いています。
与えたら自分の分が減るのではないかと思われるでしょうが、違うんです!あげた人も貰った人も、ともに幸せになれるのです。やってみたら分かりますよ。もちろん、これだけ与えればこれだけ返ってくるだろうと計算してやるのは、商売であって布施ではありません。お釈迦さまは、布施の心掛けとして、『三輪空』を説いています。「私が(施者)」「誰に(受者)」「何を(施物)」この三つが三輪空で、これを忘れるよう努めよということです。相手の幸せだけを考えて種を蒔く気持ちが大切なのです。お金や財を持たない人でも、気持ちさえあれば七つの布施が出来ると、お釈迦さまは「無財の七施」を教えています。
一、眼施(げんせ)
優しい暖かい眼差しで、周囲の人々を明るくすること。
「目は心の鏡」和やかな光をたたえた目は、どんなに人を慰め、励ますことでしょう。
二、和顔悦色施(わげんえつしょくせ)
優しい笑顔で人に接すること。笑顔は周囲を和ませ、対人関係も円滑にします。
三、言辞施(ごんじせ)
優しい言葉をかけること。例えば事故や災害に遭った人に、心から「命が無事で幸いでしたね」と、気遣う人もあれば揶揄する人もいます。あなたはどのような言葉をかけていますか。
四、身施(しんせ)肉体を使って人のため、社会の為に働くことです。
五、心施(しんせ)心から感謝の言葉を述べることです。「ありがとう」など、たった五字の音声が周囲を明るくします。反対に、その一言がなくて、信頼を失ってはいませんか。
六、床座施(しょうざせ)場所や席を譲り合ったり、相手の意見も尊重する気持ちです。
七、房舎施(ぼうしゃせ)求める人、訪ねて来る人があれば、一宿一飯の施しを与え、その労をねぎらうことです。
このように、心掛けさえあれば、どんな人でも出来る善が布施なのです。布施は心から提供するものですから、「喜捨」ともいわれます。お釈迦さまは、布施の相手を「三福田」と、布施の相手を田んぼに例えて説かれています。一つ目の敬田(きょうでん)とは、御仏や僧侶など、最も敬う可き徳を備えられた方。二つ目の恩田(おんでん)とは、両親や祖父母や先生などご恩を受けた方。三つ目の悲田(ひでん)とは、病や怪我、災害や貧困などで苦しんでいる人のことをいいます。農家の人が苗を植え収穫するように、布施をすればその福徳は布施をした人のものになり、やがて大きな幸せの実を結びますから、田んぼに例えられているのです。
そして法施ですが、法施とは法を施すこと。つまり人に仏法を伝えることです。『財は一代の宝、法は末代の宝』とお釈迦さまは説かれています。仏法を説かれる場所に人を誘うことや、自宅や会社等を開放して、聞法道場をつくる。これは財施と同時に法施もすることになり、その功徳は計りしれません。昔から、自分の家で法座を勤めると、その家の屋根に留まった鳥から、床下の虫まで尊い仏縁を結ぶといわれています。財施も法施もともに幸せの種まきです。蒔いた種は他の誰でもない、全部あなたのものになるのですから。
釈 正輪 拜
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