目の前にある問題や混沌から始まる、これからのソーシャルワーク
2020年2月15日(土)、京都GROVING BASEに集ったのは、「やさしいふつうとこれからの働き方」というテーマに興味を持ち、スピーカー役を引き受けてくださった3人のソーシャルワーカーと、31名のオーディエンスのみなさまです。
SOCIAL WORKERS LABのキックオフイベントとして開催したSOCIAL WORKERS TALKの3時間は、ソーシャルワーク / ソーシャルワーカーのあり方や役割を問い、広げ深めていく時間になりました。
> イントロダクション・高木俊介さん編 公開済
> 小山龍介さん編 公開済
> 大原裕介さん・クロストーク編 本編
「ソーシャルワーカーって、職種の名前にとどまらない価値があるんじゃないかと企画しました」
大原さん
みなさんこんにちは、大原と申します。
ぼくは、SOCIAL WORKERS LABを主催する一般社団法人FACE to FUKUSHIの代表でもあるのですが、北海道でゆうゆうという社会福祉法人の理事長をしています。今日は、ゆうゆうの取り組みをご紹介させてもらって、高木さんと小山さんにトピックを拾っていただき、後半のクロストークで広げていければな、と思っております。
「5歳の息子の同級生は50人、1歳の息子の同級生は30人しかいません。」
僕は札幌で育ったんですが、たまたま隣の当別町(とうべつちょう)にある北海道医療大学に縁をもらって社会福祉を学んだことから、当別で仕事をすることになりました。わが町の人口は、僕がちょうど大学に入学した2000年にピークを迎え、2万人を超えていました。そこから20年で4000人くらい人口が減り、今も減り続けてます。生まれる子供の数に対して、亡くなる人数がダブルスコアです。僕には1歳と5歳の息子がいますが、5歳の息子の同級生は50人しかいません。1歳の息子の同級生は30人しかいません。1学年1クラス、9年間ともにします。子育てに悩みます。そういった町に住んでいます。
僕がなぜ当別町でゆうゆうをつくったのか。きっかけは、障がいを持つお子さんたちとの出会いでした。大学でも座学的に障害者のこと、高齢者のことを学びましたし、それ以前に小中学校の頃に特別支援学級に障害を持つ同級生がいたりしました。でも、障害を持つ人の生き様とか生きている上での苦労とか、しんどさみたいなことに触れる機会はありませんでした。僕が、この写真の男の子と彼のお母さんに出会ったのは彼が7ヶ月の頃です。今でもはっきり覚えてるんですけど、お母さんはこうおっしゃった。「うちは転勤族で、医療大学と名のついた大学もあるし、この子にとって良い環境だろうと思って、主人に赴任先を当別に主人に選んでもらった。だけど、見渡してみても全く障害のある子どもたちに対する支援がない。絶望している。できるなら、この子に私より長生きしてほしくない」
「味方になりたい子に出会った。それが、ゆうゆうを始めたきっかけです。」
僕にとって、これは結構インパクトがあった。衝撃的な言葉だったんですね。僕はその時言いました。「お母さんの気持ちは、正直親になったことがないからわからない。でも、子どもの味方にはなりたい。」って。そうしたら、お母さんは「初めて言われた」って喜んだ。「みんな『あなたを選んだ命なんだから』って言ってくれるんだけど、それ以上関わろうとしない。味方になるって、子どものことを言ってくれた人は初めてだ」と言ってくれて。それで、こういう子たちって実際どれくらいいるのか、町の中でいろいろ調べ歩きました。大学4年の頃です。そうしたら、たくさんいた。ならばこの子たちをサポートする場所をつくろうと、大学と町から資金援助をいただいて、空き店舗でボランティアセンターをつくりました。自分たちでDIYしておもちゃも全部寄付で集めて、障害のある子たちを預かる事業を、修士過程修了までの3年間やりました。
いろいろ苦労したんですけど、一番苦労したのは親御さんたちの反対運動なんです。喜んでもらえると思ったら反対された。なぜかというと、ボランティアセンターが町なかにあったから。「人目につくところでやるのはやめてくれ」って言われたんです。なぜなら自分の子どもに障害があるのが町の人たちに知られてしまうと不都合だから。わずか17、8年前です。そういった町でしたので、障害児のサポート事業をやるのもひと苦労だったんですが、僕らはあえて「どんどん見せていきましょう」と提案しました。狭い建物の中だけではなくて、町の中に出たり、電車に乗ったり、スキーをしたり。そんなことを3年間やっていると、何かだんだん町の人たちが彼らを受け止める雰囲気が変わってきました。それから、困っている人がいることが可視化されて、それをサポートするサービスも見えたことで、「ちょっと俺らの力にもなってくれねぇか」という人たちが出てきました。「0歳の子を預かってくれ」とか、「不登校で悩んでるんだけど学習サポートしてくれないか」とか。当時すでに介護保険も動いてましたけど、まだまだ行き届いてなかった。だから、「おじいちゃんの面倒見てくれ」という相談もありました。僕らなりに一番困難を抱えていると感じた障害のある子ども達向けにつくったサービスが、ユニバーサルサービスにつながった。感覚的なんですけど、福祉、というか僕らのやっていることって、目の前にいる何かを抱えている人が障害者かどうかも、もっと言えば年齢も国籍も関係ない。認知症の人だから助けるけど、認知症じゃなければ助けないとかではなくて、目の前の困っている人に手を差し伸べる。今これを共生型とか言ったりしてますけど、そもそも人を分けて福祉をやるっていうことにずっと違和感を持ってきました。
25歳で修士課程を卒業するときは、あまり悩まずに「これをこのまま続けよう」と思って、後輩3人をだましてですね。「一緒に夢をみよう」と仲間4人でNPOを始めました。最初は手渡しの給料で手取り8万円だったんですけど、その8万円ですら、「こんなもらっていいの?」って感じだったんですよ。ずっとボランティアでやっていたので、好き勝手。お金なんてなくて、みんなで寄付をもらってなんとかやっていたのが、「こんなにもらえるんだ」って喜んだのを覚えてます。そんな会社なんですが15年経って、途中で社会福祉法人にしまして、今は約300人の組織になりました。
「まちの"福祉偏差値"を上げたい」
今やっていることをいくつかご紹介します。福祉業界って、決められたサービスごとに報酬が受け取れる制度でまわっているんですけど、当然ながら制度だけで全ての暮らしをサポートできるわけではない。でも、プロは制度を言い訳にしがちです。「それはできない」「うちの町ではサービスとして認めていない」「行政はこう」「国がこう」「福祉はこう」とか。そういう言い訳をして、本質的に困っているところをないがしろにしている実態がある。
僕らは、むしろ制度の外にこそ本質的なニーズがあると思っています。だけど、それらのニーズに僕らプロが全部応えるのは無理です。それならどうしよう、ということで、住民の方々との研修や学びの機会をつくっています。先ほど小山さんのお話に「場に対して何か尽くしたことが自分たちに返ってくる」とありました。僕もそう思うんです。たとえば、誰もが認知症を患う可能性があります。だから、今、認知症のかたのサポートに関わることには、あとあと自分がサポートしてもらえる場をつくる意味があるんじゃないかと思います。
そうじゃないと、いざ認知症になってから、「どうしよう」ってケアマネージャーに泣きついて、「こういうサービスがあるから、そこに行ってください」と突きつけられて、わけがわからないまま行くことになる。そうじゃなくて、「自分がどういう生き方をしたいか」っていうことを、あらかじめ地域の中で学んでほしいんです。これは僕らの「地域の福祉偏差値をあげたい」という意志です。だから、全部プロ任せ、行政任せじゃなくて、自分がどう生きていきたいのかを、研修や学びの場に参加しながら豊かにつくっていきましょう、という呼びかけを続けています。その結果、下は小中学生から80歳代まで、人口1万6000人の街に1700人のボランティアがいるんです。こうした、いわゆる共生型地域社会づくりを、社会福祉協議会さんと一緒にやってます。
「支える側と支えられる側は、わけられない」
現場ではどんなことが起きているのか、いくつかエピソードを紹介します。書道を習いたいけど事情があって教室に通うのが難しい子どもがいました。そこで書道の先生をしていた年配のご婦人とマッチングして、習えるようになりました。こう話すと子どもが支えられているようにみえますが、実は、この子の存在がこの女性に役割を与えていることにもなる。家の中にいたご婦人の暮らしが、今まで持っていた役割やキャリアを活かして役に立てる暮らしに変わって、彼女がいきいきしていくんですね。つまり、支える側が支えられる側にもなるんです。こういうふうに混在していくあり方を、支える側と支えられる側を分ける制度を超えてどうつくっていくのかにこだわってるんです。
もう一つ事例をお話します。高機能自閉症で、IQが140ある子がいます。僕らも一緒に囲碁やるんですけど、徹底的に打ちのめされるくらい強いんですよ。あるとき、デイサービスに通ってる割と丁寧なケアが必要なおじいちゃんと、誰か囲碁をしてくれないかと言われたときに、この子と対戦させたらどうだろう、と。これ、すごいリスキーなんですよ。子どもが負けたら、「大人げねーぞ」って言って喧嘩になるかもしれない。おじいちゃんが負けたら、「子どもに負けた。私にはもう生きがいがない。」って言い出すかもしれない。
みなさん、どちらが勝ったと思います?実は、おじいちゃんが勝ったんです。この子、負けてなんて言ったと思います?負けた瞬間「師匠と呼ばせてください」って言ったんです。この瞬間、おじいちゃんは、ケアの難しい高齢者じゃなくて、発達障害の子にとって難しい社会的スキルを身につける支援を、囲碁を通じてしてくれるスーパー囲碁指導員になりました。そして、この子が囲碁をするためにおじいちゃんの家に通うようになったので、うちのデイサービスを使わなくてよくなりました。つまり、この子は一人暮らしの高齢男性の見守り介助ができるスーパーボランティア小学生です。
大切なのは、発達障害の誰とか、認知症の誰とかじゃなくて、その人にしかできない役割を見つけること。福祉サービスを必要とする要支援者と呼ばれてる人たちどうしをつなげてみると、価値が生まれます。もちろん、なんでも一緒にすればいいってもんじゃないんですよ。よく子どもとお年寄り一緒にしたら良いサービスができると思うんですよね、っていう話があるけど、それだけだと支援者のエゴなんですよ。なぜなら子どもが嫌いなお年寄りだっているから。だから、個別ケースにこだわりながら、場をどうデザインするかなんですよね。それが、僕ら福祉専門職の腕の見せ所なんですよ。アセスメントをする力ですよね。もちろん完璧にはいかなくて、トライアンドエラーを繰り返しながらなんですけど、そういうことを思ったりしてます。
小山さん
高木さんのお話と大原さんのお話に共通しているのが、「役割」というキーワードなのかなと思います。先ほど私が投げかけた宮沢賢治が言う「灰色の労働」っていうのは、言わば誰もができることをやらされている状態。本当はその人しかできない役割があるんですよね。じゃあ役割があるってどういうことかというと、先に問題があるんじゃないかと思うんです。つまり、人は問題によって活かされる。社会に問題があるからこそ、その人に役割が生まれて活かされる、それがソーシャルワーカーの生き方の原理なのかなと、お二人のお話を伺っていて思ったのですが、いかがですか?
高木さんがドジョウを育てようとしたのも、「精神疾患を持つ人を隔離する文化がある」という問題があるからこそ熱心になれる。問題に対して、問題があるからだめだとか、見ないふりをしたり隠そうとするのではなく、そこに向き合ったときにソーシャルワーカーという生き方がスタートするのかなって思ったんですけれども。
「ソーシャルワーカーという生き方は、『自分が助けになれる人』を意識するところから始まるのかもしれない。」
大原さん
そうですね。自分が熱心になれる問題に対してアプローチする方法には、2通りあると思います。1つは、問題に対して既存の役割をマッチングさせるやり方。もう1つは、問題ではなく出会った「人」にフォーカスして、既存の役割 -福祉でいえば制度にのったサービス- に当てはまらなければ解決策を創造する、というやり方。僕は、後者が本来のソーシャルワーカーという生き方なんじゃないかと思うんです。
例えば、94歳の要介護認知症のおばあちゃんが「農業をしたい」と言ったから、介護保険適用のサービスは使わないでもらって、うちのレストランの畑で農業してもらったケース。彼女は10代後半から農業をしてこられたんですね。だけど、認知症状が出た時に、熱中症や脱水による命の危険があったので、ご家族はほんとに仕方がなく農業から身を引かせた。そしたら急にシュンって元気がなくなってしまった。だけど本人は農業をやりたい。農業に介護保険は適用されないから、問題と既存の役割のマッチングだけだと、行き場がない。さらには、この方の「農業をやりたい」に、ただ「家庭菜園ができてよかったね」だけじゃない付加価値をつくりたいと、僕らは思ったんです。「介護が必要な認知症のおばあちゃん」は、「担い手不足の農業の戦力になるおばあちゃん」になれるんです。そういうふうにディレクションしていくのがソーシャルワークなのではないかという感じがありますね。
小山さん
今日は、なにかしらソーシャルな仕事がしたいという学生さんに来ていただいていると思うのですが、まだ「問題」や「力になりたい誰か」に出会っていないというケースも多いのではないかと思います。そういう人は、どうすればいいと思いますか?
大原さん
FACE to FUKUSHIで「FUKUSHI meets!」という就職マッチングイベントを開催すると、人垣ができるブースと、なかなか集まらないブースがあります。どういう法人のブースに人垣ができるかというと、すごく雰囲気がいいブース。それって、自分なりの分析ですけど、「安心感」なんじゃないかと。あそこだったら自分を受け止めてくれる、という雰囲気です。でも僕、実はそれにはちょっと違和感があって。むしろ自分がそこに行って何をしたいかが大事なんじゃないかと思ってるんです。それと同じ文脈で、「社会に対してこういう問題意識を持っていて、こういうことをやりたい」と言う若者がわざわざ北海道まで来てくれることがあります。それも実は同じです。すでに「社会の問題」とされていることに飛び込んで何かしたいっていうのは、自分の居場所を探しているみたいなところがあるんじゃないかと。
僕がそういう若者に出会ったとき必ず言うのは、「僕も、『やりたいこと』は見つかってなかった。でも、『この人の力になりたい』があった。「誰か」をどうにかしたいっていうだけだった。だから、大事な人でもたまたま出会った人に対してでもいいから、『自分には何ができるんだろう』『こういうことできるんだ』『確かにこういう友達いたよな』と、人に対してできることをやっていくっていう学生生活を過ごしてみたらどうですか」って話したりします。
「安心できる居場所を探すより、放っておけない問題に向き合う方が自分の生きる力が湧いてくる」
小山さん
高木先生に伺いたいのですが、精神医療に問題があっても、患者さんに働く場所がなくても、多くの人はそのことが自分とは関係がないと素通りする。ないしは施設に染まっていってしまうなかで、なぜ高木さんはそこでしっかり問題と向き合おう、解決に取り組もうって踏み出せたんですか?
高木さん
初めて聞かれたなぁ。その前に、聞きながら関心してたんですが、大原さんも小山さんも、若いのにちゃんと目標があって、その目標のために組織をつくっていて、ど偉いな、と。僕が若いころなんて、昭和30年代ですよ。今と違って、ぼーっとしてりゃ、何も貧しいことない。だからそんな考えることもなかったんですよね。おそらく僕がそこでせざるを得なくなったのは、精神医療っていうものすごくひどい世界に流されて出会っちゃったからですよね。おそらく、僕の世代で福祉をやってる人って同じような経験、流れだと思う。どこ行ったって食えるから流されて、流されて行ったところが、あれーっていうくらいひどい。世間はバブルで浮き立っているのに、うちらはおっちゃんばっかりが大部屋にばーって暮らしてるところで喧嘩の仲裁ですよね。精神科医なのにビール瓶をぶん回す喧嘩でできたキズを縫う日々ですよ。当直に行ったら、頭が割れたって言われて。そういうところにたまたま出会っちゃってね、そこから逃れられないなっていうのがあって。10年間、大学病院にいたけれども、大学病院ですら施設の中で暴力ですよ。こういうものを一体どうすればいいんだって、目を背けられないところに追い込まれちゃった。もし学生時代に「自分はこれをやらなくっちゃ」って思って精神医療の世界に入ったらそういうふうになってなかったと思う。
思いのほかそんな環境に置かれたから、「こんなところでくじけてなるものか」って力が出てきたんですよね。きっとみなさんも、出会うんですよ。みなさんが生きてく世界は、僕らみたいにのほほんとしてたら開けていく世の中とは違っちゃってるからね。今の子供たち見ててそう思う。高校生を見てても、大学生を見てても、問題意識を高めたら大変なことになるよっていうぐらい問題だらけの社会に追い込まれているような。見る目を持てば、目の前に自分の問題がいくらでも浮かび上がってるんじゃないかなと。そもそも、お二人が若くしてここまでやっちゃってるのは、そうせざるを得ない世界になってる。世界の密度が僕の若い時とは違ってきちゃってるんじゃないかなってお話聞いてて思います。答えになっているかわからないですけど、すごいなと。
小山さん
問題にせよ、誰かひとりにせよ、多くの人は実は出会っているのを気づかないんじゃないかと思うんです。でも、お二人は問題に出会ったら、その問題から目を反らせないんですね。気になって気になってしょうがないみたいな。気になって気になってしょうがない時に、たぶん生きる力が湧いてくるし。自分がやりたかったことでもないんだけども、とにかく生きる理由がそこにあるっていうね。
今って自殺する人がすごく多くて、生きることが困難になってるんですね。食べて生きている状態をつくるのはすごく楽になったんですけど、生きていることがすごく難しくなった。そういう認識に立てば、「なんとなくここに居場所がありそうだ」じゃなくて、実は「放っておけない問題」に向き合う方がよっぽど自分の生きる力が湧いてくるでしょうね。
大原さん
ほんとにそうですね。僕もたまたま、偶然あの子に会った。自分から会いに行ったわけではない。居場所になりそうな問題を探しにいこうみたいな感じじゃなく出会っちゃって、知っちゃったら見て見ぬふりできないし、変に衝動的な、正義感なのかわかんないですけど、「何とかしないと」と湧き上がってきて。そこから人の共感が生まれていって、だらだら大学生活してたやつらがみんなこぞって「何かやろうぜ」となっていった。意識高い系福祉学生じゃなかった僕らが、てんやわんややったわけですよ。見よう見まねで。
そこで初めて、なぜ学ばないといけないのか、なぜ資格をとらないといけないのかが見えてくる。今、学生を見ていると、大学や企業に入ることが手段のはずなのに目的化しちゃっていて、「居場所は得たけど自分って何なんだろう」って悩んでしまうところがある。でも、そういう何か夢中になれることって小山さんがおっしゃったように、きっとあるはずなんですね。スルーしてしまったり。僕もたぶん、たくさんスルーしていたんですけど、たまたまバチっとあったという感覚です。
小山さん
問題にどう向き合うか、というときに、問題と共にあるか、解決するかの2通りがあるように思いました。ビジネスマンは、問題があるとすぐ解決します。ビジネススクールでも「課題解決」を教えます。ところが、ある種の問題は、解決がなかったり、解決するとむしろ別の問題が起こっちゃう。例えば、すごいうるさい多動の子がいたとして、その子が静かになることは、解決ではなく問題を隠してしまっている。そう考えると、問題との接し方自体に、「解決して問題をなくす」のではなく「問題と共にある」やり方を見出すのが、お二人のようなソーシャルワーカーなのかもしれないと思いました。
問題と共にある状態。それは、たとえば若い時に、地球温暖化とかの抽象的な問題に、みんなが大変だって言ってるから自分もノリで関わる、みたいなこととは違って、お二人のように、もっと地に足のついた感じがします。
何かがそうさせるのかというと、問題に取り組みながら、その問題をひしひしと実感する瞬間を持っていること。僕は、日本遺産の事業で日本全国26箇所、いろいろなところに行くと、現場の問題がひしひしと伝わってくるんですね。現場に行くと「これはやらなきゃいけない。できないけどやりたい」という気持ちが湧く。問題と現場で出会うっていうのが一番キーワードなんじゃないかな、と。つまり、就職活動で社会福祉法人のブースを見てるだけでは、現場に出会ってないんですよね。本当に生きる力を得ようと思ったら、現場で問題にあたること以外にないとすごく思う。
そういう意味ではアートの世界も、美術館の壁に飾ってあるアートではなくて、現場に行って現場の問題を感じながらつくる作品が多くなってきてるんですよね。みんなが働いているときと変わらない田んぼの風景が、夕方になると立ち上がるみたいな作品が増えてきている。福祉も地域活性化もアートも、現場でどう問題と向き合うか、現場でどう問題と共にあるか。そこではじめて、自分の生きる意味が生まれてくるということなのかなと思いました。
「人間はAIと違って、混沌の中で自分を変えていくことができる。」
今津さん
「問題と共にある」ってどういうことなんでしょう。小山さんの話を聞かれていて、高木さん、どう思われましたか?
高木さん
よくまとめてくれたなって思う。「現場で問題と共にある」って言われたときに僕が連想したのは、現場で問題と共に"ない"人が周りに多すぎること。医療の世界では、平気で「この薬を使ったらよくなるよ」と、それだけ言って偉そうにしてる医者たちとかね。大学の先生とかもね。例えば認知症の薬なんて、治験のときに医者が一生懸命になって飲ませたら、お年寄りは気をよくして、少し良くなっちゃうわけですよ。長谷川式テストの点数にしたら、少しいい点が取れる。普段の生活の現場では、テストの点数が1点や2点良くなったからって、何にも生活が良くなるわけじゃないし、その人の人生が良くなるわけでもないのに。なのに、「認知症にはこの薬を飲ませればいいんです」ということになって、現場や生活を見てない医者はそれを頭から信じこんでそれだけ言うわけですよ。現場では、薬を飲ませるか飲ませないかで喧嘩になっちゃってるのに、そんなこと知らずに「しっかり飲ませてください」と言う。1年、2年経って、「何も良くなってない」と言われたら、「では量を増やしましょうか」って。そういうことが、今の医療には多すぎる。
本当に、自分たちが救いたい人の生活の現場や人生を知らないでやってることが、すごく多いんですよね。そういうあり方が積み重なって、行き着く先は「認知症になって大変だったら、隔離しちゃいましょう」でしょ。これ他人事じゃないです。私ももうすぐ認知症になるから、今の日本では精神病院に入れられちゃうんですよね。抑制されて隔離されて。そんなふうにして、みなさん目の前の仕事は一生懸命やってて、「忙しい忙しい」って言ってるのに、医療も福祉もどんどん悪いほうにいく。現場って、混沌じゃないですか。大原さんも小山さんも組織経営をやっていておわかりと思うけど、何が混沌かって、自分が混沌だよね。「現場で問題とともにある」って、その混沌を引き受けるっていうこと。その場その場は苦しいんだけど、ちょっと自分を離れてみたときに、その混沌がないと生きている感じがしない。
今津さん
混沌という言葉に反応されてましたけれど、大原さん、小山さん、そのあたり、どうですか?
大原さん
混沌、わかるなあ、と。「気分はよくないけど、心地いい」みたいな。なんか、自分っていうものが存在していることを試されている感じがあるじゃないですか。例えば自分の場合だと、ゆうゆうという組織が現場で、そこでいろいろあることに対して、大原裕介がここの理事長でいることってどういうことなんだろう、と突きつけられるというか。毎日毎日、内省して問い直しながら一歩進める、変化させる勇気を持つのがプロだと僕は思っているので、「今までこう言っていたのに、こんなこと言い出しやがって」って言われるかもしれないし、「たくましくいたのに急に弱々しくなった」ってこともあるし。混沌とともに自分を変化させていくことの難しさってあると思うんですけど、自分にとっては心地よかったりします。問い続け変わり続けることをやめるときには、経営者をやめないと会社が潰れると思ってるんです。気分は良くないです。先生に「何かいい薬ないですか」って相談したいくらい。だけど何かその混沌や変化があるから今がありますし。みんなに知ってもらえたらいいと思うのは、「悪くないよ」ってことなんですよ。
小山さん
今、大原さんがおっしゃった、自分が変わることをどう受け止めるかって、ポイントだと思うんですよね。現場で問題とともにあるとき、自分が変わっていくことを恐れない。自分に執着して「変わりたくない」ってなると、途端にその場の問題と切り離されて、「自分は関係ない」「今までの生活を変えたくない」となってしまう。男の子に出会った後の大原さんのように「自分が変わったら違う世界があるんじゃないか」と変わることに身を投じていくことが、世界を新しくしていくわけです。その源泉が混沌なんだと思うんです。
AIってありますよね。多くの仕事がAIに取って代わられるって言いますけど、AIにはいろいろ苦手なことがあるんです。ひとつは「フレーム問題」と言って、問題の枠組みを変えることができない。もう一つは「シンボルグラウンディング問題」と言って、「寒い」「暑い」「痛い」とかって言葉がシンボルとしてあるんだけども、実際どういうものなのかが、AIにはわかんない。だから、AIは先ほど高木さんがおっしゃったお医者さんみたいな処方をするわけですね。数字を見て「はい、この薬」みたいな感じで。その処理に今まで1時間かかっていたのが3分で済むから賢い。でも、それってシンボルがグラウンディングされてないから、間違っていても気づけない。
もう一つ面白いのは、私お能を習っているのですが、AIなら先生の動きを認識して演目を一瞬のうちに覚えちゃうわけですね。だからAIがすごく上手にお能をやれるかっていうと、そうではない。なぜなら、先生の動きは昨日と今日と明日と微妙に変わっていくんです。その人が変化していくっていうことに対してAIはフォローできないんですよね。インプットしなおさないと、常に過去のものしかできない。AI自体が自ら変わっていくことができないんです。先生の動きがあって初めて、AIはインプット・アウトプットの精度を高めていくことができる。翻って人間がすごいのは、混沌の中に入って自分が日々変わっていくことができる。しかも、自分もAIでも予測できない新しい自分に変わっていける。これが、すごく楽しい生き方ではないでしょうか。死ぬとき振り返って、変わる時が一番ワクワクしていたし、よかった、と。混沌とした現場で問題と共にあることで、自分がどう変わっていくか、そこに価値を置いて生きていくことが、ソーシャルワーカーとして生きていくっていうことなのかな、と。そうじゃない生き方だと、もう65歳の定年まで全部見えちゃう。高木さんは、まさかビールをつくるとは思っていなかったけれどもつくっている。この人生がまさに、ソーシャルな生き方なのかな、と思いました。
高木さん
人は変わることを恐れるようにできているので、AIから何か「この生き方が正しい」なんて言われても、絶対変わらないと思うんだよね。うまく言えないけど、きっとそうだと思う。自分っていうのは、現場があっての自分、自分で混沌としてるから自分であって、それをAI的に過去のデータからあなたはこうしなさいって言われても。だけど、人って、人に言われると変わるんだよね。人と接することで。
大原さん
僕は恩師から授かった、「人は人によってしか変われない」っていう名言をずっと大事にしています。もともと僕は、誰かに見られている自分が、周りを蹴落としてでも勝っていくことを目指すような気質だったんです。スポーツやってて。誰かのために何かを尽くすみたいな発想ってなかったんですけど、だけどやっぱりね、障害のある人と出会って変わったんですよ、おそらく。「彼らが笑ってくれたらいいや」とか、「言葉の通じない彼の気持ちをどうやったら汲み取れるのか」とかね。そこに自分の探究心とかこだわりがある。そうすると、人の目を気にしていた自分が「おしり」とか言ってみたりして、彼らを笑わせることができたりするわけですよ。自分の中での引き出しが増えていく。人と向き合う引き出し、人と関わる引き出し。それまでは「俺のコミュニケーションが受け入れられない人は俺とは合わない」だったんですよ。でも、それは違う。自分の中に、相手に合わせられる引き出しがなかったんです。それが変わったっていうことなのかもしれないです。
障害のある彼らとのコミュニケーションで、「は?」みたいな顔されたり、叩かれたり、いきなり「あー」とか言い出したら、最初は「なんだこいつ」みたいになるわけです。でもそのうち、「なんでだろうな」って考えるようになって、でも何か試したら「バン」ってぶたれたりね。そういうことの繰り返しって、一般的にルーティンワークって呼ばれることの範疇だけど、僕の中では可変的でクリエイティブな仕事です。働きかけるこの行為はこの角度だったらいいのかな、とか、そういうことを毎日変えられるわけです。手を変え、品を変え。そうしてついに手を握られたときの嬉しさ、みたいなね。こんなクリエイティブなことってないです。教えてもらえないから。相手は「こうやったらいいんだよ」って喋ってくれない。それに、先輩方のやってることを真似しても、僕のこと信頼してなかったら同じことが起きるわけないし。じゃあ、信頼関係つくれって言っても、つくり方にAIが教えられるような法則はないですよね。福祉だったりソーシャルワークって、そこがすごく面白いんですよ。
発達障害の当事者が、高校生に「障害者になりたくなかったですか?」と聞かれて答えたこと
今津さん
ここで、会場のみなさんから、質問をいただこうと思います。
龍谷大学社会学部1年生
健常者より能力が低い人を障害者と呼ぶことに苦手意識があります。みなさんは、障害者をどう捉えていますか?
高木さん
精神障害者と呼ばれる方々に常に関わっているんだけど、自分の中でも決して整理がついてるわけではないです。でも、僕の前に連れてこられて、助けを求められて、助けようと思ったら、その人を障害者として見ないといけない面もあって。ご本人が、自分の困りごとを相談に来たら障害者として見る、そういう現実があるわけなんですよ。一方で、常に思っているのは、障害者という固定された存在があるものではない。社会の側が、「この人を自分たちのおもだった基準から排除するよ」というときに、その人を障害者って呼んできたの。だから、障害は社会がつくってる。社会の基準がもっと違えば、例えばさっき大原さんのお話にあった将棋の人たちなんかも、別の障害の名前を持たなくてやっていけるわけですよ。
「おそ松くん」とか、「天才バカボン」って知ってます?彼らって、今ならほんとに発達障害と呼ばれる人たち。おでんしか食べない子ども、朝から晩まで掃除してるおじさん、言ってはいけない事を言ったらシェーってやる、そういう人たちが和気あいあいと暮らしている。そういう社会が、どっかにあったわけですね。時代のどこかでは、日本にもあったと思う。それが今は大原さんのところに行ってようやく障害とは違う名前をつけてもらえて、障害者という枠ではない生き方ができるかもしれないという存在にされてるんですね。そんなふうに時代や社会のあり方で変わっちゃうもので、「これが障害だ」っていう確固とした定義があるんじゃない。でも僕は自分が精神科医だという現実の中で、自分がその人に対して何かしてあげられるときは相手を障害者として見ることを実践しています。二重構造になってる。毎日している実践と、この社会がしなくていいことを障害にしてるということを自覚して、そこを考えること、二重になっています。
大原さん
世界基準では、社会の側でその人たちの生きづらさや困りごとがしっかりクリアされれば、その人は障害者じゃない。例えば、手や足がなくても、周りの理解やハード的な整備だったり、その人が社会生活の中で快適に暮らす環境が優しくしつらえてある社会であれば、彼らを障害者と呼ばないってWHOが言ってます。
もうひとつ個別のケースをお話したいのですが。最近、高校に発達障害の29歳の方と一緒に授業をしに行ったんですよ。この方は、14歳のときにアスペルガー症候群の診断を受けました。15歳のときに家に放火をしようとして、そのまま精神科病院に入院させられ、閉鎖病棟に入れられて暴れてみたいなことを繰り返して、16歳のときに僕に出会いました。彼は今、パソコンの仕事をしたり、グループホームと呼ばれるアパートに住んで、親元離れて幸せそうにやってるんです。そんなこと、高校生に向けて喋ってもらったんです。そうしたら、高校生が手を挙げて「障害者になりたくなかったですか?障害者って不幸ですか?」って聞いた。なかなかストレートでしょ?そしたら彼はね、「いや、全然僕の人生楽しいんで。僕はもうこういう人間なんですよ。」って一言で済ませたんですよ。
高校生の感想を読むと、「ハッとした。自分が人生楽しめてるか、自分の人生は楽しいって彼のように言えるかって問いに気づいた」って。こうなると、彼ってもしかしたら障害者じゃないかもしれないですよね。先生がおっしゃるように、障害者なんとか法のなかで彼を支援しているっていう現実はあるんですよ。だけど僕は彼の言葉を聞いて、何か少しだけ報われた感じがするんですよ。それはもう、投げ飛ばしたり投げ飛ばされたり取っ組み合いしていた彼が、29歳になってね、「僕は楽しい人生過ごしてます」って言う姿を見ると、プロの立場で障害者として関わった彼自身が自分を障害者と思ってない、ここに生じる矛盾がなんともいえない。そんな感じです。
小山さん
自分の子どもが下は5歳、上は9歳なんですが、障害者を見た時に、「なにか違う」って認識する。そこで、子どもにどうやって障害者と呼ばれる人と共存するかを教えるときに、「人には、生まれるときに自分で人生を選ぶ瞬間がある。生まれたあとは忘れてしまう。障害を持って生まれるのはすごく勇気のいることで、僕はたぶん勇気がないから障害を持って生まれなかった。それを負って生まれている人たちがいて、僕はすごくその人たちのことを尊敬する」って言うんです。個人的な話なので、間違っているという指摘があったら受け入れようと思うんですけど。有り体に言えば「偶然」ということでもあるし、あんまり障害者をすごいすごいっていうこともよくないと思ってるし、そのバランス感覚はあるんだけれども。そういう生を「選んで」生まれてきたっていうふうに捉えることが尊厳っていう意味で重要だと思う。自分の子どもたちにはそういう説明をしてます。
一方で、自分が楽な人生を選んで生まれてきたかというと、実はそうじゃないですね。自分にも人生で取り組むべき問題があって、わざわざ生まれてきたっていうふうに考えたときに、自分が持っている障害ってなんだろうか。一般的には健常者とカテゴライズされるけど、実は自分は自分でいろんなもの背負って生まれているはずで。問題と向き合うときに、これに向き合うために生まれてきたんだと思って、一般的にはマイナスの事柄であってもそれをポジティブに迎える、そういうふうに生きていこうと思ってるんですよね。その話とセットにして子どもには伝えるようにしていて、あなたも障害がなくても実は目的があって生まれてきたから、そういう問題が見つかったときにはしっかり向き合うといいよ、と話しています。
大原さん
今の話を聞いて話したいと思ったんですが、僕は今、アール・ブリュットという芸術のジャンルに取り組んでいます。アールはアート。ブリュットは生。専門的な芸術教育を受けていない人たちの作品群を指す言葉で、2020年のオリンピックパラリンピック - スポーツだけじゃなくて、日本の文化や芸術をプレゼンテートする -で、公式に位置付けられたんです。この作品のつくり手の多くが、知的障害や精神障害を持つ方々なんです。フランスなんかでは、彼らが障害者だから素晴らしいとかじゃなくて、はっきりジャッジメントするんですよ。この作品がいい、この作品はだめ。障害者ではなく、いちアーティストとして見ています。僕の法人でも、ほそぼそと展示や企画をしてるんですけど、最近、美大の学生がたくさん就職希望で来て「アール・ブリュットやりたい」っていうんです。「自分がアーティストとしてやり続ければいいでしょ」って言ったら「勝てません」って言うんです。障害者の方をリスペクトして嫉妬してるんです。私も障害者になりたかったっていうんです。なんぼ専門的な教育を受けても、あのタッチとか、あの創作物の持つ力に勝てない。「私。もう絵を描けなくなりました。彼らはすごいアーティストです。」って。つまり福祉や医療の領域からは障害者って見るかもしれないけど、芸術の領域から見ると彼らはアーティスト。農業の領域から捉えると農家って捉えられるかもしれない。
もう、うちの利用者さんで重度の知的障害があって「あー」とか「うー」しか言わない人が、かぼちゃを研磨機よりも緻密に磨き続けるんですよ。これってすごいじゃないですか。僕にはできないでしょ。それを見たバイヤーが、感動して買ってくわけですよ。これで研磨機で磨いたものより売れれば、彼らも立派な生産者ですよ。社会の暮らし方とか見方なんですよね。ダメなところ、できないところばっかり見てしまうと、自分たちより何かしら劣っている、欠損しているという言い方になるかもしれないけど、できるところを見る社会になれたらいいなって思います。人や社会が障害者をどう捉えるかにおいて、多様な見方、考え方が社会全体、いろんなところに増えていったらすごい面白い社会になるんじゃないかな。それこそが、やさしい社会なんじゃないかなって。どんな人に対してもリスペクトできる社会がいいなって思います。
「福祉は業界でも3Kでもなく、『誰かのために』という日本人としての思想性や優しさの世界」
今津さん
今日は、「やさしいふつうとこれからの働き方」というテーマで、これからの時代をいかに生き、いかに働くのかを深められる時間にできればと思い、進めてきました。最後に、お三方から一言ずついただけますでしょうか。
高木さん
とても面白かったし、刺激を受けました。混沌のなかでの人生の選び方とか。ただ生きているのは簡単になったけれども生き方が難しいといったお話は、すごく刺激になりました。何よりもお二人からいろんな話を聞いていて、僕よりずっと若い人たちがすごいことやってるな、と。そして、僕はあと5年でいいけど、みなさんはあと30年この世界を生きていくんだとすると、どうやって今と同じ喜びをもって生きていけると考えているのか、あとでビールを飲みながら聞きたいなと思いました。
小山さん
先ほど、雑談でいろいろ話しているなかでね、施設でおばあちゃんがみかんをくれようとした時、それを受け取るべきかという話がありました。ルールとしては受け取っちゃだめなんですね。だけど、大原さんとしては「それは受け取るべきだよ」と。大学の他の先生と解釈が違うって話なんですけど、私がびっくりしたのは、「もらっていいでしょうか」って相談に来た学生に対して、大原さんは「もらっていいよ」さらに、「もらったからには何か返せよ」って言ったんです。そういう、相手の尊厳への向き合い方が大原さんの根底にあるんだなと衝撃をうけました。何か、そういうやりとりですよね。高木さんのされている事業も含めて、そういうやりとりの中にソーシャルに生きるっていうことの根元があるのかなと考えさせられたイベントでした。自分はまだまだ、みかんをもらって、もらってあげたって感じになっちゃうんですね。返すところまでいってない。ほんとに衝撃で、有意義な時間でした。
大原さん
普段使わない頭を使いながら喋りました。こういうの、ほんとに刺激的です。やっぱり福祉の分野って、ついつい福祉の人だけで福祉の専門用語をしゃべるようなことばかりやってしまいがちなんですけども。実は福祉って、全く違う分野の方々との、いろいろな結びつき方ってあるんだろうなって思います。福祉って、業界を意味するものでもなければ、3Kでも5Kでもなく、日本人としての思想性や優しさ、誰かのために、という世界。小山さんが話してくださった「みかん」のこともそうなんですけど、大事な部分をテクノロジーや経済原理で省略してしまっているのを、もう一回呼び起こすようなことが、これからの時代必要なんじゃないかなって思って。テクノロジーの進歩と逆行するような、アナログなつながりをつくっていかないと。特に僕は、2040年には消滅するとされる自治体だらけの北海道で暮らしていく。どう対応するかで、中核都市にコンパクトシティをつくるみたいな議論があります。でも、それぞれの地域には、人が生きてきた歴史文化があるじゃないですか。だから、僕はコンパクトシティには行き着きたくない。これからの働き方って、こういう現実を、「不幸」と思うか「面白そう」と思うかなんですよ。僕は結構面白そうだと思ってます。誰も経験したことがないことができる。もしかたら、やったことが巡り巡って誰かに喜んでもらえるかもしれない。と言いつつも、そんなこと考えずに目の前のこと必死に漕ぐしかないんですけど、そういう夢中になれる仕事や生き方ってなかなかないよな、と思って。
僕は今、ちょうど40歳で、あと5年で経営者になって20年ですが、そこから別のなにかにチャレンジしたいなって思っています。どこ行って何するかなんて計画はない。たぶん、この5年の間に誰かと出会って見つかるんですよ。これは勘です。理屈じゃなくて勘。こんな高尚な話をしてきて、最後は勘で終わる(笑)。だけど、「そんなもんだよ、自分の人生なんて」って思いながら生きてます。ほんとにありがとうございました。
今津さん
高木俊介さん、小山龍介さん、大原裕介さん、会場の皆さん、今日はどうもありがとうございました。
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生きる意味は、現場で問題と共にあることで生まれる。
現場にいる自分は、混沌とする。
自分がなにもので、どう現場に関わるか、つねに問われる。
現場の混沌の中で問い、内省を続けることで、自分が変わり続ける。
それが、ソーシャルに生きるということ。
そこには、AIには生きられない数多の人間の生、
人間どうしの創造的なつながりがある。
ソーシャルワーカーとしての生き方、働き方を実践するお三方から、これからの時代を生きるヒントがたくさんいただけた3時間を、ほぼノーカットでお届けしました!最後までお読みいただきありがとうございました。
SOCIAL WORKERS LABは2020年度も、多くのソーシャルワーカーの魅力ある生き方・働き方を発信していきます。どうぞお楽しみに!
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