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「地域共生」は最後の希望か | MOVE ON 2020 | Vol.1
「社会福祉法人ゆうゆう」は過疎化する北海道当別(とうべつ)町の地元経済に活力を与え、福祉を福祉のなかで完結させない支援の輪をひろげてきた。先駆的な地域共生型拠点事業が注目を集め、全国から視察が集まる。連続講座スロージャーナリズム1回目は「地域共生は最後の希望か」。同法人理事長の大原裕介さんに話を伺う。
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大原 裕介(おおはら ゆうすけ)
1979年札幌生まれ。2003年に北海道医療大学ボランティアセンターを設立。その後、NPO法人当別町青少年活動センターゆうゆう24(現在「社会福祉法人ゆうゆう」)を起業。人口減少時代における、あらゆる住民がそれぞれの立場を超えた支え合いによって福祉的実践を構築する共生型事業をつくりつづけている。
この町でもっとも困っているひとは誰か
社会福祉法人ゆうゆう理事長の大原裕介です。ゆうゆうは2003年に北海道石狩郡当別町にある北海道医療大学のボランティアセンターとしてスタートしました。
当初は障害のある子どもと保護者のためのサービスをしていましたが、現在は子どもからお年寄りまで、障害のあるなしに関わらないあらゆる人が支えられる地域づくりを目指しています。
とくに力を注いだのは地域住民と一緒に行う「地域共生型拠点事業」です。先駆的な取り組みと評していただいています。
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みなさんは自分の住む町で障害のあるひとを見たことはありますか?僕が大学生だった頃、当別町では障害のあるひとを見かけることはほとんどありませんでした。
あれから20年、ぼくらは一貫して「福祉を可視化する、ひらく」ということに取り組んできました。北海道医療大学のボランティアセンターの立ち上げをきっかけに「この町でもっとも困っているのはどんなひとですか?」と、個人や関係者に聞いてまわりました。すると、もっとも深刻に困っているのが障害のある子どもの親御さんたちでした。
以前の当別町には障害のある子が養護学校を卒業したあとの行き場所がありませんでした。ほかの町に出ていくか、自宅で家族と過ごすしかありません。ダウン症の子どもを育てるお母さんは「できるなら息子より長生きがしたい」と言います。
「私のことを悪人だと思ってくれてもかまわない。けど、私は自分より先に子どもが先立つことを望んでしまう」
相談できる場所もなく、障害児のための社会資源もない。この町は、お母さんの悲痛な声にこたえてこなかったのです。
福祉を可視化する・福祉をひらく
![ダウンロード (20)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/44796081/picture_pc_6c27280c6f11e19ee2501d826786730d.png?width=1200)
ぼくらは商店街の空き家を使って、障害のある子どもを預かるレスパイトサービスをはじめました。レスパイトとは小休止のことです。僕らが子どもを預かっている間に親御さんが休んだり、病院に行ったり、他のきょうだいのための時間を過ごすことができます。確実にニーズがあると思ってはじめましたが、なぜか利用者が集まらない。
「なぜサービスを利用しないんですか?」と尋ねると、「大原くん!ここは場所が悪いわよ」と言われました。「こんな人目に付く商店街ではなくて、人目につかない場所でやってほしい」というのです。
その当時は障害のある子どもを隠そうとする風潮がありました。人目につかないところで預かってくれるなら子どもを預けたいのだと。そもそも、障害者施設や介護施設などは人目につかない場所にありがちです。そこに出入りするのは利用者、職員、関係者、たまに来るご家族だけ。見えないように隠すのが福祉なのでしょうか。そんな福祉は異様です。
ぼくらは活動場所を変えず、預かった子どもたちを町の公園やプールに連れていくことをしました。この子たちの存在を町のひとに知ってもらおうと考えたからです。
障害のある子どもたちと一緒に町に出るようになると変化が現れました。不登校の子どもを抱えた親御さんから相談を受けたり、親の介護に悩む家族から相談をしてもらえるようになりました。
もっとも困っている人にあわせたサービスをつくると、いろんな困りごとを抱えている人が集まってくるようです。この一連の経験を通じて、福祉とはそういうものだと学べたように思います。
困っている人同士を結びつける発想
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「少しの間、0歳の赤ちゃんを預かってもらえないだろうか」
「困窮家庭の子どもたちの学習をみてやってほしい」
「発達障害の子どもの放課後の居場所がなくて困っている」
寄せられる相談に対して、ぼくらだけでは対応できなくなってきました。それでも断らない。さて、どうするか。
赤ちゃんの預かりについて、ぼくらは障害のある子のお母さんたちに「手伝ってもらえないか」と相談をしました。お母さんたちは「自分の子育てに自信がないから…」と最初は断られましたが、頭を下げて「なんとかお願いできないか」と伝えたところ、引き受けてもらうことができました。
赤ちゃんを預かってもらったところ、お母さんたちに変化がありました。障害児を育てる中で自分を責めていた気持ちがほぐれて、自尊心を取り戻しているようにも見えました。誰かを支える経験が心をほぐしたのです。
専門家は福祉サービスに繋げることが仕事だと思いがちですが、サービス漬けにする方法はいつまで持続できるのでしょうか。人もお金も減っていくなかで先が見えています。地域につなげる発想が必要です。
困窮家庭の子どもたちには、年配の女性が書道を教えてくれることになりました。この女性はもともと小学校の先生をしていたこともあって、また子どもを教えることができると喜んでくれました。発達障害の子どもは「勝ち負け」へのこだわりが強く、放課後等デイサービスで専門的な療育を受けていました。しかし、囲碁が得意なおじいちゃんに囲碁を教わるようになると「ぼくを弟子にしてください!」と、おじいちゃんから囲碁や礼節を学ぶようになりました。おじいちゃんも得意げです。
困っている人同士を結びつけると、困っていたひとが困っている人を助ける存在になります。私たちが考える共生型の理念はここにあります。
過疎地での「地域共生」実践から見えてきたこと
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社会福祉法人ゆうゆうの事業所は、現在は当別町に10カ所、隣町に3カ所、東京に2カ所あります。私たちの拠点のひとつ「ぺこぺこの畑」は、障害のある人が和食料理を提供するお店です。当別町の基幹産業は農業なので地元の食材を使った料理を提供しています。
レストランの他にみんなが集まることができる地域のプラットフォームもありますが、ここでのイベントはソーシャルワーカーが企画や運営をするのではありません。退職後に地域のために何かしたい団塊世代のひとが担い手になっています。
なんでもプロでやろうとするのはなく、そのひとの年齢や立場や想いをくんで、コーディネートしていくことが必要です。
これからは農業に力をいれようと思って、使われなくなった田んぼ8ヘクタールを購入しました。田んぼを購入する際、土地の持ち主は「私たちの代で耕作放棄地にするのは先祖にあわせる顔がない。本当にありがたい」と泣いて喜んでくれました。
この田んぼでは、重度障害のひとたちが米や野菜をつくっています。写真で見てもわからないと思いますが、極めて重い障害の人たちです。ここでつくったお米や野菜(1次産業)を加工して(2次産業)、流通や販売を行い(3次産業)、これらをかけ合わせた6次産業として提供する仕組みができないだろうかと考えました。
東京大学で「食」を通じて福祉を伝える
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このコンセプトは、さまざまな導きがあって建築家の隈研吾さんに協力していただけることになりました。隈研吾さんは国立競技場を設計した日本を代表する建築家です。多額のお金を払ったわけではなく、志に共感していただけました。
2020年2月から東京大学の本郷キャンパスで「北海道の米と汁 U-gohan 東大正門」という学食を始めることができました。店舗の設計は隈研吾さんのデザインです。
![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/44795883/picture_pc_46c52edee731fc29f900d2b6c2c61214.jpg?width=1200)
私たちがつくったお米や野菜を食べて「美味しい」と思ってもらいたい。そして、その食材のことを調べたときに福祉と出会ってもらいたい。一方的に福祉を売りこむのではなく、能動的にマイノリティや障害者や福祉に関心を持ってもらえたらいい。いずれは当別町へのツーリズムなども企画したいし、売り上げを人材に投資したいと考えています。
オープン後しばらくはコロナの影響で店を閉じざるを得なかったのですが、2020年10月からは営業を再開しました。美味しい「豚丼弁当」や「ザンギ弁当」などを提供しています。こちらもぜひ応援していただければと思います。
受講生からの質問 & ゲストの回答
Q:地域共生がさす「地域」の規模はどのくらいですか?
A:国が定める「地域」とは小学校区・中学校区を指しますが、ぼくはこの分け方を当てはめるのは難しいと思います。行政の区分と文化圏や生活圏が違っているからです。どちらかというと後者(文化圏・生活圏)を捉える必要があります。
Q:ぼくは北海道医療大学の学生です。理学療法を学んでいます。10名ほどのメンバーで高齢者の自宅を訪問して、お話をする活動をしています。学ぶことがたくさんあるのでやりがいを感じていて、この活動を医療大学の文化として継続させたいのですがアドバイスをいただけますか?
A:行政や専門家からも「人を巻きこむ方法は?」とよく聞かれます。大事なのは一方通行にならないことです。ひとくちに学生と言っても、Aくん、Bさん、Cくん、Dちゃん、みんな違う人です。この活動に関わる動機や文脈も違います。一方的に価値観をあてがうことをせず、ひとりずつ関わっていくことではないでしょうか。
Q:私は福祉を勉強している学生です。行政と地域がどんな風に役割分担をしていくのが望ましいか、大原さんの意見を聞きたいです。
A:行政と地域、それぞれに役割はありますが双方の関係性が構築ができていると分担ではなくパートナーのようになれます。そして、ぼくの感覚では優秀なひとほど「わからない」「できない」「現場からおしえてほしい」ということを伝えてくれます。行政って「わからない」「知りません」って言ってはいけないような雰囲気があるけど、そのあたりのコミュニケーションのデザインを変えていった方がいいですよね。
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【MOVE ON 2020】スロージャーナリズム講座とは
スロージャーナリズム講座は、SOCIAL WORKERS LABと野澤和弘⽒(ジャーナリスト・元毎日新聞論説委員)との共同企画です。2020年度は「コロナばかりではない 〜この国の危機と社会保障・司法」をテーマに6回のオンライン講座を行いました。
「⻑い時間軸でなければ⾒えないものがある」
「当事者や実践者として深く根を張らなければ聞こえない声がある」
「世情に流されず、⾝近な社会課題を成熟した⾔葉で伝えていこう」
現実を直視し、常識をアップデートし、未来に向かって動き出すために。
これからの時代を⽣きるための基礎教養講座です。