第三章(1)会談
一夜明けて、メルロマルクと魔物の国マーヴェッケンの非公式な打ち合わせの日となった。
仲居が勇者たちを朝食に案内した場所は、昨夜の座敷とは違う部屋で、絨毯の敷かれた洋風な内装に椅子と長テーブルを組み合わせたオーソドックスなしつらえだ。
朝食はビュッフェスタイルとなっていて、机の上に並べられた数々の料理には、二つ折りの手書きPOPが添えられていた。それぞれの料理の説明書きがメルロマルク語で書かれている。
『本当に… 完璧主義というか、凝り性というか…』
即席で書いたのであろう、まだ墨が乾ききらぬその筆致を目で追いながら、ラフタリアは書いた主に心を馳せる。
二つの長テーブルの席次は、何となく会議出席者が集まる形になった。一部出席しないものも含まれていたが。
「ええと、打ち合わせとかするなら、俺は席外すけど?」
昨夜と同じ浴衣姿のままのロックは、起用に片手で卵を割りながら、斜め前の席に座るメルティを見やる。引き気味の表情でロックが卵掛けご飯を作る手際を眺めていたメルティは、首を左右に振って答えた。
「ここで内密な打ち合わせもありませんから」
「それに率直に申せば、そちら側の方が一緒にいていただける方が逆に安心できる、というのもありますな」
メルティの隣のルージュが言い添え、スプーンを口に運ぶ。優雅な所作だが食べているのはカレーライスだった。見れば隣の影、そして錬に樹もカレーを食べている。
「本当は真緒がここに居られたら良かったんだろうけどな」
その真緒の姿は朝から見えない。ロック曰く、マーヴェッケン側の出席者の送迎や会談に向けた準備で忙しいらしい。
ロックと同じ机の並びの離れた場所に座った尚文は、会議に出席できないことに不満を垂れるフィーロを適当にあしらいつつ、昨日の真緒の言葉を思い出していた。
『魔物の事を知ってしまえば、人との間で苦しむことになる』
尚文は初対面の相手の善意を信用しない。善意とは、信頼関係を深める中で生じるものであり、それが初対面の相手に向けられる場合は何らかの裏目的があると考える。
招待しておきながら、『会談をキャンセルして帰れ』等という矛盾に満ちた警告を『後々苦しむことになるから』という善意に見せかけた言葉で誤魔化す。あれ以降、真緒はその言葉を二度と口にすることは無く、傍目には熱心に我々を歓待していた。本当に帰って欲しいのならば、何らかのきっかけを用意するはずだ。つまり、会談の回避が目的とは考え辛い。
では、その真意は何か? 考えられるのは、勇者達にこの会談に対する警戒感を与えること。魔王と現在のトップ(三公と言ったか)の間に意見の相違があり、真緒としては三公の意図に沿って欲しくない、といったところか。
「ナオフミ様、どうぞ」
テーブルに片肘を付いて思案する尚文の背後に立ったラフタリアが、赤白橡色のスープを差し出した。幾つかの野菜を裏ごししたポタージュのようだ。尚文はそれをちらっと横目で眺めた後、椅子の背もたれに肘をかけて、左隣に座ったラフタリアの方を向き、問いかけた。
「ラフタリア、昨日の真緒の言葉、どういう意味だと思う?」
「会談をキャンセルしてメルロマルクへ戻るよう勧められた件でしょうか?
『魔物と交渉の場を持つ』という事の意味を、改めて私達に問いかけたものと受け取りましたが?」
ゴマを練りこんだエピ(細いパン)をちぎり、口に運びかけたラフタリアは、その手を止めて答えた。尚文の沈黙を受けてエピを皿に戻し、椅子に横向きに座り直して尚文の方に向き合い、さらに説明する。
「マオさんは、私たちの態度が想定よりも友好的だったので、逆に危惧を抱いたのでしょう。それこそ、これを機に私達が魔王を討伐しようとする場合も考慮していたかも知れません。勇者が魔物と交渉する、その意味を十分に検討した上でのことか、確認したかったのでは無いでしょうか? 魔物の国というもの自体が私たちの大陸ではありませんから、こちらの大陸にある様々な事情や軋轢は、思い至らぬものがあるのかも知れませんね」
尚文は鼻を鳴らし、面白く無さそうに右手を振った。
「未だ友好を結ぶと決めた訳では無いんだが… 大体、魔王を名乗っているとは言え、話し合いを持ちかけてきた相手を問答無用で討伐する? とんだ野蛮人と思われてたようで気に入らないな。
まぁ、今回の交渉の主体はメルロマルクだ。メルティは兎も角、クズがいるなら大丈夫だろ」
「ナオフミ様もメルロマルク大公という重鎮ですよ?」
話を打ち切って食事を再開する尚文に、ラフタリアの言葉は届かないようだ。いつものように獣耳の娘は小さな溜息と共に肩を落とした。
食事が終わった頃、仲居に呼び出されてロックは去っていった。尚文は元康とサディナにそれぞれ二言三言言付けると、他の会談の出席者と共に部屋に戻り、正装に着替える。
皆が着替え終わった頃、黒服の男が迎えに来た。昨日、魔王に会う前の控え室に案内したのと同じ男だ。昨日、魔王と謁見した広間のさらに奥、豪華な造りの部屋に案内される。
魔物側の出席者は五名。既に着席して(一部座っていない者もいたが)待ち構えていたが、メルロマルク側が入室してくると、一斉に立ち上がる。鎧を着込んでいる者はいるが、武器を持っているものはいない。
真緒が部屋の入り口まで迎え出でて、優雅な動作で片手を掲げ、テーブルの向かい側を示した。その装束は昨日謁見の間で着ていたものに似ているが、すぐに分かる違いとして額にアメシストのヘッドチェーンを付けている。
重厚で艶やかな黒檀の大テーブルの上に、メルロマルク語で書かれた席札が並べられている。メルティを先頭に、入ってきた勇者達は自分の名前の札が置かれた席の前に立ち、魔物側の出席者と向き合った。
「どうぞ、お掛けください」
魔王の時の朗々と響く声。壁際に控えていた黒服の男達が、速やかに椅子を引き、一同が座る。
その椅子も不思議な形だ。背もたれが湾曲して二股に分かれ、尻尾や背中に羽があっても座りやすいようにデザインされている。肘置きは片側のみで、座面の高さは各々に合わせて調整されていた。
黒服の男達が退席し、双方の出席者合わせて十二名が残された室内は、重厚な内装と相まってピリッとした雰囲気がある。緊張の度合いは、魔物の側がやや高目か。真緒はテーブルの上で軽く指を組み、その雰囲気を和らげるかのように、穏やかに微笑みながらメルティに語りかける。
「昨晩はゆっくりお休みいただけましたでしょうか?」
「はい、おかげ様で快適に過ごせております」
「そのお言葉、歓待役としましては愁眉を開く思いです。
さて、始める前に確認と申しますか、お願いがあるのですが」
「なんでしょう?」
「今回の会談は非公式なものではありますが、他国の王族の方をお招きした以上、プロトコルについて言及しなくてはなりません。
申し訳ありませんが、わが国はまだ外交プロトコルを確立しておりません。今回はメルロマルク式でお願いできますでしょうか?
また、当方もなるべく合わせるようにいたしますが、不作法がありました折にはご容赦いただきたいと存じます」
「そうしていただけるなら、こちらとしても助かります。
ですが、今回のお話し合いは仰るとおり非公式のものですので、あまりその辺りを気にされる必要は無いでしょう」
「では、この席次もメルロマルク式と考えてよろしいのですな?」
「その通りです」
メルロマルクでは入口の反対側、一番奥の席から序列上位者から順に並ぶ。真緒が奥から四番目に座っているのを見た上で、ルージュは確認したのだ。
さらに議事はメルロマルク側が書記による筆記、マーヴェッケン側は記録用の水晶を用いて記録する事。それぞれ写し・コピーを作成し、内容に相違が無い事を確認してから、お互いに一つずつ持ち合うこと、本議事の保管方法等を取り交わしていく。
「面倒なんだな」
「ナオフミ様」
そのやり取りを見て忌避感を露に足を組み、尚文が呟いた。ラフタリアが主の袖を掴んでやんわりと諌める。
取り交わしが一段落すると真緒は居住まいを正し、左手を横に掲げた。
「さて、先ずは当方の出席者をご紹介させてください。
皆様に向かいまして一番右手がシインカ老師」
額から突き出た三本の角とやや尖った耳、紫がかった肌、人間と然程変わらない身の丈の老人が頭を下げる。恐らくは鬼族の長老か。黒羽二重の羽織袴の上に長着に似た上着を羽織る姿は、結婚式に出席する親族を想起させた。小さく黒い冠を被り、後ろに金糸で縁取られた深紫の垂纓が付いている。
「この度、勇者の皆様方におかれましては、遥々遠方よりお越しいただき、真に恐縮です。また世界の調停者様には、我らが国にマーヴェッケンという良き名を賜りました事、心より御礼申し上げます。
三公が司徒を勤めさせていただいておりますシインカと申します」
老人は相貌に刻まれた皺をさらに笑みで深くしつつ、しわがれ声なれど矍鑠とした話し方で挨拶した。その言葉を真緒がそのまま復唱し、聖武器の能力で翻訳される。さらに一呼吸おき、メルロマルク側を見ながら言い添える。
「三公の官名、役職名に馴染みが無いと思いますので、主な役割と担当分野を説明しますね。
司徒の担当は政治、種族間の調停を主軸に取り仕切っています。
後、シインカ老師には教育もお願いしていますね」
「過分な大役にて」
「その隣がウボクヤ大臣。子細があって発声が出来ないため、思念を音声に変える石を使いますことをご承知置きください」
豪華な銀糸の刺繍が施されたアバヤを纏い、容貌は金糸に縁取られた紫紺のフェイスベールに隠されているが、恐らく女性と思われた。身の丈は人の膝ほどしかなく、その背には六枚の透明な翼、しかしそれらを全く動かすことなく椅子の上に浮遊し静止している。その短躯に見合わぬ圧倒的かつ威厳に満ちたオーラから、明らかに妖精の上位種であることを伺わせた。
「司空ヲ拝命」
胸元のトパーズの首飾りから、機械音声じみた没個性な声が発せられた。
「担当は財政。後、土木工事などインフラ全般です。
そして私の隣、三公最後の一人ですね。アスノ長官です」
「我が名、アスノ。我、勇者、会えて、光栄、とても」
傷だらけの顔をした屈強なリザードマンが立ち上がり、深々と頭を下げる。その言葉は片言で、酷く緊張しているのが、見て取れた。シボ加工のような表面処理により光沢の落ちた銀灰色のブレストプレートの上に、紫のリボンが勲章のように飾られている。
天井を見つめる姿勢で固まっているアスノの腕を、真緒は軽く叩いて着席を促す。座った姿勢でも背丈はあまり変わらず、頭五つ分は真緒よりも高い。
「担当は軍事。後は警察と防災などの治安維持です。
以上が、マーヴェッケンの国政を担う三公になります。
そして改めまして、私が魔王の山王真緒です。元国王で、現在の担当職務は主に… 何でしょうか? 通訳?」
胸に左手を当てながらそう挨拶した真緒は、左手、三公の面々の方を向いて首をかしげた。
「国政に関しては一線から退いて、相談役といったところですな。崇四傑であることも国民には伏せておりますし」
「労働者代表トシテ、錬金術師、教師、治療師、技術者、文化人、ドレデモ好キニ名乗レバヨイ」
「魔王様、我が軍、顧問、未だ」
「おいおい、肝心な役職が出てないじゃないか。
俺の嫁」
「どれもパッとしませんね。後、ロックには聞いていません。
まあ、通訳でいいです」
親指を自分に向けながらアピールするロックを、見もせずに一蹴する真緒。その鰾膠もない言葉に、ロックは椅子の上で少しずり落ちた。真緒はワザとらしく咳払いをしてから、右手を横に掲げる。
「最後に末席、昨日ご紹介済みですがロック隊長」
「よろしくな。官名は衛尉、近衛騎士みたいなもんだ」
椅子の上で沈み込んだ姿勢のまま、気さくに片手を上げて挨拶するロック。アスノと同じ銀灰色のブレストプレートと左肩の異形な肩当が目立つ。真緒がロックの言葉までそのまま復唱した。
「ロックの言葉まで通訳する必要は無いんじゃないか?」
「あ、そうでしたね。 失礼しました」
「というか、通訳いるか? こっちは全員勇者で武器が翻訳してくれるし、翻訳が利かないのって…」
出席者を順に眺めながら発した錬の指摘に、真緒は微笑を浮かべたまま小首を傾げて答える。
「三公とそちらの影の方ですかね? まぁ、通訳不要と仰るのであれば、席を外しますが?」
「真緒が退室するなら、護衛の俺もだな。じゃあ、あとは若い者同士で」
真緒の発言を受けて、ロックが椅子を引き立ち上がろうとする。
「通訳はいらんが、魔王は必要だろが」
「自分としても、魔王様の不在は困る故、お残り頂きたく」
尚文の険を隠さない言葉に追従するように、アスノが小声で懇願する。先程までと打って変わって流暢なのは、今使った言語が母語なのだろう。
魔王は軽く肩をすくめた。
「魔王が必要な話し合いにはならないと思いますが…
まぁ、私も皆様のお話には興味がありますし、臨席させていただきます。
では、マーヴェッケン側の出席者は以上五名となります。
本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。
それでは当方のメンバーもご紹介させていただきます」
メルティが自分、ルージュ、尚文、ラフタリア、錬、樹、影(書記)の席順に紹介する。
双方の出席者紹介が終わり、会談の位置づけと出席者の権能が確認される。今回の会談の主体が国対国であること、聖武器の勇者らはオブザーバであること(ただし尚文はメルロマルク大公なので除く)、などを確認していく。
「さて、会談の前に世界の代行者たるお二人に確認したい事があるのですが、よろしいですかな?」
シインカが尚文そしてラフタリアの方を順に見ながら問いかけた。深い皺の奥にある双眸が、尚文の心底を見抜かんとばかりに光る。
「この融合した世界を今後どうしていくおつもりか、その神慮をお聞かせいただきたく」
「特に… 将来的なビジョンは持っていないな。
それに、精霊が力を貸してくれないと俺は何も出来ない。ラフタリアもそれは同じだ」
「なるほど。では、この世界を再び二つに割るということは考えていない、と?」
「現状では、な。この異世界融合が余りにも問題が大きい場合は、割る事を考えるだろうよ」
「ここで割ると言ってくれれば、この会談は終わりだったんだけどな」
「そうですな。ですが、今その予定が無いのであれば、我々はこの融合した世界をどうするかについて考えていかねばなりますまい」
ロックのぼやきに、若干、場の空気が緩んだ。ルージュは追従しつつ、話を進行させる方向に舵を取る。
その意図を汲んだのか、真緒が尚文に尋ね合わせた。
「では便乗して、もう一点お聞かせくださいな。
聖武器および眷属器の在り様については、どのようにお考えですか?
聖武器の中で盾の精霊の持つ力が圧倒的に強くなった今、そのヒエラルキーも見直すべきかと思いますが」
「それも特に考えていないな。
というか、それこそ精霊たちが考える事で、俺が決める事じゃない」
「後、念のために申し添えれば、私の力は槌の精霊に付与されていませんので、槌の精霊の力が眷属器の中でも強くなっている事はありません」
「なるほど。ありがとうございました」
尚文とラフタリア、世界の代行者二人の返答を小さく頷きながら聞いていた真緒は礼を述べ、シインカに視線を送る。それを受けて、シインカは袖の中にしまっていた枯れ枝のような両手を机の上に伸ばし、目の前のメルティを見据えて少し身を乗り出すように口火を切った。
「それでは、それを踏まえた上で、この融合した世界の未来のために、貴国と我が国が成すべきこと、そして解決すべき問題点を協議したく」
「この世界の未来のためとは、大きく出たな」
「今、シインカ老師は『この融合した世界の未来のために』と申されましたが、マーヴェッケンはどのような未来をお考えでしょうか? 先ずは、その将来像の認識合わせから行うべきかと思いますが」
「メルティ女王陛下のご意見は至極ご尤もですな。
しかしながら、貴国とすり合わせられるほど確固たる未来図を当方は持ち合わせておりませぬ。新体制で走り始めたばかりの我が国は、山積された問題点を一つ一つ解決していくのみでございます」
「煙に巻こうとするな。魔王が起こした国だ。どんな野心を持っているか、知れたもんじゃない。
アンタらは俺達を歓待することで、技術的にも文化的にもそれなりに発展していることを見せ付けた。その意図は何だ?
経済繁栄を誇示すれば、それ目当てにメルロマルクや他の国が攻め込むとは思わなかったのか?」
脅しとも取れる尚文の言葉に、むしろメルロマルク側に緊張が走った。一方のマーヴェッケン側はアスノを除き落ち着き払っている。一人落ちつかな気に左右を伺う巨躯のリザードマンの腕をさすった後、真緒は軽く頷いて独り言めいた言葉をこぼした。
「左様に、むべなるかな…」
「おい、真緒」
「盾の神様のお言葉は、当然と言うべきものです。マーヴェッケンが魔物の集合体である以上、通常の国家と見做されない。これが現実です。
先ずは包み隠さず、誤解されることの無いような言動を心がけましょう」
言いかかるロックを右手で制し、真緒は三公に向けて言い聞かせるように忠告する。そしてメルティとルージュの方を向き、続けた。
「まぁ、最後の言葉は揺さぶり、ブラフ、ジョークに類するものでしょうね。そのようなものを真に受けて騒ぎ立てるのは、こちらの器量が疑われるというものです」
首を軽く傾げながら微笑む真緒を、ルージュは軽く頭を下げ、上目使いに眼光鋭く見つめ返す。
「マオウ殿のご寛容、忝く存じます。しかるに、先程のイワタニ殿の言葉にありましたとおり、我々の予想以上に貴国は文明的に栄え、裕福に見える。故に先程問うた訳です。貴国は何を目指しておられるのか、と」
「それに関しては、私からお答えするのが適当でしょうね。恐らくルージュ様やメルティ陛下は、マーヴェッケンが今後の発展のために、フォーブレイのように転生者の技術を取り込もうとしているのでは無いか、ゆえに転生者を保護したり、匿っているのではないかと危惧されているのでしょう」
「決して疑っている訳ではないのですが」
少し慌てたように否定するメルティに対して、柔らかく頭を振り、真緒は居並ぶ聖武器の勇者達に順に視線を送る。
「では、世界の代行者様、そして聖武器の勇者様方にお伺いします。
この世界で今後産業革命、工業化が起こり得るとお思いですか?」
「ありえないな。この世界はぶっちゃけ中世ファンタジーの世界を維持するように出来ている」
「そうなのか? フォーブレイなんかは、かなり工業化が進んでいるように感じたが」
「あれは大勢の転生者を抱えて力技で行っていますから、工業化しているとは言い難いですね。実際、タクトら転生者を処分した後は、フォーブレイの設備の稼働率は著しく落ちたそうです」
即答する尚文、それに続く錬、樹の言葉を微笑みを崩さずに頷きながら聞く真緒。
「皆様の理解が早くて助かります。他にもこの世界を縛っているものが多数ございます。
例えば、そうですね… 皆様は、この世界で風車や水車をご覧になったことがありますでしょうか?」
「そういえば、見ないですね」
「水車はどこかで見かけた気もするが… 思い出せないな」
樹と錬の会話にルージュが口を挟む。
「水車ですか、効率が悪いのであまり使われておりませんな」
「効率が悪い? 設置場所を選ぶからか?」
「それもあるのじゃが、効率もよろしくないですな。粉引きで言えば、一日かけても子供がやる半分も作れませぬ。しかも、壊れ易い。
常に技術者が張付いている状態で、やっと実用レベルかと」
「それが世界を縛っていることと、どういう関係があるんだ?」
「この世界は自動化の効率が著しく下がる仕組みがあるようです。
水車で言えば、先程ルージュ様が仰ったように、水車の専門家が傍に付いている状態ですと、本来の性能を発揮します。
さらに言えば、装置や道具自体の耐久性も非常に低いです。これは生産系のスキルを使用していると実感できるかと思います」
「ふむ、そう言えば思い当たるな」
真緒の言葉と視線を受け、錬が腕組みをしたまま顎に手を当ててぼそっと言った。隣の樹が問いかける。
「どういうことです?」
「鍛冶をする時、普通なら壊れそうに無い金床やハンマーがよく壊れる。
最初は俺の腕が悪いと思っていたが、この世界の道具は全て消耗品らしい」
「勇者の武器は例外ですが、一般的な武器や鎧類も壊れやすいと思います」
「フォーブレイの飛行船や自動車なども故障しやすいと聞きますな」
錬の説明にラフタリアそしてルージュがそれぞれ同意の言葉を述べた。
「そちらの大陸とこちらの大陸では、世界を司る仕組みが微妙に異なりますが、自動化が人力を超えられないという意味では同じです。
戦闘でも生産でも加工でも、道具を使う行為には、それを行う人、生き物のスキルや能力値が最終的に影響します」
「そして、それを行う者のLv.が一定以上にならないような制限が、世界の仕組みとして存在する、と」
「なるほど、一定の品質で物を大量生産出来なければ、工業化は起こりそうにないですね」
「メルロマルクはフォーブレイの飛行機を何機か接収されたと聞きました。貴国で運用できそうですか?」
真緒がルージュの方を向き、尋ねる。機密に近い情報に触れられ、少しの間表情も無く絶句したルージュは、大きなため息をついてから答えた。
「検討しましたが、ありえませんな。実戦に投入するには、操縦者のLv.が200は必要です。貴重なLv.200の人材をあのような不安定な代物に乗せるのは、ギャンブルが過ぎますな」
「つまり、飛行機を使用するには勇者の力が必要になる、ということか」
「こちらの大陸にもフォーブレイほどではありませんが、転生者のもたらした技術で繁栄していた国が幾つかありました。それらの技術は、転生者の死と共に全て衰退しています。そのような一時的な発展は、人よりも長い寿命を持つものも多い魔物の国において、望むべきものではありません」
真緒の言葉の後、一時の沈黙が流れた。それまで真緒から視線を逸らさずにいたルージュが椅子に背をもたれるように下を向き、改めてずいっと重厚に身を乗り出して、魔王に圧力をかけるように切り込む。
「この世界が現在の文明水準に留まるような仕組みが存在すること、転生者の技術は恒久的な発展をもたらすものでは無いことは理解し申した。
ですが、この地にはマオウ殿の元の世界の技術が色濃く息づいているように見受けられる。我等の歓待を目的で作られたにしては、急造感が無い。年季が入りすぎているとも感じられますな。先程の言葉とは相反するのでは?」
軽く首を傾げながらルージュの言葉を聞いていた真緒は、何かに思い至ったのか、口に手を当てて赤面した。
「そう言えば、説明していなかったですね。私も他人の事を言えません。 お恥ずかしい…
ここ『魔王の隠れ家』は、マーヴェッケンと殆ど関係の無い私の私邸です。目的は私の趣味の逃避場所ですが、もう一つ大事な役割がありました」
「過去形なのか?」
「はい、もうその必要も無くなりましたから」
真緒はここで一度息を継ぎ、一瞬視線を伏せてから、前を向いて続ける。
「新たな崇四傑が召還された時に、こちらに退避していただく予定でした。崇四傑が召還される場所は、魔王の居城の最深部になってしまいましたので、勇者のスタート位置としてはちょっと…」
「ああ、崇四傑は必ず総本山に召喚されるんだったか? しかし、メディアからの保護が目的なら、手元に置いておいた方がいいんじゃないのか?」
「未だメディアの存在も確証が無い頃でしたし、当時は眷属器を持った転生者たちが脅威でした。私が魔物寄りの立ち位置になってしまったので、バランスを取る意味でも人に寄った、国の柵に囚われない勇者であって欲しいという願いもありました。
それに… お見せしていないので理解し辛いかと思いますが、魔王の居城には人間は私しかいないのです。私も完全に人間とは言い難いですが。明らかにモンスターのような魔物も多いですし、召還されたばかりの異世界人には辛い環境だと思いますよ?」
真緒は言いながら、チラリと隣に座るアスノの方に視線を向ける。
「「なるほど」」
同様にアスノを見ながら、異口同音に納得の言葉を漏らす勇者たち。傷顔の大柄なリザードマンは何か言いたげに口をパクパクとさせたが、声にすることは無かった。
「ここ魔王の隠れ家にいる者たちは『訳有り』でしてな。マーヴェッケンに属さずに魔王と個人的契約でここにいる、まぁ言ってしまえば魔王が集めた傭兵や私兵のようなものです。
この隠れ家自体が、マーヴェッケン領内に幾つか存在する自治区の一つなのですよ」
「外見と言語能力を重視して選んでいるので兵隊ではないんですが、兎に角この隠れ家の企図とマーヴェッケンの理念とは無関係で、かけ離れているとお考えくださいませ」
シインカと真緒が代わる代わる説明する。メルティは隣のルージュを横目で見遣ってから、真緒に向かって問いかけた。
「では、現在の魔物の国マーヴェッケンの進むべき道とは何でしょうか?」
「それはシインカ老師からお願いします」
「自分で言っておきながら人に振るとは…
先程も申し上げました通り、合議制に移行してから未だ一月余り。何もかもが手探りの状態でして…
直近の目標は、国全体としての自給自足体制の確立ですな。
将来も見据えた国政の理念は四つ。法治、合議制、平和主義、社会進化」
「社会進化とは聞き慣れぬ言葉ですな?」
机の上で組んだ手の上に顎を乗せた姿勢でルージュが尋ねた。
シインカは小柄な身体の胸をそびやかしながら答える。
「特定の個人の力ではなく、国とそれを構成する社会全体を進化させようという取り組みです。文明水準の向上と言ってもよいですな」
「そう言うと立派に聞こえますが、実のところ住人達の生活や暮らしをより良くしていこうという程度のことです。恐らく殆どの国がお題目とするまでも無く目指していることだと思いますよ?」
「折角格好をつけたところで、水を差さしてくださいますな? 魔王よ」
すまし顔で横槍を入れる真緒に、シインカはぴしゃりと釘を刺した。お互い目を合わせない険悪な雰囲気に見えるが、どこか演劇性を感じさせる。それを自覚してか、鬼族の長老は咳払いの後に続けた。
「中枢機能としては、国政、外交、戦力の集中管理、文化の発展・維持、魔法を中心とした学問の振興。
体系としては合衆国ならぬ合群国、群れの集合体ですからな。様々な種族や部族の集まり故、法度に反しない限り個別集団の仕来りには不干渉が基本となっております」
「トハ言エ、部族間ノ調停ヲ行ウ意味デモ、法令ノ整備ト拡充ハ急務」
「既に十か条の禁則を定めた法度はあるのですが、国体を定めるには不十分ですからな。貴国からすれば、随分と遅れているように見えましょう。後は魔物共通の言語と文字の整備、識字率の向上。この辺りは継続性を重視し、腰をすえて長期的な視野で取り組んでおります」
「意外と普通だな」
意外そうな錬。退屈そうに頬杖をついたロックが面白く無さそうに言う。
「普通の国になることが目的だからな」
「マーヴェッケンの国民になる条件は何でしょうか?」
メルティがシインカに尋ねる。
「原則的に個人での亡命は受け付けておりませぬ。
ありえるとすれば… 既にマーヴェッケンに加わっている部族や種族に同胞として受け入れられれば、ですかな?」
「新たな種族や部族が加わる場合は?」
「ウボクヤ大臣、どうですかな?」
「族長会議デ認メラレレバ、迎エ入レル」
「最低条件としてはそうですな、群れとして管理がされていること、代表者が我々とコミュニケーションできること、税として労役、土地、食料、資材などから定められた量を収められること、そして何より我々の理念に賛同し、行動できること、といったところでしょうな」
質問と回答が一段落し、沈黙が降りた。真緒が何時の間にか用意したお茶を入れる音だけが室内を満たす。茶器は飲み口に膨らみがあり、取っ手が左右につけられた変わったデザインだ。人数分のお茶を入れるとトレーに乗せ、机の上を滑らせる。魔法の力で浮いたトレーは銘々の前で止まり、それぞれ手に取る。そして最後に真緒が取り、口を付けた。リザードマンのアスノは手が短いため、器用に口だけで茶器を咥えて呷る。ともすれば行儀が悪いと取られかねない所作だが、体躯故に仕方が無いのであろう。飲み口の膨らみもそのためのものと理解された。
ルージュは茶を飲み干し、自分が喉の渇きに気付かぬ程に緊張していた、と改めて自覚する。目の前の相手は敵対的ではなく、会話の主導権を取られている訳でもない。にも関わらず、ルージュが長年培った知性に裏打ちされた本能が警戒を解こうとしない。魔物の国マーヴェッケンがどういう国なのか把握しきれていないのが原因の一つか。しかし時間は有限であり、何時までも情報収集しているわけにもいかない。
話を進める頃合か。ルージュは茶器を置き、大きめの咳払いで注意を引いた後に、対面に座る面々を俯瞰するかのごとく背筋を伸ばして言った。
「貴国の目指すものは大凡理解でき申した。では話を戻しましょう。
貴国と我が国がすべきこと、そして解決すべき問題点について、でしたな?」
「左様」
フェイスベール越しにストローのような棒を咥えて茶を飲んでいたウボクヤが短く答える。
「同盟を結びたい、とでも言うつもりか?」
尚文のやや軽侮の混じった言葉に、シインカは茶をすすりながら苦笑した。
「いやいや、そこまで先走った考えは持っておりませぬ。
先ずは『我が国』という存在を認識していただくこと、ですな。将来に向けた希望には限りがありませんが、現時点では同盟締結は考えておりません」
「何故でしょうか?」
メルティが意外そうな表情で尋ねる。
「大凡の予測ですが、魔物の国が人々に認識されるのに五年、魔物の中には人と対話可能なものが存在すると周知されるまでに十年、人間の国々と同様の条約や協定を結べるようになるのに、さらに十年かかるでしょう。勿論、人間側の理解や常識が塗り替えられるまでの時間という側面もありますが、我々共魔物の多くが実際に未開であり、国家として力不足である現実も含めてです。
残念ながら現在この大陸で魔物の国マーヴェッケンを国家とは認めない国が殆どであり、敵対関係にある国も多い。もし魔物の国と同盟となれば、貴国の国民も周辺諸国も拒否反応を示しましょう。折角、メルロマルクを中心に世界がまとまろうとしているのに、火種を持ち込むこともありますまい。
――それに、これから我々が提案する内容を聞けば、同盟などもってのほかと思い直されるでしょうな」
「その提案が、会談冒頭にあった貴国と我が国が成すべきことに関連しますかな?」
ルージュの念押しに、シインカは頷く。
「如何にも。現在のメルロマルク、いやそちらの大陸全体の問題点について、解決の糸口となるものを提案できると考えております」
三公筆頭の長老は、横目で魔王の方を見る。真緒は手にした茶器を覗き込むように俯いたままだ。
「そちらの大陸で発生している、もしくはこれから発生し得る数々の問題、その根幹は」
長老は一度言葉を切り、メルロマルク側の出席者を眺めてから、改めて正面のメルティを見つめる。
「龍刻の砂時計を解放したことによる全体的な住民のLv.高騰」
今ひとつピンと来ない顔のメルティ。隣のルージュも表情は変わらないが、眉がピクリと動いた。平然と表情を動かさないよう勤めている老獪な大公に、シインカは視線を向けた。そこには同情に似た色が混じっている。
「波から民を保護するために仕方の無い選択だった、と理解しております。
ですが波が終わり、魔物の活性化もほぼ沈静化した今、力を持った住民達を抑止する手段が無い。社会に暴力が蔓延り、治安が悪化している。
そうですな?」
メルティとルージュは沈黙したまま、他の者も口を挟めずにいる。シインカはさらに視線を聖武器の勇者達の方に向けた。
「そしてフォーブレイとシルトフリーデン。かの国のみが、未だに龍刻の砂時計を解放したままにしていて、さらには高Lv.の傭兵、冒険者、市民を大量に雇い、何かをしようとしている。
いや、もう確定ですな。こちら側の大陸へ入植を行おうとしております」
暫しの沈黙。ルージュが無表情に問いかける。
「それに対して、そちらから提供できる解決の糸口とは?」
「我々、が、間引く」
アスノが己を強いて堂々と答える。尚文の目が細まった。
「人を襲う、か?」
「いやいや、逆ですな。襲っていただこう、と」
「なるほど、先程のイワタニ殿の言が正鵠を射ていた、ということですな」
シインカの答えにルージュは椅子に沈みながら嘆息した。
「何?」
尚文の問い質しに答えず、思索するように視線を上に彷徨わせるルージュ。視線を合わせぬまま、再度シインカに揺さぶりをかける。
「しかし、解せませぬな。仮にフォーブレイとシルトフリーデンがこちらの大陸に入植しようとしているとして、それを抑止する事が我がメルロマルクにメリットがありますかな?」
「心にも無い事を申されますな。入植により国力を回復させたフォーブレイとシルトフリーデンが、次に目論むものは何か? その先に何が起こるか? 英知の賢王と呼ばれた方なら、もうお分かりのはず」
「むぅ」
呻くように沈黙するルージュ。彼の理性が、相手方の状況分析は正しい、と認めざるを得なかった。思考に抜けは無いかチェックするため、表情を殺したまま熱を出さんばかりに頭を酷使する。
その時、それまで俯いて目を閉じていた真緒が顔を上げ、ゆっくりと視線をメルティの方に向けた。
「もう一つ、別の視点からの問題もご提示いたしましょう。
現状、そちらの大陸の各地で行われている魔物の生息域への蚕食、いえ私共の立場からは簒奪と申し上げましょう。それによる人の住む地域の拡大は、唯でさえ波が終わったことによる人口の増加に一層拍車をかけるでしょう。となれば当然発生が予想されるのが食糧問題」
「当方にはバイオプラントがあります。農地を人口比に合わせて拡充確保できれば、食糧難は発生しないと思いますが?」
「盾の神様が改良された植物でしたね。成長が早く収穫量の多い優れた植物ですが、残念ながら欠点があります」
「なんだと?」
尚文を中心に空気が硬化した。真緒は尚文の方を向き、左手の指を一本ずつ立てながら説明する。
「一つは連作障害です。バイオプラントはこれが顕著です。
メルロマルク南西では既に立ち枯れが発生している、そうですね?」
「バイオプラントは元々そういう植物だ。一定量の実を収穫した後は枯れるようになっている」
「バイオプラントが枯れた地は半年経っても種が芽吹きません。それも想定どおりだと?」
「…あくまで当座の飢饉を回避するのが目的だったからな」
腕組みをしつつ苦々しげな尚文。 真緒はメルティの方を向く。
「正に仰るとおり、急場凌ぎのものなのです。一時的に多くの食料は得られますが、その後に土地が痩せてしまうことと連作障害の副作用があります。継続した食料調達には向いておりません」
「確かにバイオプラントの立ち枯れ増加が、南部で問題になっていました。原因までは判っていませんでしたが、連作障害とは…」
「魔物による土壌改良をする期間を休耕期として、バイオプラント→休耕→穀類の三圃式輪作を行うことは出来ましょう。ですが、魔物による土壌改良は、その休耕期間を家畜の放牧に当てることが出来ないのが難点です。かといって通常の放牧による休耕では地力の回復が間に合いませんし… 効率を考えれば、メルロマルクのように畜産が盛んな場合は、通常の四輪作の方が全体的な食料の生産量としては多くなります」
「まるで見てきたかのように言ってくれるじゃないか」
「見てきましたよ? 殆ど同じことを、四年前に私が経験していますから」
尚文の皮肉にも平然とした顔で答え、真緒は二本目の指を立てる。
「ですが、それ以上に問題なのが、バイオプラントがメルロマルク南部以外の土地では殆ど育成が見込めない、ということです。そのためメルロマルク領内でも南北の経済格差が発生しているはず。それが大陸レベルで国家間の交易にまで及ぶでしょう。食料自給率の低い国は少なくともインフレ、最悪の場合は飢餓が発生します。バイオプラントの保存性が低いことも要因ですね」
「どこでも育って保存性のあるバイオプラントを作ればいいんだろ?」
「それが出来れば、この二番目の問題は解決ですが、魔物の住んでいた地域にバイオプラントを根付かせるのは困難かと思われますよ?
既にフィロリアル牧場でお試しになられて、ご存知だと思いますが」
尚文は村の開拓時、住人の増加に応じて住居用キャンピングプラントを増設しようとした際、フィロリアル牧場の跡地では芽吹かなかった事を思い出した。その後、食料のバイオプラントの種も撒いたが根付かず、結局牧場に戻したのだ。その時はフィロリアルの縄張りや結界が邪魔しているのだろうと思っていたのだが、真緒の話が事実なら魔物の住処ではバイオプラント系の植物は使えないという事になる。
真緒はさらに三本目の指を立てる。
「最後に、バイオプラントの改造や改良はメルロマルク、いえ正しくは盾の神様以外には殆ど不可能、ということです」
「何を言っているんだ? 今のバイオプラントの改良は、殆どラトっていう勇者でもない錬金術師が行っているんだぞ?」
「最終調整を行っているのはラト様でしょうが、実際のパラメータ設定は盾の神様がやってらっしゃいますよね? どこでも育つような改良を行うのに盾の神様の御手が不要とは到底思えません。
他の国がバイオプラントを自国で育つように品種改良を行うことが出来ず、可能なのはメルロマルクの大公だけ、これが国家間にどんな影響を及ぼすか、お考えください」
真緒の最後の言葉は、メルティとルージュに向けられた。再び長い沈黙。
メルティは何度か口を開こうとするも言葉にならない様子。
ルージュは静かに深い溜息をつき、視線でメルティを制した。
「内容の確かさに関してはとりあえず置いておくとして、とりあえず貴国の危惧することは理解し申した。
入植の矛先を貴国に向けることで、フォーブレイやシルトフリーデンを弱体化させ得るかについても、疑問はあれど棚上げとしましょう。
では、貴国マーヴェッケンはその代価として我々に何を望まれますか?」
我が意を得たりといった表情で三公の面々、そしてロックが真緒を見つめる中、黒髪の魔王は杖の勇者に朗々たる声で答えた。
「こちらの世界の眷属器八つの内、七つの開放」
メルロマルクの勇者達がその言葉を理解するのに少々時間がかかった。
「…それはグラス殿の持つ扇の眷属器以外、刀、楽器、銛、鎌、船、鏡、本の眷属器ということですかな?」
杖の勇者の言葉に水晶の勇者は肯定の笑みを返した。
困惑、煩累、不信、不可解。尚文は腕組みをしたまま動かず、錬と樹は小声で話し合い、無言で真緒を見つめるルージュの横顔をメルティが凝視する。老大公は隣に座った若き女王に耳打ちしてから、咳払いで場を鎮まらせた。
メルティは毅然とした声でメルロマルク国としての意思を示す。
「勇者とその眷属器は国の所有物ではありませぬ。メルロマルクとしては、その開放に関してお約束いたしかねます」
その答えを聞いても、真緒の表情は微笑を浮かべたまま変わらず、深緋色の視線を隣に移す。
「盾の神様はどのようにお考えですか?」
「あの時の眷属器剥奪は、精霊の意思に力を貸したものだ。
それを開放しろと言われてもな」
その瞬間、ラフタリアには真緒の長い黒髪が僅かに逆立ち、膨らんだように見えた。ほんの一瞬、目配せした真緒と視線が合う。
『ごめんなさいね?』
それは真緒からラフタリアにだけ送られた念話。驚いたラフタリアが答えを返す間も無く、真緒は尚文を見つめたまま、右手をラフタリアの方に向け、指先を躍らせた。
「では、私がここで眷属器剥奪を行って今の所有者から離れた場合も、精霊の意思とみなしていただけますか?」
「あ」
ラフタリアが腰に差していた小振りの槌がゆっくりと抜き取られ、真緒の方に向かって回転しながら浮き上がる。
「おい、槌はこちら側の眷属器だぞ!」
暫し呆気に取られていた勇者達の中で、錬が慌てたように声を荒げた。
「ああ、すみません。間違えてしまいました」
そう言いながらも視線は尚文に向けたまま、真緒が指先を弾くような仕草をして右手を下ろすと、槌はラフタリアの元に戻っていく。
「な、なんで勇者武器が外れて… まさかタクトと同じ力を?」
「今のラフタリアは厳密には槌の勇者じゃない。だから外すことはできる。だが」
腕組みしたまま、真緒を睨み付ける尚文。
「戯れが過ぎました。今のは単なる念力で眷属器剥奪ではありません。
申し訳ありません」
「で? その悪ふざけの目的はなんだ?」
漸く視線を外して神妙に頭を下げた真緒を冷やかに見つめ、尚文は突き放すように言った。真緒は頭を上げると髪を揺するように首を軽く左右に振り、少し困ったような表情で肩をすくめる。
「あまりこの件で盾の勇者様を非難するようなことを申したくは無いので、察していただきたかったのですが… 先ずは鏡と本の眷属器の件」
「ん?」
「あの時、鏡と本の眷属器の所有者は転生者ではありませんでした。
鏡の勇者は南西ジルコンサの小国「ビハズ」の宰相を務めていました。扇の勇者グラス様のいらした「テアオワン」の隣国です。現在は宰相職を解かれて、大変な苦境にあるとか。
本の勇者は冒険者で転生者の襲撃を避けるように旅をしていましたが、眷属器を剥奪された後に転生者との戦闘で亡くなっています」
「げ」
「もう一点、あの時コンバート機能をお使いになりましたよね?」
「ああ」
「あれ以来、こちらの眷属器も全て盾の配下に置かれています」
「!」
「試してはいませんが、恐らく私には眷属器剥奪できない状態かと」
「…ちょっと待ってくれ」
尚文は腕組みを解いて、左手を額にやって俯き、右手を前に広げた。
皆が尚文の次の言葉を待つ中、ラフタリアが手を挙げる。
「あの… 開放を求める眷属器の指定があるのは何故ですか?」
「こちらの大陸の問題解決に努めていただけるであろうから、です。経緯から鑑みて、そちらの大陸の眷属器よりは返却が容易だろうと思いまして」
「眷属器は地域や大陸に属するものではなく、世界を救うためのもの。
もう世界は一つになっているんです。その認識が精霊達に浸透し、こちらの大陸のために力を振うのであれば、どの眷属器でもいいんですよね?」
その言葉に真緒は穏やかに微笑んだまま肯定も否定もせず、真紅の瞳だけが喜色を帯びて光った。
固まっていた尚文が立ち上がり、テーブルに両手をついて声を絞り出した。
「一旦、休憩にさせてくれ。少しこちらだけで相談したい」
「そうですね、では暫く休憩にいたしましょう。
隣の部屋を準備させておりますので、自由に使っていただいて構いません。再開の時間は追って案内させますね」
一同が立ち上がると部屋の扉が開き、黒服の男たちが入ってくる。その一人に真緒は耳打ちし、勇者達を隣室に案内させた。
案内される途中、尚文はメルティに近寄り、話しかける。
「メルティ、対象の眷属器の勇者を集めてくれ」
「わかったわ」
「アトラ」
「お呼びですか、尚文様」
「精霊どもに声をかけろ。俺とラフタリアがそっちに行く、と」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?