研究とは
卒論、修論の季節ですね。余裕という人もいれば逼迫している人もいるでしょう。まず最初に断っておきますね。
下の文章はコピペです(遥か昔、どこで見つけてきたのかさえもはや記憶の彼方にあるものをここで勝手に載せることは失礼極まりなく、人倫に悖るとさえ思いましたが、もし「私が書いた」というご本人がおられれば、ぜひお名前を(こっそりでもいいので)教えてください。私自身多大なる恩恵を受けた一人として謝辞を述べたいので)。※誤字・脱字等については適宜修正を入れています。
以下の文章は主に人文社会科学系の観点で書かれてはいますが、ディシプリンに関係なく研究者としての態度や資質についてのみならず、アカデミックライティングの基礎と真理とが含まれている名文です。本文は研究計画書の書き方を念頭に置いておられる印象も受けますが、内容そのものはほぼそのまま学位論文の執筆に適用できます。これをお書きになった方はきっとどこかの研究機関なり、大学のテニュアトラックに就いている方でしょう。また少なくともこれらを十全に達成できている人は学振からお給料を頂いていたり、Ph.Dの資格なりを得ているはずだと思います。内容にも依りますが、しかし学部レヴェルでの卒論、卒研においてもこの教えは心の片隅に置いていてほしいと思います。研究、及びその成果物たる論文を書くという営為の本質とは、自己の思考と認識を極限まで対象化して表現する、ということに他なりません(なんか説教じみててえらそうにすみません)。
研究の背景
このセクションの目的は、1)あなたの分野でこれまで蓄積されてきた文献と、2)あなた自身の研究の関係をはっきりさせることにある。学術の世界においては、勝手に新しいことを言うことができない。これまで言われてきたことを踏まえて、発言しないと、無視されてしまう。また、あなたの論文は、すでにあった知識をどのように発展させるか、、、というのをまずは宣言しなければならない。
ものすごいことを宣言する必要はない。すでにある文献をちょこっと発展させるだけでよい。(ものすごいの研究をしているのなら、研究計画よりも先に、特許申請のことを心配したほうがよいのではないだろうか。簡単なのは米国で仮申請してしまうことだ。)
研究の背景が事実上のイントロとなる。一遍に何本もの研究計画を読まなければならない審査員は、イントロを読むことによって、その後の文章を真剣に読むかを決定する。ここでは、イントロ構成の一つの例を紹介する。名づけて心理作戦イントロ。このイントロは4つの部分からなり、それぞれの部分が読者の心理に働きかけるように構成する。
ステップ1.テーマに選んだ現象がいかに、人々や社会を苦しめているかを述べる。(これによって、着想にいたった経緯を語る。)
ステップ2.分野においてすでに確立されている説を紹介。 (これによって「研究計画の背景」を述べることになる。)
ステップ3.読者に不安定感を与える。 (問題点と解決すべき点を示唆することになる。)
なぜ、その従来の理論では駄目かを幾つか述べる。
なぜ、その従来の理論をそのまま放置しておくと、どんな悪害があるか述べる。
ステップ4.最後に、この研究計画のなかで何をどのような手順で述べ、何を明らかにすることで、上で述べた説を改良するのかを約束する。(解決すべき点を具体的にどうやって、解決するのかを述べることになる。)
ここで、一つ一つのステップを詳しく説明してみる。
ステップ1 テーマに選んだ現象がいかに、人々や社会を苦しめているかを述べる。
医学系であれば、とても簡単だ。「日本において癌はXXX人の命を奪う、、、にも関わらず、まだまだ癌発生のメカニズムは発見されていない」という具合だ。社会問題を扱う社会科学系でも簡単であろう。「いじめは深刻な問題である。統計によると、、、、」
人文系などでは、いかに、あることの理解を深めると国民がそのことをよりよく理解できるか、、、というような感じで書くと良いかもしれない。
言い換えれば、このセクションはいかにあなたの研究が「大きなインパクト」を持つかをアピールするのである。そして、いかにあなたの研究が多くの日本国民を助けるかをアピールするのだ。これを「着想にいたった経緯」として語ると良い。
ステップ2
さて、上で紹介した現象をどのように料理するのか。この紹介によって、まず読者に方向性を与える。「この研究計画ではXXをXXの観点から、XXX説明する。」とかなんとかいう感じ。2、3行。読者は心理的に、ここで安定感を得る。歌のイントロと同じだ。どんな拍子でどんな感じの歌になるかという情報を与えるという点で、歌のイントロと研究計画のイントロは似ている。
ステップ3
次に、読者に動揺、不安定感、危機感を与える。分野においてすでに言われていることを述べるわけだが、その際にはっきりとは言わないが、これから批判しますよというトーンで書く。「この分野において、XXXということが言われている。」
この直後に、読者になぜその理論ではだめかを、通告するのだが、前の部分で、なんとなく雲行きが怪しいと思っていた読者は、ここで「来たな」と納得する。(この部分で、読者は「私の直感も捨てたものじゃないな」と感じ、その充実感が、次の文章を読むパワーに繋がる?)
さらに、なぜその理論のままだと、だめなのか、悪害があるのかを述べる。ここで、読者に伝えるのは、絶対の絶対の絶対に、従来の理論に甘んじていては実害があるということ。ここで、読者は恐怖のどん底に突き落とされ、君の理論なしには、君の分野の未来はないと感じる。
ステップ4
さて、イントロの最後だ。筆者自身が今から何を、どの順番で話すのかを述べる。約束の時間である。「以下において、XXXをXXXの方向から考えることによって、XXXを明らかにする。」そしてアウトラインを簡単に述べる。最後に、簡単に、この研究の理論的、実際的な貢献を短く説明する。ここで、読者は、希望を与えられたようになるだけでなく、研究計画の目的を確実に理解する。
研究目的、内容の書き方
これは6つの部分からなる。
l ごく手短に、直前にのべた研究目的に触れる。
l 先行研究 (またの名をFRAMING)
l オリジナルな理論
l 仮説
l 準備分析
l 結論
分野によっては、この形式にはまらないことがあるが、とにかくはめて書く。ここで紹介する形式は、太古の昔から学問の世界で使われている。一番、人間が理解しやすい形式がこれである。
· ごく手短に、直前にのべた研究目的に触れる。
まず、ちょっとしたまとめから始める。選考委員が常に、すべて書いてあることを読んでくれると思うのは甘い。ときどき、まとめをいれることで、それ以前を読んでなくても、ある程度、流れが分かるようにする。
· 先行研究 (またの名をFRAMING)
次に先行研究だ。ただ、実際の論文の先行研究とちがってスペースが限られているから、ながながとできない。この部分はFRAMINGという機能をもたせる。FRAMINGというのは、どのようにこれからとりくむ問題をFRAMEするか、料理するか、整理するか、、、ということだ。
先行研究・FRAMINGの語り口にはいろいろなパターンがあるが、いずれにせよ、大きな背景からはじめたい。英語でいうと、BIG PICTUREからはじめたい。
FRAMING要領1
1.世間では(学会では)このようなことが重要しされている。
2.それについてAはこういっている
3.それについてBはこういっている。
3.両方に、欠点がある。必要なのはAとBを合体させることだ。
FRAMING要領2 本当かどうか
1.こうこうこういう重要な問題がある。
2.それについてAはこういっている。しかし、それは理論だけで証拠がなかなかでていない。
なぜか?
3.それは、こういう視点がたりないからではないか?
4.私は、Aの理論をこの視点から洗いなおすことにする。
FRAMING要領3 フーコーの好きな歴史の人がよくやるパターン
1.こうこうこういう重要な問題がある。
2.Aはこんなすごい理論で、理論的影響をあたえた。
3.私はその理論を借りて、XXについての解釈を考え直したい。
4.するととても新しいものが見えてくる。
FRAMING要領4 ミクロとマクロの統合パターン
1.こうこうこういう重要な問題がある
2.ミクロのレベルではこういわれている。
3.マクロのレベルではこういわれている。
4.ミクロとマクロを統合するような理論が必要である。
FRAMING要領5 ブラックボックスの比喩
1.これまでの理論は、現象を外から眺めてきた。
2. 例えば、XXXという現象はYYYといううつわの中で起こるのにもかかわらず、YYYの内部にたちいった研究は行われていない。
3.つまりこれまでの研究は、YYYをブラックボックスとして扱ってきたのである。私の研究は、このブラックボックスの内部のメカニズムを検証することにある。
(教育社会学で、よく学校をブラックボックスとして扱うな!ということを言います。マイノリティの子供のドロップアウト率が高いときに、学校のマクロ的な特徴(例えば図書館の本の数とか、先生たちの資格とか)ばかり気にして、実際の教室内部でおこる社会組織的なダイナミックを無視した研究が多いのです。それはデータがとりにくいからということが主な理由だと思います。こういう状況をブラックボックスの比喩をもちいて批判できます。)
FRAMING要領6 方法論的に間違っているのだ、、、という指摘
1. ある問題はもっぱら量的手法(例 統計学)によって分析されている。
2. しかし、量的手法では、この問題は分析できない。なぜなら、、、
3. 質的手法を使うならば、よりよく分析できるのだ。なぜなら、、、
4. 私は質的手法を使うことによって、この問題を新しい観点から見直してみたい。
FRAMING要領6 異なった方法論がいる!
社会科学において、質的研究と、量的研究というのがある。インタビューやエスノグラフィーなどの質的研究のみしかされていないテーマに関しては、それを批判したうえで、量的研究(サーベイ、統計をつかったもの)を提案するとよい。その逆もありうる。社会科学だと、こうだけれども、その他の分野でも手法に関する議論があるのではないだろうか?
· オリジナルな理論
次は理論である。オリジナルなものでなければ、銭をもらう資格なしである。奇抜でなくともよいが、はっとさせられるものでなければならない。オリジナルな理論構築の方法については、ページを他の場所にさいているので参考にしていただきたい。
理論とは単なる描写ではないし、「XXを理解する」というあいまいな言説ではない。理論とは、なぜ君の興味の対象である現象が起こるのかということに関する説明である。その例:なぜ日本茶は体にいいのか?これらの設問にたいして答える試みを理論と言う。たいてい全てのことは言い尽くされているから、それほど奇抜なことは言えないにしても、独特のアプローチによってその現象を説明するという具合になる。
また言い換えれば理論を構築するとは、メカニズムを考えるということでもある。なぜガンになるか?何がどうなってこうなるからがんになるのかを問うことがメカニズムを問うということである。もちろん、世の中の現象はそう簡単には語れない。しかし、研究計画という限られたスペースにおいては、現象を簡略化して考える必要性がある。(簡略化したということにかんする反省は最後のConclusionで触れる。)
ただオリジナルな理論とはいえ、全く新しいことを提案するというのは、殆ど無理である。(もし、万が一にものすごい理論を提案するのであれば、学振の申請書を書くよりも、まずは、特許申請などを心配したほうがよいだろう。)特に人文系や社会科学系では、全く新しい理論を打ち出すのは、学問の仕組み上無理だと思われる(これについてはまたどこかでまとめたい)。
とりあえずは、小さな理論でよいのである。今まで分かっていることがすでにあって、それをちょっと前進させるという感じで良い。勝手に例を作り上げてみよう。お茶を飲むと、ある病気が減ると分かっているとしよう。そしたら、それが男女変わらず効くのか、人種を超えてきくのか、お茶の種類によってどうなのか、、、など、小さなことが分かっていないとする。そういうのを取り上げてきて、理論にしてしまうのだ。例えば、なぜ効果に男女差があるかを理論化してみるのだ。
社会科学などでよく使われる理論的展開を紹介しよう。これは、シカゴ大学社会学部のアボット先生の本の受け売りであるから、きちんと引用先を示しておく。
ANDREW ABOTT
Methods of Discovery: Heuristics for the Social Sciences
この本は、社会科学のリサーチのアイデアをどうやったらうまく生み出すことが出来るかに関する本だが、実際は、内容は欝になってしまう。氏が社会学の代表的、古典的リサーチとしてあげている内容が結構、姑息な感じのするリサーチだからである。私の主観かもしれないが、「そんなことリサーチせんでも、分かるのではないか、、」というようなことが、創造的な理論として紹介されている。
少し例をだす。ハリソンホワイトという社会学者は、人が職業的地位を上げていくプロセスを研究した。経済学者であれば、人の職業的地位は個人の人的資本によって決定されるとする。しかしホワイトが発見したのは、実は、個人の昇進は、ポジションの「空き」があるかどうかによるのである、、、と。
こんなんでよいのかな、、、という気持ちがするが、とりあえず、こういうのが社会学では創造的な理論的営みとされている。とりあえず、こういう考え方を真似ることで、「想像的」な理論を考えてみたらどうだろう。
とにかく普通言われていることを逆を考えてみるのである。誰かが、教育には、社会資本(助け合いなど)が大切だと言っているならば、その逆を言う。あるいは、場合によっては社会資本があだとなる、、というような理論を考えてもよい。
りんごが体によいという理論があるならば、りんごが体に悪いという可能性を理論として打ち出すのだ。
ただし、自然科学でこれをやる必要はないかもしれない。自然科学においては真理を素直に追究すればよいのではないだろうか。人文や社会科学などでは、上に書いたような「創造性」が結構受ける。
· 仮説
次は仮説である。上に述べた理論が正しかったとすれば、このような結果を見るであろうというような仮説を幾つか紹介することによって、審査員は具体的に君の研究計画を理解する。
ただし、分野によっては仮説というかたちでは、表現しにくいことがある。文学や人類学においては、原因と結果の関係を知ることが、必ずしも第一の関心時ではない。第一文献の世界に身を投じたり、あるいはフィールドにはいっていって、ゴリラとともに生活しながら、ゴリラの社会生活を調べ、描写することも研究の様式であろう。
その場合は、「リサーチクエスチョン」というモードで仮説を語るとよい。次のような感じである。
1、ゴリラはどのような共同生活をしているのか。
2、ゴリラは葬式をするのか。
3、ゴリラにとって男らしさ、女らしさとは何か。
もちろん、質問を並べるだけでなくて、なぜこれらの質問が大切なのかというのが分かるような筆の運び方をする必要がある。なぜ、これらの描写が大切なのかをちゃんと言えないといけないが、このようなリサーチクエスチョンは、きっとゴリラを深く理解することにつながるのであろう。
· データと方法
データそして、いかに自分の仮説をテストするかを簡単に述べる。根本的に考えてどのような結果があれば、君の仮説が確認されるのかを書く。以下のような構造をこの部分にもたせる。
· データ(何を集める?どうやって集める?)
· 方法(手法は何を使う?何を計る?平均を比べる?)
· どういう結果がでたら、理論がサポートさせたことになるか
こういう筆のすすめかたは、理系だけではなく、文系であっても必要だと思われる。例えば、夏目漱石の文学を研究するとするならば、夏目漱石の作品がデータであろう。また、特に漱石の作品のなかの、どういうシーンが分析対象のデータになるのであろうか。
方法論とは、以下に、自分の唱える理論、あるいは理論的修正を証明するかに関する方法である。科学においては、すでに方法論が確立されているので、簡単に書くことができるだろう。いろいろ難しい方法はあるにせよ、統計を使うのであれば、結局のところ平均を比べるということだ。例えば、肥料を与えた田Aと肥料を与えない田Bではどちらが収穫量が多いかというと、結局のところ、収穫量の平均を比べるということだ。
ただし、平均を比べますでは、芸がないので、難しい統計モデルなどを使うのであれば、簡単に名前を触れておく。分野ごとに、ホットな方法論がある。例えば、アメリカの教育研究であれば、HLMを使いますというと、審査員がなんとなく納得する。もっと一般的な社会科学ではGISが脚光を浴びている。GISを使いますというだけで、審査員の関心をつかむことができるかもしれない。
· 準備的分析
さて、これは結論の直前で書く。理論や、仮説、データなどなど全てを言い切ったあとだ。君の理論や考え方があまりに想像的なので、読み手はちょっといやがるかもしれない。「確かに面白く、こういう研究があってもいい。でも、本当に奴が言ってるような結果がでるのか?銭を投資するにはちょっとリスキーじゃないか。」こういう読者の警戒心をほどいてやるには、ちょっとした分析結果に触れることが重要。詳しくなくとも良い。1パラグラフぐらい。
第一の効果、君がそれまで書いてきたことをどのように分析するのかということが具体的に読者に伝わる。例えば、[スイカが精神に与える影響]というテーマでやってるとしよう。ちょっとした分析に触れれば、読者は次のことを知る。君がどのように、いろいろなコンセプトを数量化するのか、どのような仮定をするのか、どのような手法を使うのかということ。これらのことは、副産物。
本当の理由:結果を示すことにより、君の理論にも一理あるんじゃないかなーってことを、ほのめかす。
· 結論の書き方
Ø テーマ、アプローチの再紹介
Ø 準備的分析の結果を簡単に述べ、以下に、自分の考え方をサポートしたかを書く。
Ø 反省の時間(自分の理論の弱点について述べる)
Ø 理論的貢献
Ø 政策的貢献、実際的貢献(どのように世の中のためになるか)
Ø 今後の研究の方向
Ø テーマ、アプローチの再紹介。くどくなってはならないが、読者がここまでの君の研究計画をまじめに読まなかった場合を想定して、丁寧に全体をまとめるような文章を2、3。(万が一にも、もう一度まじめに読んでみようという気がおきるかも)。まじめに読んでもらった場合でも、まとめは必要。
準備的分析の結果を簡単に述べ、いかに、自分の考え方をサポートしたかを書く。これは、謙虚に書く。なんでもかんでも、最初からうまくいっていると、少し不自然。いろいろ問題はあるが、いちおうは自分の提案している理論的考えに大きな意義を唱えるようなものはなかったというぐらい。
反省の時間(自分の研究の弱点について述べる) 自分の研究の弱点を知ることが実は、「強み」である。弱点をかくすことは、学問の発展をさまたげる。特にあとに続いて研究をする人たちが、この研究の弱点を知っていれば、自分のリサーチを発展させる上で役にたつ。
弱点はいろいろあるだろうが、方法論的なことをながなが書くと、読むのがしんどい。そういうテクニカルなことは短く。特に、理論的に、君が今回の研究計画においてはフォーカスを絞ったので、君の理論以外にありえるファクターを軽視したということを言うとよかろう。研究対象となる現象は(理系、文系にかかわらず)複雑であり、自分の理論にはなかなか乗らないが、これからはじめる研究においては、その他のファクターもじっくり見ていくということを言うのがよい。
理論的貢献は、おそらく最も重要な部分であるが、もう述べているはずなので、3つか4つぐらいの分かりやすい文章でまとめる。
政策的貢献、実際的貢献(どのように世の中のためになるか)。これは、まだ述べていない。いかに、世の中のためになるのかについて、語れなければ税金をもらう資格がないので、がんばって書く。ただ、アカデミアのもっとも重要な仕事は理論構築と検証であるから、具体的な貢献だけしかないというのは絶対困る。
今後の研究の方向。これからどのような手順によってリサーチをすすめていくかをに簡単に述べる。年次計画の欄で詳細することができるので、はぶくこともできるが、研究計画の最後の文章なので、いい印象を残したい。新造の船が、大海にむけて、港をでていくイメージをのこしたい。
…いかがでしたでしょうか。特に研究職を志している方々には刺さるところが多かったのではないかと思います。文理問わず、「研究」という営みについては大半が「99%のリスペクトと1%のオリジナリティ」が要求され、なおかつ大変地味で地道で孤独な作業が必要とされることを理解して頂けるかと思います。
大学によってはもう締め切っているところも多いと思いますがこれからの人は、悔いの残らないように、全力で思いの丈を論文に(ロジカルに)ぶちまけてください。そして提出する前に必ず研究室やゼミの先輩・同期、可能であれば指導教官以外の先生に一度読んでもらっておいてください。完成度が桁違いに変わります。
(こういう事態を回避するためにも…)
また書き終わっている/書き終わった方は口頭試問の仕込み作業に取りかかっておられると思います。主査・副査の教授陣に様々な角度から銃弾の雨を浴びせられると予想されうる方は特に、読み手各人の専門を想定したツッコミを個別的にシミュレートして問題点を箇条書きにしたメモを用意するなど、仕込みを念入りに行って下さい。論文の中で十分に書ききれなかった事も口頭で補足する機会もあるかもしれません。「試問が終わるまでが論文」です。超レアケースだと思われますが私の時には自分の論文もメモも持ち込まずに試問に臨んだ先輩がいました。よほど自信があったのか、はたまたうっかり忘れてしまったのか定かではありませんが、修了式に彼の姿はありませんでした。
これから臨まれる皆様の健闘をお祈りしております。