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軽井沢、その後

「その後」があるなら「その前」もないと繋がらないけれど、私の中で軽井沢はいつぞやから時が止まっているのかもしれない。

ハイソな別荘地とかテニスコートとか、おシャレなペンションとかホテルとか、そういう界隈には全然ご縁は無かった(多分これからも)私の軽井沢は、
♪軽井沢だと〜叫んでみても〜、軽井沢じゃな〜い〜とこだまするぅ〜…♪
という歌の文句のよう。

(これ、ホントにこういう歌が昔あったんですよ。知っている人はいないかもしれないけど。私も微かにこの部分しか覚えていません。北山修さん作詞の「鬼押出し」の歌?なのですけどね。)

それでも時々、頭のスミの奥の方に眠っている記憶がたびたび呼び起こされて、行ってみたい軽井沢。ホントはたびたび行ってみたい、どこでもドアがあったなら。
そしてカラ松林の空気を感じたい。浅間山が見たい。火山博物館の地球防衛軍みたいな展望台が見たい(これはもう無いけど)。

なんか、軽井沢通(つう)みたいなこと言ってるけど全然詳しくはなくて、ただの思い出のひとコマひとコマが積もり積もって埋もれてたホコリの中から時々目を覚ましてノスタルジーとなっているだけなので、超勝手個人的ロマンの粋を出ません。
(意味がわからない。)

…それでは、まずは
「軽井沢、その後」から。
前置きが長い。


先週の勤労感謝の日、
私の「30数年ぶりに箱根に行きたいな」という気まぐれ話が「遠いから却下」となり、旦那氏からの提案で手近な東北道方面に向かうことになった。
墓参り以外の久々の遠出ドライブ。日帰り限定。早朝5時出発。

このまま北へ行けば日光はすぐだけど、東へ折れて上州へ入れば、藪塚の三日月村(木枯らし紋次郎のB級テーマパークがあるらしい)とか、榛名湖とか、妙義山、軽井沢…、

えっ、軽井沢!
そうか軽井沢か!!

東北道から北関東道への分岐前のサービスエリアで朝ごはん食べながら相談中、
行き先は急遽、私が三日月村よりも反応した「軽井沢」となった。

ていうか、高地に来るほど紅葉が色濃くなる車窓の景色に、
「高速走るだけで充分モミジ狩りは出来るね~」
などと言ってたのが、
こんないきなり軽井沢に行くことになってウハウハする喜びは隠せない。
途中で寄った妙義山は結構うわのそらだった。。

妙義山のギザギザ。

地図でもっと下調べして来ればよかったなと思いつつも、高速を下りてからはナビと記憶の中の地理を照らし合わせながら進む。

軽井沢駅を越えて北へ向かえば北軽井沢方面だから、とにかく線路を越えれば…と行く先には、見たことのない駅前風景が。
そうだった。新幹線が通ったんだった。古い。私の記憶はむちゃくちゃ古い!新幹線以前!

とにかく国道と線路を越えれば旧軽井沢の商店街のはずと、怪しげな土地勘とナビを頼りにアンダーパスで線路を越えて、いかにも軽井沢なカラ松並木に出た時には、やっと、
「あ〜、軽井沢だ〜!!」(心の声)と、数十年ぶりに戻ったような一瞬のフルサト感。
(私のフルサトは一体いくつあるんだ。思うのは自由です。)
カラ松並木だけで嬉しくてしょうがない。

並木道から旧軽井沢の通りに出ると、旧軽銀座はさすがに晩秋なのでひそっりとしていた。まだ朝だし。
時間があったら老舗の珈琲屋さんとかジャム屋さんも覗いてみたかったけど…今もあるのかしらん。
途中の道に「新渡戸通り」や「鳩山通り」があるのを今回初めて知った。やっぱしセレブなのかな軽井沢…。

バスは今も昔からの草軽交通だった。路線バスが停留所に停まっていたので、あのバスが鬼押出しや北軽井沢方面に行くはずと思い出してバス道を車で辿る。
途中の「白糸の滝」のバス停で、
「ここ、見覚えがある!」と旦那氏。
えぇっ?そうか?
私は記憶がない。

そういえば直近では2005年に長女と3人で夜中に出発して車中泊で菅平高原へ行く途中に鬼押出しに寄ったんだったけど。
この滝はその道の途中。
旦那氏の「ここ知ってる!」という既視感の精度はかなり高いので侮れない。
でも、私は滝まで下りても思い出せなかった。
私の記憶はもっと昔の1982年とか1978年、さらに1972年くらいまでさかのぼると冴えてくる。

白糸の滝(あとから確かめたら、2005年にこの滝の前で娘と写真に収まっていたことが判明。やっぱり来ていた!)


白糸の滝にいた、東京からバスで来ていた林間学校の小学生団体と、鬼押出し園でもまた遭遇した。やっぱりここは外せない観光地ですよね。
でも今回は、園内の溶岩遊歩道散策はパス。
白糸の滝に比べて小学生達の他には外国人観光客も居なくて、ここはまだ静かだったけれど(路線バスの到着時刻がまだだったみたい)、
浅間山がちゃんと同じ場所にデンと座しているのを間近で見られて、それだけでもう満足してしまった。
旧火山博物館の建物が無いのが淋しいけれど。

あとから調べたら新設の火山博物館も閉館してしまったらしい。鬼押出し園から少し登ったところにあった旧火山博物館展望台は2013年に解体されたらしい。
キャンプ場もきっと変わってしまったんでしょうね。

鬼押出し園・浅間北麓ジオパークの駐車場から雪化粧の浅間山。


浅間園旧火山博物館展望台(2005年撮影)この時にはすでに廃墟になっていて、2013年に解体されたそう。


鬼押出しからその先はどこへ行こうかと、無計画。
北軽井沢の大学村を散策する手もあったけれど、ちょっと遠そうだったので諦めた。行ったらあれこれ見たくなって今日1日じゃ帰れそうにない。日帰りなのでお昼過ぎには帰路につかないと。あとから調べたら結構すぐ近くだったのに簡単に諦めた。
ま、いっか。次に来るときのお楽しみが出来た。いつ来れるかな、笑。

嬬恋村から湯の丸高原を通っての山道は、沢に沿って雪が少し積もっていた。きっともうすぐ通れなくなる道だね。
でもスキー場はまだまだ草地だった。
地蔵峠の一番から七十番までのお地蔵さんを上から(七十から)通りすぎ、だんだん下に下りて来る。(やけにお地蔵さんの多い道だと思ったら「地蔵峠」だった。)
浅間山の北側をぐるりと半周?したコースで、東部湯の丸インターまで下りて来た。

高速に入って1つ目の横川サービスエリアでお昼ごはんにして、お土産屋を覗いたら、中山農園のジャムをみつけた。
昔は旧軽井沢に来たら必ず買っていたコケモモジャムを買う。瓶がだいぶ小さくなったけどお味は…?
お値段の都合で娘らへのお土産の分だけ買ったので、あとで少し味見させてもらったら(せこいな)、
もう最後にいつ食べたのかも覚えていないくらい久しぶりで、昔の味を思い出せなかった。。
誰か、横川サービスエリアに寄ることがあったら、中山農園のコケモモジャムをひと瓶買ってきてほしいです…笑

46年前の空き瓶と今年のコケモモジャム(中山農園)

まだ見える、まだ見えると振り向いて、だんだん遠くなる浅間山に名残りを惜しみながら、上信越道〜関越道〜東北道と来た道を戻る。
紋次郎の時代なら何日かかるかな~などと思う旅の帰り道。
日帰りだけど。

5時出発で帰宅は14時半ころ。
なんて早い軽井沢だったことでしょう。

これなら、どこでもドアがなくてもたびたび行きたくなってしまう、ガソリン代と高速代のことはさておき。おいとけない。

でも、思い出を夢見ることはお手軽にいつもやってしまうので、その先がどうなっているのかも見たくなる。
私の旅は、知らない初めての場所よりもどうしてももう1度見てみたい所になりがちだ。
ほんの日帰りでいいから。

贅沢なんだか安上がりなんだかわかりませんな。


「軽井沢、その前」に続きます。