がんばれない
せなちです。
なんでこれを見ようと思ったの?不思議だね。
私の名前は「せなちがんばれない」です。
知ってると思うけど。
なんで「がんばれない」なのか。
私は複数の病気を抱えています。
まず、双極性障害。いわゆる躁鬱。急速交代型。
14歳の頃から、躁状態 鬱状態 混合状態 寛解期を繰り返している。
動けなくなってご飯が食べられなくてお風呂なんか入れるわけもなくてリスカODお酒が止められなくて日常がままならない時、常に高揚してて誰とでも話せて寝る暇もないくらいのアイデアが浮かんできて馬鹿みたいにお金を使って毎日働いて活動的になる時、気持ちは死にたい人生辞めたいだけど身体は活動的だから自殺未遂を繰り返す時、特に希死念慮もなくて活動的だけど病的ではない時。
この病気に対して薬も服用しているけれど、特に効果があるとは思えない。1番困っている、私を掻き乱してくる病気。
次に、ADHD。
私の場合、注意を持続することが出来なかったり、時間の計算が出来なかったり、黙って座っていたり立っていたりすることが出来なかったり、並んだり待ったりするのが出来なかったりする。
診断されたのは21歳の時だった。
テレアポのバイトをしている時、ずっと座って電話をかけ続けるのがとても苦手だった。脚に電気が走るような感覚、発狂しそうなほど座っているのが苦しくて辛い。頻繁にトイレに逃げていた。
ADHDの薬は一通り試したが、どれも効かなくて今は何も飲んでいない。
次に境界性パーソナリティ障害。
ものの捉え方や行動の偏りが大きいために人間関係を円滑に築くことが出来ない、衝動的に自傷行為を行う、見捨てられることを過度に怖がる、怒りがコントロールできない、ある時は一方的に愛情を求めるが次の瞬間幻滅したり拒絶する、依存性etc…
とても難しい障害だ。
でも、私はこの障害を性格だと認識している。
すごく大好きだった友達でも突発的な感情で縁を切ったり、自分の思った通りにいかないと「死ぬ」と脅したり、人に依存しすぎてその人がほかの友達と遊んでいるとすごく怒りが湧いてきたり、本当に自分でもどうしようもない気持ち悪い性格だ。
でもそんな自分の性格と上手く付き合っていくしかないのだ。
次に、醜形恐怖症。
物心ついた時から自分のことを醜いと思っていた。16歳の時から美容整形を繰り返していて、今も続けている。今後歯科矯正をする予定。でもきっと、思いつくものをいくら施術したとしても私は自分のことを好きになれないんだろう。
今まで何枚鏡を割っただろう。今まで何度容姿のせいで身体に傷をつけたか。
どれだけ整形しても、加工しても、かわいくはなれない。他人に「かわいい」と言われても信用出来ない。PARCOにあるようなエスカレーター横の鏡が見れない。怖い。
伝わらないかもしれないが、本当に私を蝕んでいる病気だ。
次に、パニック障害(広場恐怖症)。
これは私の場合、醜形恐怖症も関係していると思う。
公共交通機関や人のたくさんいるところに行くのが怖い。みんなに見られている。馬鹿にされている。ブスだと言われている。デブだと言われている。ダサいと言われている。死ねばいいのにと言われている。
….段々と息が浅くなっていく。息を吸う、息を吐く。その行為が出来なくなる。溺れている感覚。目の前がぼやける。立っていられなくなる。苦しい。誰か助けて。
またあの苦しさが起こるかもしれない。怖い。
だから私は全てのバッグにヘルプマークをつけている。
他にも病気はあるが、書くのがだるいので省略。
始まりは14歳、起立性調節障害→バカデカ鬱になり昼夜逆転 不登校 自傷行為おばけになっていた。いくら気持ち悪くなって何度も吐いても市販薬ODが辞められなかった。リスカが生き甲斐だった。
15歳、全日の高校入学。新しい環境、躁状態でたくさん友達が出来てバイトを始めて友達と買い食いをして好きなバンドのCDも買えるようになって。
16歳、友達に依存しすぎて関係が崩れ、それと同時に鬱状態になり自主退学。4月に定時制高校入学。コンカフェ嬢になる。あの時の私はコンカフェなんて言葉知らなかった。それまでレストランとテレアポでしか働いたことがなかった私にとって、コンカフェは甘い世界だった。終業後バイト仲間たちと相席屋でお酒を飲む。タバコも覚えた。処方薬ODで記憶が無い間にバイト仲間がプライベートで客に会い、一緒にいたという理由で誕生日の次の日にクビになる。
17歳、テレアポの件数に依存する。学校にはほとんど行っていなかった。行ったとしてもトイレでリスカしたりODして学校に行って保健室で寝たきりだったり。毎日その日に取らなきゃいけない契約の数を計算して、多動に苦しめられながらアポを取り続ける。1位になれそう、この調子でいけば1番になれる。0.02件差で1位になれなかった。私の中で何かが崩れた。
18歳、通信制高校に転校し、夜職を始めた。小さな店だった。ドレスを着飾って、お酒を作って乾杯をする。大袈裟な相槌を打ちながら相手が何を話したいのか、グラスは空になってないか、灰皿は交換しなくてもいいか、全て確認する。この仕事は私に合っていた。週2勤務だったが、1年半続いた。
19歳、一緒に暮らしていたうさぎが死んだ。比較的寛解期だった私にとってショックが大きすぎた。もうあの場所に君はいない。何日も泣き続けた。鬱に落ちた。自分も死んで会いに行こうと何度も思ったが、実行する元気もなかった。君のこと忘れてないからね。
20歳、ラブラビで働くことになる。綺麗でかわいい店内、かわいい制服、かわいい女の子、私が病む理由なんて言うまでもなかった。あの子はかわいいのに。私は面白い話もできない。卑屈になっていった。店でパニック発作を起こし、一緒に面接を受けた友達に「今新規のお客さんに着いたら店に迷惑をかけるかもしれないから」と、来店予約をしてくれていたお客さんのところに着こうとしたら、プロデューサーに「セナちゃん帰っていいよ」と言われた。「病気のせいでお客さんと話せないんでしょ」。はめられた。誰も信用出来なくなって辞めた。高校を卒業した。鬱が酷かった。
21歳、あくあんじゅに紹介で入店する。大好きな友達と毎日会って、そこそこ働いて、そこそこ稼いで、たくさん遊んで、好きなバンドのライブに遠征して、躁状態で楽しかった反面、キャスト間のいざこざで店を辞め、鬱に落ち、何回も搬送されて、親を困らせた。
22歳、B型作業所で働き始める。夏は最悪だった。毎日リスカ酒メジコン、家族に押さえつけられ殴り蹴り殴られ蹴られ。お風呂に入れず母親に髪を洗ってもらい乾かしてもらっていた。部屋に鍵をかけて練炭を炊いた。母親に窓を外され未遂に終わった。自殺しようとしていたら精神科救急病棟保護室に入れられた。6泊7日。シャワーもタバコも酒も薬もiPhoneも、あの檻の着いた小さな部屋には何も無かった。泣いて泣いて目が腫れた。外に出られた時は本当にメジコンやめよう、と思った。
現在。在宅でB型に通所?しながら障害年金を受けて生活している。親が薬を管理している。親に病院に連れて行ってもらっている。親に家事の全てをやってもらっている。これを書いている今は鬱状態ではない(躁状態が終わった)が、母親のサポートがないと何も出来ない。躁状態でお金を使いすぎて首が回らない。
がんばれない。がんばりたいけどがんばれない。がんばれないって、がんばるより辛いの。明日はあれをやろう。明日こそは。
今日もできなかった。明日はもっと自分が嫌いになるのかな。もう死にたいな。全部辞めたいな。あの子はこんなにがんばってるのに。なんで自分はこんななんだろう。なんで………
そんな私の人生に、あなたが現れてくれてとても感謝してるよ。出会ってくれてありがとう。
自己紹介でした。読んでくれてありがとう。