第一章:邪道的召喚
最初は夢だと思った。
もう何日も、現実と夢の境界線が曖昧だ。 いや、時間の感覚も曖昧だから、未だ数時間かも数週間かもしれない。
先ず目の前が真っ暗だ。 両まぶたの上にテーピングのようなものが貼られていて、目が開けられないから当たり前だが。
耳もろくに聞こえない。 唸り声とも騒音ともつかないくぐもった音が常に頭の中を回っていて、不快な事この上ない。
手足もろくに動かせない。 麻酔が効いてるように感覚が無いが、痛みも無いのがありがたい。
しょっちゅう意識が飛ぶ。 意識が戻らない時は死んだ時なんだろうな。
何だって俺がこんな目にあってるんだっけ?
あぁ、そうだ。 海外の空港でテロに遭ったんだった。
ようやく日本に戻れると思ってたのにな。
そうだよ、元はといえば就職して数ヶ月もしない内に海外に飛ばされたのが、ケチの付き始めだったよな。 いくらクライアントが知人だからって、新人を海外に単身で飛ばすか? 日本の大使館も無いような酷い国だった。
そんで着いて早々突然内戦が始まって、死ぬ思いで脱出して、隣国の隣国まで何とか辿り着いて、ようやく日本と連絡が取れたと思ったら、会社潰れているし。
それでも何とか金を工面して、ようやく日本行きの飛行機に乗ったと思ったら、トランジット中の空港でテロだよ。
どんだけついて無いんだ、俺。
そうか、これは怪我して治療入院中って状態か。
ああもう、どうでもいいから、日本に帰ってゴロゴロしたい。 まぁ今も寝た姿勢ではあるみたいだけど。
ゲームしたい、ネットしたい、漫画読みたい。
また意識が遠くなってきた。 嫌だな、この感覚。
あ、これ意識が遠くなるというより、どこかに引っ張られているような…
『………ぃ…』
あれ? 女の人の声がする。 凄い綺麗な声。 日本人っぽい。 日本語久しぶりすぎて意味が頭に入ってこない。 だけじゃないな、何か途切れ途切れな感じだ。
『…し…じて……』
『…ず、…け…から…』
声は次第に遠くなる。 代わりに触覚や嗅覚、色々な感覚が蘇ってきた。 麻酔が切れたのだろうか?
気がつくと、俺は暖かいすべすべした感触の石の上でうつ伏せになっていた。
手足が自由に動く。 痛みも無い。 とりあえず仰向けになってみる。
目を開こうとしたら、まぶたのテーピングが剥がれた。 それでも視界は霧がかかったように真っ白… いや、さらに上に包帯が巻かれているのか。 指で包帯をずらすと視界が開けた。
最初に目に入ってきたのは、面白くも無い石造りの天井と包帯ぐるぐる巻きの自分の指と手。
上体を起こし、病院とも思えない暗い部屋の中を見回す。
俺が寝ていたのは、黒い大理石のような円い石版の上。 魔方陣のような文様が刻まれている。 石版には時代的な錬金術の装置を思わせる器具が繋がっている。 所々から赤い光が漏れていて、雰囲気はバッチリだ。
「異世界召喚ってヤツか、ベタだな…」
室内に人の気配は無い。 召喚者らしき存在もいないのが若干腑に落ちないが、先ずは自分の身体をチェックしよう。
目と腕に巻かれた包帯を解き、テーピングや軟膏ガーゼを剥がしたが、思ったとおり傷跡一つ無い。 右足もギプスがはめてあって取れないが、骨折も何も無い実感がある。 まぁ裸足なんで靴代わりという意味では助かるか。
床に下りて立ってみる。 ギプスのせいでバランスが悪いが、歩けなくは無い。
一通り身体を動かして確認する。 あちこち突っ張るのは、全身に色々と張り付いたり巻きついたりしているからだな。
そうやっていると部屋の扉が開き、若い女と大柄な男が入ってきた。 それに合わせて部屋の四隅に置かれた照明が灯り、室内が明るくなる。
起き上がって動いている俺に驚いたのだろうか、表情を固まらせている。
「こんにちは。 こんな格好ですまないね」
俺は最初に寝ていた石板に腰掛けながら、日本語で挨拶した。
笑顔で、右手を軽く上げ、左手は後ろ手につく。
大抵の場合、これで敵意が無いことは示せるはずだ。
同時に、いざという時にどうするかの算段も頭の中で始める。
「お目覚めになったのですね、勇者様」
女が微笑みながら話しかけてきた。 結構、美人だ。 年齢は…化粧が濃くて分からないな、若そうに見えるけど。
そして、起きる前に聞こえた女の声とは明らかに違う。 言葉は日本語だが、何か翻訳されているような違和感がある。
さて、勇者ときたか。
「勇者だって? 俺が?」
向こうの想定範囲であろう言葉を返して様子を見る。
「ええ、この世界を破滅から救うために、異世界より召還された勇者様ですわ」
女は俺の隣に腰掛けながら、熱を帯びた視線と共にしなだれかかってくる。
二の腕に押し当てられた胸の感触をそれはそれで堪能しつつ、考える。
今までの経験上、この手の女は二種類に分けられる。
相手に嘘をつくタイプと、自分に嘘をつくタイプ。 カマをかけてみるか。
「君が俺の傷を治してくれたんだね、ありがとう」
「…勇者様のためですもの。 当然のことをしたまでですわ」
返答の前の一瞬の間に、考えを巡らせたのを俺は見逃さない。
前者確定か。 後者の方が利用しやすいが、前者の方が分かりやすい。
相手が望むものを確認してみよう。
「で、俺は何をすればいい?」
「その前に身体の調子はどうですか? 記憶とか飛んでたりしませんか?」
記憶を気にするのか… 少し嘘を織り交ぜてみるか。
「身体はお陰で何ともないよ。
記憶は…何だろう、あまり思い出せない。 元の世界のことも、この世界のことも」
「先ずは身体をお休めください。 記憶も少しずつ戻るはずですわ」
明日また来ます、そう言って女は立ち上がり、男を連れて出て行こうとする。
座ったまま見送りつつ、ふと思いついた事を試す。
「なあ、そっちのでかい男の人」
男は立ち止まったが、自分に話しかけられていることに気付いていない。
なるほど、全員に言葉が通じるわけじゃなさそうだな。
「明日来る時に、着るものや下着も持ってきてくれないかな? 女性に頼む訳にもいかないし」
「明日お持ちします」
女は遮るように言うと、部屋を出て行った。 独占欲とかそういうのではなく、自分以外の相手と会話して欲しくないって感じだな。
微かに聞こえた音は扉に鍵をかけた音か。
改めて室内を見渡す。
薄暗いが天井全体がぼんやりと光っていて、見えないほどじゃない。
扉は三つ。
一つはさっき女が出て行った扉。 そっと開けようとすると、やはり鍵がかかっている。
もう一つは… うん、トイレだ。 トラディショナルなやつ。 中は暗いから結構怖い。 明かりはないのだろうか?
そして最後は、これも鍵がかかっているな。
窓もないし、外の様子を窺い知ることも出来そうにない。
明日ってのがどのくらい先なのか分からないと、予定の立てようもないな。
とりあえず身の回りのチェックからだな。
顔や身体に巻きついている包帯やガーゼ、テープ類を丁寧に外していく。
後で何かに使えるか分からないけどな。
手術用の病衣の下はT字帯をしているけど、カテーテルや点滴針の類は転送されていないらしい。 どこまでの装具が転送対象なんだろう。
錬金術みたいな装置の研磨された金属の部分を鏡代わりにして確認したが、やはりどこにも怪我や傷は残っていないように見える。
そうして自分の顔とにらめっこしていて、ふと自分の視界に違和感を感じる。 右上の辺りが妙にチラつく。
意識を集中すると、不意に半透明の画面がポップアップした。
なにやらステータス・パラメータが英語と数字で表示される。
スクロール、画面切替、なるほど視線入力でもタッチでもいけるのか。
意識を画面外に向けると自動で最小化した。
よく出来ているな。 ここだけゲームというかSFっぽい。
身の回りチェックの次は、室内探索だ。
先ずは石版に接続された装置から調べてみる。
装置と石版に文字らしきものは刻まれているが、読み方は分からない。
強いて似ている文字で言えば、テングワールだろうか? 何にしても読めない。
材質は金属、木、石か。
ケーブルっぽいのは植物の蔓のような質感だが、動脈のように脈動している。
ガラスやプラスチック、ゴムの類は見当たらない。
他に目ぼしいものは… ん?
部屋の床の隅に、仄かに光るものがある。 近寄って摘み上げる。 何か結晶の欠片のようだ。
鉛筆の先くらいの大きさのそれを掌に乗せ、転がしてみる。
光が強くなったり弱くなったりする。
暫くそれを楽しんでいる内に、違う色の具体的には金色の光が見えてくるようになった。
空気中に凄く小さな金色の光の粒が沢山漂っていて、結晶に吸い込まれると光が強くなる。 まるで呼吸しているみたいだ。
改めて室内を見回すと、寝ていた石板の周りは金色の光で満ちている。
それに繋がる装置にも、そしてケーブルを伝って物凄い勢いで金色の粒子が吸い込まれている。
そういえばこの石板は妙に暖かいな。 何らかのエネルギーで暖められているのかもしれない。 ということは、この金色の粒子はエネルギーの元、魔力か何かか?
結晶を傍に置いて手を放すと、金色の光は見えなくなった。 ふむ、持っている間だけ見えるのか。
俺は石板の上に仰向けに寝転んだ。 暖かくて妙に気持ちがいいが、硬いので枕が欲しい。 とりあえず、外した包帯の束を枕代わりにする。
さて、後出来ることはないか。
ふと、異世界に召還されたのに冷静な自分に苦笑する。
学生の頃だったら、大興奮だったろうに…
もっとも先程の女の言葉がどこまで本当か、分ったものではないが。
悪夢のような現実が続いたせいで、目の前の出来事が異常であるほど冷静に対処する癖がついてしまったようだ。
これが夢かどうかは、覚めてから考えればいい。
とりあえず、言葉は通じるんだ。 俺に望んでいることを確認して、それが俺に出来る事なら、交渉に持っていくことはできるだろう。
そんな事を考えているうちに眠くなってきた。
なんとなくお守り代わりになる気がして、結晶を握り締めたまま、俺は寝入った。
『…………か…』
ん?
『……て……さい』
また女の声がする。 あの綺麗な声の方だ。
「なんだ?」
『わっ!』
俺は起き上がって周りを見回したが、誰も居ない。
『えっと、私の声が聞こえてます?』
頭の中に直接話しかけられているみたいだ。 少し気持ち悪いな。
「ああ聞こえてるよ。 で、俺の頭に直接話しかけてくるアンタは誰だ?」
『貴方を召還した女神と敵対している者です』
「あの女って女神なのか? そんな感じに見えなかったけどな」
『貴方が言っているあの女は多分女神の分け身、使い走りのようなものですね』
「ほう… で、どんなご用件で?」
『えっと、目を閉じてこちらをご覧いただけますか?』
目を閉じたら見えないんじゃないか?と思いながら目を閉じると、脳裏に映像が映し出される。
これは…幾分若いが、俺だな。
なにやら世紀末な鎧と立派な盾を装備した目付きの悪い俺が集団の先頭に立って戦っている。
武器が無いのか、盾で防御するだけ… いや回復や補助呪文も使っているな、タンクか。
周りに指示を出したりもしている、うわーガラじゃないな。
仲間は人間の他に亜人、獣人、でかい鳥にドラゴンと色々いるな。 お、あの子かわいい。
ちょっと女子率高くないか? ハーレムプレイ?
激戦の最中、映像はフェードアウトして終わる。 何とも尻切れトンボな感じ。
『というのが、女神が夢で貴方に見せようとした映像です』
「何でアンタがこれを見せられるんだ?」
『私のことは『真緒』とお呼びください。
女神は夢魔という魔物の力を使ってこれを貴方に見せようとしました。
私はその魔物を乗っ取らせていただいた、という訳です』
「ふーん、その真緒さんがこれを俺に見せる目的はなんだ?」
『先ずは女神の目的を知ってもらおうと思いまして。
因みにこの映像は三日ほど前に実際に起こったことです。
映像で貴方が戦っていた相手は、女神の軍勢です』
「…なるほど、俺は虜囚って訳か。 で、真緒さんは俺を取り戻したい、と?」
『理解が早くて助かりますが、実情はもう少し複雑です。 先ず、映像の勇者は平行世界の貴方、恐らくは貴方から見て数年前に召喚された盾の勇者と呼ばれる者です。
女神に抵抗する勢力が幾つかあり、その一つが先程の映像の勇者達。 もう一つが私になります。 私は彼らと直接の面識はありません。
女神にとって、この戦いは娯楽、遊びです。 彼女の目的は、裏切られて絶望する人間を見ること』
いい性格をしておられる女神様だこと。
「それが事実だとすると、女神が俺に求めるのは…勇者達を裏切ることか。
で、もう一回聞くが真緒さんの目的は? 何を狙って俺に接触した?」
『実は…あまり期待していなかったんです』
「おい」
『とりあえず聞こえていればいいな、という程度の感覚で色々な知識と情報を吹き込もうと思ってはいましたが、こうして会話が出来るほど貴方が地脈術に慣れていると思わなかったので…
少し考える時間をいただけますか? 数分でいいので』
「まぁ、いいけど。
…じゃあその間、さっきの映像見せて」
『少々お待ちを』
目を閉じて待っていると、また映像が流れ始める。 改めて映像の俺を見る。
随分、戦闘慣れしているみたいだな。 それなりに大規模な戦場だというのに、迷いや恐れが無い。
体捌きや身体の鍛えられ方を見ても、半年以上はこの世界で戦ってきたようだ。
「…なぁ」
『はい』
「この映像の俺って、この後死んだのか?」
『貴方と区別するために盾の勇者と呼びますね。
女神を含め、殆どが死んだと思っていますが、盾の勇者は死んでいません。
直前に盾の精霊が元の世界に戻しました。 貴方とは違う時系列の世界に、ですけどね』
「そうか、生きてはいるがリタイアか… 悔しかっただろうな」
『そうですね。 でも、きっと盾の勇者は戻ってきますよ』
「あ?」
『盾の精霊も色々手を尽くしてますし、やられっぱなしは大嫌いなんですよ、盾の勇者は』
「ガキの頃の俺だもんな」
『で、実は貴方がこの世界にいると、世界の理に抵触して、盾の勇者が戻って来辛い可能性があるんですよね~』
「は?」
ちょっと待て。 何だか不穏な感じが。
『なので貴方には早々に、この世界から去っていただこうと思っていたんですが…』
「それって、殺すって意味?」
『一番合理的な手段は、それですねぇ』
「本人を前にして、よく言う…」
『まぁ、その手段はいつでも取れますから、こちらとしてはもっと悪足掻きしたいところですね。
うん、決めました!』
「殺すの?」
『ですからそれは最後の手段ですって。
では三日後、いえもう日付が変わっているので明後日、お迎えに上がりますね』
「へ?」
『出来るだけ強くなっておいてくださいね。
貴方自身の未来を切り開くために必要です。
では、お休みなさい』
「お、おい」
返事は無い。 言いたいことだけ言って去っていきやがった。
俺は再び仰向けに寝転がり、片手で結晶を弄びながら、先程の会話を整理する。
丁寧な喋り口だったが、あの話し方は日本語ネイティブだろう。
つまり俺と同じ様に、召還された日本人の可能性が高いな。
女神と対抗勢力が日本人を召還し合って代理戦争を行っているのか?
そして現状は女神側が優勢と。
優勢にもかかわらず俺を召還して勇者勢に嫌がらせ、か。 いい性格をしているな。
ふむ、とりあえず真緒って女の話の辻褄は合うな。
で、さっきの映像を夢で見せて、女神は俺に何を望む?
真緒の話を知らなかった場合、あれを夢で見た俺はどう思う?
貴方は盾の勇者だったんです、と言われれば、そんな気がしてしまうかも知れない。
そして、俺を盾の勇者に仕立て上げて、勇者勢を絶望させるために何をさせる?
真っ先に思いつくのは裏切りだが、どうやるのが効果的だろう。 考えられるパターンが多すぎて、これ以上の予測は無駄だな。
それよりも、俺を勇者に見せ掛ける以上、ある程度提供されるものがあるはずだ。
利用できるものは利用して、強くなるしかないな。
俺はきっと真緒のことを信じたいんだろう。 何も頼れるものが無い精神状態はきついからな。
だが現状では情報が少なすぎるし、色々なことを想定する必要がある。
俺は何をモチベーションにして、この世界を生きればいいんだろう…
そんな事を考える内に、再び睡魔に襲われ、眠った。