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「わからないこと」を、さも「わかったように」
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高圧送電線の下は、強い電磁波があって、人体に有害だという噂がある。
科学的には証明されていないという。なのでとくに問題はない、というのが国や電力会社の見解だそうな。
携帯電話が普及しはじめたころ、長い時間通話していると、電磁波が脳に悪影響を及ぼすという噂もあった。ネット検索してみると、噂は消えたわけではなさそうで、電磁波対策機器を売る会社も現存している。そういえば電磁波に攻撃されているらしいパナウェーブ研究所っていう宗教団体もあったな。どうなったかしらん?
「科学的に有害だとは証明されていない」ということは、
もちろん「無害だと証明されている」わけでもない。
わたしには知識がないので、事の真偽はまるでわからない。
電磁波に限らず、化学薬品や放射性物質なども、よくわからないことが多い。危険だと言われると、そうなのかな?とつい不安になる人は多いだろう。
今回のコロナ騒動でも、ワクチンを危険視する人はかなりの数いた。
それは情報を流す人がいるからだが、専門家(医者)でそういうことを言う人もいる。公認されない明白なエビデンスがあってそう言うのか、なにか別な意図があってなのかはわからない。
化学薬品だって、放射性物質だって、ワクチンだって、リスクがゼロだなんてことはありえないので、危険性があるのは確かだろう。問題は、どのていどのリスクなら許容できるのかという話だ。
だいたいこういう手合いのことは、安全だと言う側にも、危険だと言う側にも、同じようなバイアスがかかっているんじゃないかな。原発を巡る問題なんかがわかりやすい例かもしれない。「とりあえずは安全でしょう」という話がいつのまにか「絶対に安全」にすりかわったり、「危険性があります」という話が「即刻廃棄すべき」にすりかわったりする。
この世の中わからないことはいっぱいあって、・・・というかわかっていることよりは、わからないことのほうが圧倒的に多いのに、つまり白黒つかずにグレーであることがほとんどなのに、ちょっと冷静に考えればそうであることをみんな知っているはずなのに、人間というのはグレーを許容することが苦手で、ついつい白なのか黒なのかという話に引きずられてしまう。
たしかに勧善懲悪「水戸黄門」、善と悪がはっきりしていると、とてもわかりやすいし、とても安心するし、そういうのが好きなのは致し方がない。だれが悪者か最後までわからないようなドラマは、だれも見たくない。あえて不条理感を楽しむ趣向もあるけれど、それでも筋を複雑化することはあっても、ラストではカタルシスを用意しなければドラマにならない。
現実は、創作されたものではないので、本来的にカタルシスはやってこない。現実の世界にもあるように見えるカタルシスは、実際に起こったことに対して、だれかが与えた物語のなかにしかない。だから人間は、小説や芝居やドラマなど物語を欲する。カタルシスを得て、精神のバランスをとる。
あ、でも、そもそも人間は、物語のなかでしか生きられない。それが現実だともいえるだろうか。
いずれにせよ、世の中、わからないことでいっぱいである。