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のれんにうでおし

「暖簾」と漢字で書こうと思ったけれど、のれん の方が何となくのれ~んと揺れてるみたいで頼りなくてほほえましい(?)

谷山浩子さんが昔書いていた。「のれんにうでおし」という言葉の音が好きなそうな。ほかに「たばことみかん」も。
その場合、平仮名でないとダメなそうで、わかるような気がする。
とても谷山さんぽい言葉だと思う。いや、わけがわからないけど「たばことみかん」と「のれんにうでおし」はわけもなく谷山浩子さんぽい。
そして谷山さんはまた「小室等さんは『てくらがり』という言葉が好きで『たばことみかん』では太刀打ち出来ないほど大人だ。」などとも述べていた。

のれんを暖簾と書かずにのれんとしたことで、つい谷山さんのことを思い出したのはただの前置きです。すみません。


旦那の部屋(元は長女の部屋)のドアにのれんを掛けた。
そこへは猫が出入り出来るように夜中でもドアが少し開いている。旦那は毎晩8時には寝てしまうが、廊下やトイレの電気がつくと眩しいので、ドアの隙間にはずっとハンガーで長めのシャツをひっ掛けて灯り除けにしていたのだが、さっき、ふと思い出してのれんを出してみた。40年くらい前に私が作ったのれんだ。
長さがたっぷり1メートル以上ある、居酒屋の部屋の仕切りみたいなのれんだ。まさか今になって役に立つとは思わなかった。
そうそう、これをミシンで縫いながら、ヘッドホンでRCサクセションの「ダーリンミシン」を聴いていた。
 
 僕の お正月の 赤いコールテンのズボンが出来上がるっ…♪

縫っていたのは赤いコールテンのズボンではなくのれんだった。

赤いコールテンののれんは、旦那のアパートの小さな台所と部屋の仕切りに掛けた。
下北沢の雑貨屋さんで買ったカウベルみたいな鈴がたくさんついた飾りをのれんと一緒に吊る下げたので、のれんをくぐるたびにカランカランと音がした。
実はその鈴も別にまだとってある。我ながら物持ちがいい。

大切だったものもある日ポイと手放してしまうことがあるのに、それほどでもないものを後生とっておいたりする。
何が大切なのか必要なのかわからなくなっているのが、この世の常だ。ていうか私だ。

もう要らないと思って捨ててしまった本もサインも(笑)、実は大変大切だったことにあとから気づいて悔やんだりするのは後の祭りという。目に見える大切なものはすぐ変わる。

のれんよ。随分と長い間たたまれたままで、箪笥の奥で日の目を見なかったものが今再びその使命を部屋の仕切り、じゃなくて灯り除けとして働き出した。止まっていた時計がコチコチ動き出したような感じがする。なんか、かっこよい。

のれんよ。腕で押され頭でくぐられ、のれ~んと揺れている。それでよいのだ。
いつかはそれほど大切じゃなかったけど、とっておいてよかったと、
いつか役に立つことがあるかもしれない。
そんな人にワタシハナリタイ。

え、そうなの?(笑)


…思いがけず、思いがけないオチになった。

おしまい