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自分をヤケクソ気味に励ましていたなあ

またコロナが流行り出して、注意喚起のニュースを目にするようになってきた。
職場でマスクしてる人は目に見えて少なくなっていて、その中で毎日欠かさずマスクしてる私はそろそろ目立ってきてるんだろうか、と心配していたところだったので、なんとも言えない報ではある。
今ある分がなくなったらどうしようかと思ってたマスク、また買おう。

マスク生活で残念なことは、口紅が使えないことだ。
私個人のモチベーションだけに関わる小さな不利益だから、今後顧みられることはないだろう。望んでもいない。
ごくたまに顔出しのリモートの用事ができると、やや弾む気持ちでリップを取り出す。
けれど毎度数ヶ月ぶりなので、塗り方を思い出すところから始まり、仕上がりにいまいち自信が持てない、ということを繰り返してる。

コロナ前に買い求めた色は数年経ってもう似合わない気がして、かといって年相応の色を買い直すタイミングはいつが相応しいのだろう。
コロナが流行りはじめの頃は、マスクの下でも派手なリップを引いて、自分をヤケクソ気味に励ましていたなあ。

フルメイクしたら、人の少ないところへ出かけて、そこではマスク外すとか? 口紅も引いた顔を堂々と外に出せる。誰も見てないけど。
こうなってくると、私にとっての化粧の概念がわかってくるぞ。
日焼け止め、下地、眉毛を描くあたりまでは社会性の内。チークもぎり入るかな。
そこから先のアイシャドウやらマスカラやらの色鮮やかなポイントメイクは、完全に自己満足の世界なのだ。(あくまで私にとってはです)
自分の気持ちを持ち上げるためにやっている化粧は、誰も見てなくたってかまわない。

ただ、はるか千年前に清少納言が枕草子に書いてもいる。気合い入れておしゃれした日は、それを目ざとく見つけて話題にしてくれる誰かと行き会いたいと。わかる。わかるわー。ほんとその通りだよ、清少納言。
令和の私たちにも「わかる!」「あるある!」「ほんとそれ」と言わせ続けるあなただから、その随筆は今でも残っているのだ。改めて敬服する。

口紅に限ってはほとんど家族の前でもしたことがないから、誰かに褒められたことがないな。この先もそれを期待することは難しいのかも知れない。
感染予防の方がよほど重要であるとは承知の上で、そこだけがちょっと切ないな、という感慨をせめて自分への慰めに書き残しておく。

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