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希望の光は、多分ギンギラギンではない
楽しみな本の発売日がある時。
楽しみすぎて発売日を手帳に書き込むのだけど、楽しみすぎて実は手帳に書かなくても脳裏に日付が刻み付けられてしまうほど、もうとにかく発売が楽しみな本がある時。
そんな時、ご大層で使い古された表現だけど、「その日までは何としても生きる!」と心の底から思うのだ。
そして、「その日まで〜生きる!」の類語(?)として決まってセットで思い出すのが、死のうと思っていた、で始まる太宰治の一文だ。
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
いつかどこかでこの引用を初めて見た時、わかる、と静かに思った。
「その日まで〜生きる!」というポジティブさより、夏まで死なずにいよう、という表現の方が私にはしっくりきた。
寿命を伸ばす、というより、死を遠ざける、というニュアンスがより近い。
それはお前の性根がジメジメに湿って暗いからだろ、と言われたら、そうだす! 返す言葉もないだす! とハキハキ開き直るしかないのだけど、だって、だって本当にそうなのだ、希望こそが死を遠ざけてくれたのだ。
楽しみな本が、その発売日が、私を健やかなままにとどめておいてくれたのだ。希望の光が萎れた心身をぱんっと膨らませてくれたのだ。
私の場合はその対象がだいたいは本だったけど、それが半年後のライブである人もいるだろうし、来週のドラマの続きである人もいるだろう。
咄嗟に思いつかないだけで、ありとあらゆる人の寿命を伸ばしているものがこの世にはたくさんあるはず。
希望の光は、多分ギンギラギンではない。きっとチラチラと線香花火みたいにしとやかだ。ささやかだけれど、人の胸を確かに掴んで離さない。夏の次の季節へと私たちを連れて行ってくれる。
あー。楽しみ。3月19日まで生きる。その先も、きっと生きていような。