「森は生きている」は生きていた
「森は生きている」とはロシアの童話で音楽劇にもなった物語のあれです。
でも私はそんなに説明できるほどは詳しくない。
全然、殆ど?知らない、というか忘れていた。その存在さえも。
もう何十年も読んでも見てもいなかったので。
先日、能戸高校の「校歌」を考えていた時、ふと埼玉のある中学校の校歌を思い出した。
そこの卒業生ミュージシャンが、自分のアルバムの中で歌っていたので知ったのだけれど、
作詞が谷川俊太郎さんで、あまり校歌らしくない?不思議なとてもいい歌だった。
今回、久しぶりに聴いてみたら、作曲は林光さんだと気づいた。
私には大河ドラマの音楽でおなじみだった林光さんは、交響曲や合唱曲や、劇伴やオペラをたくさん作っている大大大音楽家で、谷川俊太郎さんとのコンビで数多くの学校の校歌も手掛けていらした。
さらに調べていったら、、
「森は生きている」の音楽劇に辿り着いた。
1954年の初演から、音楽が林光さんだった。
私は子供の頃に読んだり見たりした物語で、
「あれはなんのお話だったんだろうな…??」
と、大人になってからタイトルが思い出せないものがいつくかあったのだが、
「森は生きている」もそうだった。
それは、本ではなくて音楽劇だった。
小学3年くらいの時に、
ふたりで出掛けることなんぞ殆ど無かった父が、
会社の近くの新聞屋さんから貰ったというチケットで、観劇に連れて行ってくれたことがあった。
日曜日にわざわざ父と会社まで行って、そこからまた路線バスで20分くらい?あれは何処のホールだったのか、全然覚えていないのだけれど。
大人の人たちの劇団だった。おねえさんおにいさんたちが色とりどりの衣装を来て歌い踊り、時々客席にまで降りて来ては目の前で手を振ってくれた。
それまでぬいぐるみ劇しか知らなかった私は夢中になって見た。
しかし、次の日の図工の時間に絵に描くほど印象に残っていたわりには、いつのまにかその劇のタイトルも忘れてしまい薄まっていった記憶は、
…というおおざっぱなものとなり、それでもマツユキソウの名前とともに数十年は微かに脳内に生き残っていた。
そして後に、自分の子らが読んでいた『十二月(つき)物語』という絵本で、あのマツユキソウの脳内記憶にふたたび出会うのでしたが、、
その時、私が絵本の【解説】↓までよく読んでいなかったので、
これが本当にあの劇のお話なのか、まだモヤモヤと記憶がはっきりしなかった。
この「十二月物語」と音楽劇「森は生きている」とが自分の中で繋がったのは、それから更に数十年後にこの【解説】をちゃんと読んだつい最近だったという、
この長いスパン。
今頃になって気づくことが多すぎる。
やっぱり年はとってみるもんだと思った。
…というわけで、話は林光さんへ戻ります。
林さんが作った音楽劇「森は生きている」は、オペラにもなって今も数々の劇団などで上演されていて、動画サイトにもいくつか上がっている。
それらを見ていたら、私のおおざっぱな記憶から抜けていた「少女が妖精たちからもらった指輪を投げて、教わった呪文をとなえるシーン」を見つけたのだ。
私が見た1968年?ころには、まだ呪文は「ころがれころがれ指輪よ…」の歌には多分なっていなくてセリフだったと思うけれど、あの呪文の最後のところ、
「…冬はじゅうたんの上を~」
ここだけ覚えていた!
まだ父がいるうちに、
「むかーしさ、いっしょに見に行ったじゃん、あの劇なんだっけ?」
と、聞くこともなく時は過ぎたけれど。
そうか、あれは、林光さんの「森は生きている」だったのだ。
小さい頃に1度見たきりだから、劇中の歌は全然記憶に無かった。
でも動画を聴いているうちに何だかずっと知ってた気がしてきて、
数回聴くうちにもう鼻歌でリフレインしてる。
それだけ林光さんの曲は、壮大だけれど親しみやすくて胸に響くのだなと思った。(鼻歌なんかで大変恐縮ですが…)
この音楽劇、今また見てみたいな。何か思い出すことがあるかしらん。
思い出すことはなくても、新しい感動がありそう。
ここまで生きていたから、いいことありそう。
うひょひょ。うれしい。
年代的にこの劇団だったのかな?