続「60すぎても」
前回のビートルズの曲の話を書いていてから、
どうしても、昔聴いた高石ともやさんの訳詞で聴きたくなって、新しいラジカセを買おうか迷っていたらば、
noteにこんな可愛らしい訳を載せていた方がいらっしゃいました。
そう!こういう歌だった!
と、すぐ思い出すことが出来ました。ありがとうございます。
そうなるともう、ともやさんの訳詞と歌がますます聴きたくなり、ついに(実は1か月くらい迷ってたけど)古いカセットテープを聴くために新しいラジカセを買ってしまった。
そのテープは83年の年末のコンサートの録音だった。
ホールの反響がそのまんま臨場感たっぷりの、ナターシャーセブンの懐かしい曲が次々に流れてきて、
時々、隣の席にいた友達のOさんと何かヒソヒソっと喋っている自分の声までいっしょに入っていた。何を言ってるのか聞き取れないけど。
や〜ん、それだけでもう充分、時間が戻る。
高石ともやさん訳の「60すぎまで」は、
ともやさんの当時中3の娘さん、たづるさんと吹奏楽部の友達2人が、ドラムとクラリネットとサックス(多分)で参加して、ナターシャーセブンと一緒に演奏していた。
私はその楽しそうなセッションと、ともやさん(当時42歳)が可愛らしい歌詞で楽しげに歌うのを聴いて、
チャーミーグリーンのCM(当時)に出てくる、いつまでも手を繋いで歩く老夫婦カップルを思い浮かべ「いいなぁ♡」と思ったけど、
その内心ちょっとウットリ?してる自分を隣のOさんに感づかれるのが多分こっぱずかしくて、何気に彼女に、
「合奏って楽しそうだね〜!!」
と言ったのを覚えている。
こんな歌詞を日本語でストレートに聴いちゃった日には、照れるしかない、私は日本人。
「人生はこんなに楽しくいくんだろうかなぁ…30歳40歳…60歳…80歳……と?」
などと、見えない未来に私は気の遠くなるような思いがしていたのかもしれないが、でも、
「こんなに楽しいのも、アリなのかも!」
と、この時ちょっと期待をしたのやもしれない。
もう忘れたけれど。
それは、カーターファミリーの「Keep on the sunnyside」を、ともやさんの訳詞とナターシャーセブンの歌「陽気に行こう」で聴いた時もそうだった。
日本語でじわじわと胸に届く。
突き抜けるような歌声もハーモニーも、バリバリしたギターもバンジョーも、聴いていて元気になる。
この気持ちから、ここから、何かはわからないけれど自分で何かを生み出して行けば、何があっても大丈夫なのかも!
みたいな高揚感があった。
魂がこもっていたのかもしれない。
初めて「60すぎても」を聴いた時から40年後の、私がギリギリ64歳の今年8月に、
高石ともやさんは天国へ旅立ちました。
あのころ聴いた歌は、こんな歌だったんですねぇ…と思い返したり思い直したりしみじみしたり、古いカセットテープをかけながら思い出しています。
ともやさんありがとう。
こんな映像があったんですねぇ。