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汚さを引き受けて楽になれるならいいじゃないか

春。人も環境も大きく動く季節。
これは保留にしておきましょう。一度様子を見てから判断しましょう。
そんな風に、一気呵成に片づけられないことで囲まれている。
5年前の私なら、その悠長さに焦って焦って仕方なかったはず。
今はもう少し腰を据えて向かい合える。
なるようになる、と知っている。なるようにしかならない、とも。

そう思えるのは、人に甘えられるようになったから、というのはある。
悩んだら、困ったら、どうにもならなくなったら。「助けてください。今、困ってます」と正直に言えるようになった。
それって本当に、本当に大切なことなのだ。

公開中の映画「コットンテール」の話をします。
話の根幹にかかわるネタバレではないけれど、一つ場面を引用するので、見る予定があって一切の情報を入れたくない方はここで引き返してください。

映画「コットンテール」のある場面で、リリー・フランキー演じる主人公が、窮地に陥って"助けてください"と人に訴える場面がある。
私はその場面を思い返して、ああ、あの主人公はなかなかに難しい人ではあったけど、なんだかんだそう言えるからきっと……、と思った。
助けを求めることになった経過もそれなりに自業自得ではあったんだけど。
映画の話は以上です。

助けて、といいたい場面で逆に意固地にだんまりしてしまう人って、いる。
自尊心と良心によって(そう、良心によってだ)、自縄自縛になっていく。
人はこんなにもゆっくりと着実に自分を追い詰めることができるのだ、と唖然としてしまうような。

助けを求める。弱さを見せる。甘える。
それらは自分の中にある、できれば直視したくないものを受け入れた上で、ようやくできることかもしれない。
それは時に汚さを素手で拾い上げるような行為だ。
やがて、その汚さに慣れる悲しみもあるのだろう。
それでも、汚さを引き受けてでも楽になれるならそれでいいじゃないか。高潔さに苦しみ続けるよりいいじゃないか。あの人に、そう思わずにいられない。

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