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Breakin’がオリンピック種目になって、その後の影響はいかに?


皆様、月曜日お疲れ様です。
暑いさなかに、さらに熱いオリンピックがいよいよ後半戦ですね。
日本選手の皆様には大いに健闘していいただきたいものです。

さて、本日のトピックは”Breakin’がオリンピック種目になって、その後の影響はいかに?”
です。

もうHIPHOP歴41年のぼくからしたら、エライこっちゃ!ですわ。
世界のレベルはもの凄いですが、我日本も凄い選手がいます!
しかも金メダルを狙えるBreakerばかりです!

日本はすごいですね。ひいきしちゃいますよ。



そこで世界のオリンピック種目に登録されたこのBreakin’について少し
解説させていただきます。偉そうやな〜。すんません。


Breakin’とはなんぞや? ここから行かせてもらいます。

Breakin’とはHIPHOPのカルチャーの一つでして、

わかり易くすると
         

HIPHOP       1: DJ
                   2: MC
                   3: Breakin’
                   4:Graffiti

とこの4つの要素でHIPHOPが成り立っています。

元々の発祥は、NYCはサウスブロンクスで1970年代初頭に
DJ クールハークという、ジャマイカからの移民である黒人の若者が、
サウスブロンクスの一角の公園で、電線から盗電して2台のターンテーブル(レコードプレイヤー)と1台のミキサーを
つなげ、さらにスピーカーを持ち合って組み合わせて、レコードをプレイしました。

これがDJですね。

しかも普通に変えるだけではなく、2枚の同じレコードのイントロの部分の4小節を交互に
つなげて、ドラムプレイのようにするんですね。

で、そのビートに合わせて、マイクを持った者がパーティをあおって盛り上げるわけです。

これがMC(マスターズオブセレモニー、いわゆるラッパーですね)です。

さらに、このDJとMCで盛り上がって来たところに、段ボールを地面に敷いたり、ビニールシート(マット)を敷いて、
そこでフロアーワーク(ゆか運動みたく足を動かしたり、スピンしたり)を、やって踊っていたのが
Breakkin’(ブレイクダンスと日本ではよばれる)です。

そのBreakerたちがチームを作って、公園でバトルを繰り広げて行くんですが、
敵のエリアに勝手に入り込んで、そこへ来た証しとして、スプレーで落書き(タギングという)を壁にボム(描く)
わけです。
それが拡大し、グラフィック(ポップアート)として一つの文化にもなりました。

またそのアートの上に自分の名前(ストリートネーム)をボムするんですよ。
そうなると、今度はやられた側も同じくやり返すわけです。

アートのバトルです。

ざっくりと解説させていただきましたが、これらがHIPHOPです。
その中の1つで今回のオリンピック種目になったBreakin’があるんですね。

すごく奥が深いですね〜。

もっというと、このBreakerたちや、DJ,MC,Graffiti artistらはいわゆる
ストリートギャングの集まりです。

当時のNYCでサウスブロンクスは世界トップの凶悪犯罪地区でした。

そこからHIPHOPが生まれ、GUNからMICに持ち替えて、言葉でライム(ライミングと言って韻を踏みながらリズミカルな
グルーヴで、ラップする)をしていったんですね。  

それから、日本に入って来たのが1980’頃かと思います。

フラッシュダンスの映画の中で
ROCK STEDY CREW(ブレイクダンスチーム)が、あるシーンでBreakin’をやっていて主人公の女の子が
それを見て驚いている場面でした。

それが引き金になり、現在の日本のHIPHOPシーンが出来上がって来たわけですね。

このようなバックボーンで育まれて来た大日本HIPHOPですが、MCバトルや、フリースタイルバトルが一般に広まったのは
すごい事です。
が、その反面ニュアンスやら、考え方が少しズレて来てるのかな〜なんて思ってもいます。

基本はパーティーですね。ののしったり、ディスるとも言いますが、もっとリズミカルにセンス良く
笑わせてくれたり、考えさせられたり、メッセージを送って欲しいと
個人的な意見ですが思います。



長くなって来たので、次回はこの続きを書きますね。


本日はこの辺で。

お付き合い下さいまして、ありがとう存じます。

明日もいい日や!
なまんだぶ。合掌。


1LOW  釋一承 HIPHOP寺館長

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