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夜空ノムコウ(続ダーリン・ミシン)

去年の夏に『ダーリン・ミシン』という思い出バナシを書いた時、何故か終わり近くには脳内BGMが「夜空ノムコウ」に変わっていったことがあった。


かの小田和正さんは、以前「クリスマスの約束」で『夜空ノムコウ』を歌った時に、共演していたSMAPの中居君に言ってたことがある。

「この曲はとっても良い歌だよ」と。

この歌はちょっと、時間軸が難しくて、好きだと言う人の数ほど「解釈」はあるかもしれないけれど、
私も私なりにこの歌が好きだったので、小田さんと一緒なことが嬉しかった。

SMAPの彼らも、あの頃の未来から今、この歌を歌っていた頃の自分をフっと眺めたりする時があるのかしらん?
誰にでもひとりひとりに、夜空ノムコウがあるのだ。


あの頃の未来に来て、今思う。未来のことなど何もわからなかったあの頃の自分は、一体何をどう考えていたんでしょう?
…あまり覚えていない。

昔の手紙や日記をひっぱり出して読んでも、私は
「あー、そんなことあんなことあったかねぇ…」
と、ぼんやりしか思い出せない時期がある。
その頃に住んでいた実家の場所や、当時のM君(今の旦那氏)が住んでいた街を見てみたいなと思ったのは、今年のはじめ頃だった。

もう30年以上は行っていない、懐かしい場所に立ったら、昔の自分が見えたりするのかしらん。
変わり過ぎていたら、きっと知らないヨソの街にしか見えない。

20歳からの4年間(ちょうどお勤め人だった時期)しか住まなかったその「実家」で、夜中におジイさんを羽交い締めにしたことも笑い噺に出来るホド、今では肝がすわったけど、
そこを離れてから暫くは、駅を通過する電車の中からたまに眺めても、少しも懐かしくはなかった。

羽交い締め事件?のあった集合住宅は今でもそこに建っていて、かつて実家だった部屋には何も知らないどこかのご家族が住んでいる。
いや別に、事件とか怨念とか、そういう話でもないので怖くはない。
普通の古い(昔は新築)マンションだ。

そこを最近になって、ちょっと見てみたいかなと思うようになった。
そこはかとなく懐かしいのは重ねた歳のせいかな?

現実の日常では、去年から今年にかけての「お墓じまい案件」の最中、ご先祖の霊に取り憑かれそうになって(気のせいです)、私は時々うなされたりしていた。
呑気にノスタルジーに浸ってる場合じゃあないんだよ…
と、自分で自分に突っ込みを入れることもあった。

でも、そんな時に救いの手?というか、気バラシの手?を差し伸べてくれたのは、意外にも、
「お墓の手続きに行く日に早起き寄り道して、ついでに行ってみない?…」と言う旦那氏(旧M君)だった。
おお…。

結婚するまでの最後の4年間、私の住む実家があった街は、
旦那が4年間ひとり暮らしをしていた街の、たまたま隣の区だったので、
両方に行ってみることにした。

早朝、車で出発して、まずは私の街へ。
環七から入る見知った通りには、以前の面影が少し残っていた。
さだまさしさんが、故郷を歩いていてまだ見覚えのある場所のことを、
「ふるさとが自分のことをまだ覚えていてくれた場所…」と言っていた。
言い得て妙。
まさにそんな感覚だった。
私の場合はたった4年間しか住んでいない場所だったけど。

慣れ親しんだ商店街通り、仕事帰りによく寄っていた八百屋さんやお惣菜屋さん、魚屋さん。
ホタルノヒカリと同時に飛び込むこともあった、当時は7時閉店のスーパー。
それらの大部分は、別の店になったり店じまいしていたり…
それでも駅前通りの佇まいは何となく懐かしい。

…と、思って進んで行くと、
何と、新しい広い道が2本も出来ていて、私の家はその隙間に残った道に辛うじて昔の姿で建っていた。
この道、こんなに狭かったの??!

マンションの前を徐行しながら、昔住んでいた部屋のベランダを一瞬で眺めた。
「お隣はまだいらっしゃるのかしらん。苗字も忘れたけど…」
入居時から年寄りがいたのは我が家くらいで、ほとんどが若い世帯だったと思うご近所も、今はもう子供さん達が独立して、みなさん高齢者ばかりなのかな…
人の気配があまりしない静かな古いマンション。
外観はきれいに保たれている。

「ちょっと入ってみよう」
昔よく送って来てくれた時のように、勝手知ったる?旦那がソロソロと車を駐車場に進入させて、こっそり通り抜けた。

その間、数十秒間のタイムスリップ?

かつての我が家のドアが見えた。
天体望遠鏡を買ってきた時、早速組み立てて、記念撮影した玄関前の通路。
私の部屋の窓!
毎日、深夜にゴンゴンゴンと足音がすると、あ、母が帰って来た!とすぐわかる鉄の外階段。
10時頃、ひとりでローラースケートを練習してたら上階の住人から怒られた駐車場(当たり前だケシカラン)。

それらを、あまりしみじみもせずに、一瞬で通りすぎた。
今から思えば、4年間も一瞬だ。
長い一生のうちの、ほんの一部分。ひとかけら。
あの頃何を考えていた?なんて、覚えていなくて普通かもしれない。
でも、あったことだけは写真みたいに脳裏に写っている。
それだけでいいのかもしれない。自分の中の記録として。

だから、私は、自分が生まれた家の場所も知りたいし、
育った街もたまに歩きたいのだ。
自分を作ったレキシとして(エラそうに)、ただ覚えておきたいのだ。
レキシは、あの頃の未来につながっている。夜空のムコウで明日が待っているみたいにね。


ちなみに、
そのあと行った旦那のかつての街では、駅前ロータリーの真ん前にタワマンが建設中で、大変貌を遂げつつあった。
なんだこりゃ!という感じである。
アーケード商店街は相変わらずあったけれど、ちょっと哀愁を帯びていた…。


☆☆
去年から書き始めたものが、やっとまとめられたら、こんなに長々となってしまいました。
自分の記憶と記録を、やたらまとめたいと思うのは、やっぱり歳のせいなのかな?
でも私は昔から、書き散らかしながら自分をわかるタイプなので、こうやって書きながらフムフムしています。

そして気づくことは、まわりには色々な人がいていつも知らず知らずのうちに、誰かに助けられていたのだなぁと言うこと。
気づくのが遅いけど、気づいただけでも歳をとって良かったと言えそうです。
まだ道の途中…かな?