課題(10)自分自身の伝記
ライター養成講座の課題
(ここは毎回同じ文章載せます)
こちらは2008年に半年間受講していたライター養成講座の提出課題です。
講座で提出したまま15年近く眠ったままなので掲載します。
現在とは社会情勢、私自身の価値観などだいぶ異なることを前提にお読みください。
内容的に許可が必要なもの、私自身が読まれたら恥ずかしいもの以外は掲載予定です。
課題テーマ
年老いた将来の自分が自伝を書く
本文
(タイトルなし)
今思うと、私には若い頃にチャレンジすることが少なかったのです。何事にも消極的で、自分から人に話しかけることなんてほとんどなく、常に受身で、好きな人に告白なんてとんでもないと思っていました。
変わってきたのは30歳前後でしょうか。少々の失敗をしたからといって、人生全体がどうこうなるものでもないと思うようになったのです。それからです。公私共に充実してきたのは。
仕事に追われる毎日の中で、どうしてもやってみたいことがありました。それは雑誌を作ることです。
将棋界は08年6月に専門誌1誌が休刊してしまい、月刊誌1冊と週刊紙1紙という状況が長らく続いていました。どちらも日本将棋連盟という、当時は将棋界の元締めだった団体が発行している機関誌(紙)です。これが業界全体にとっていいこととは思えません。日本に新聞が1紙しかなかったら国民全員の思想が偏ってしまいますよね? 将棋界だって同じ所から発行された書籍しかなければ、自然とその団体を賞賛する記事しか集まらないことになります。業界全体のことを考えると、批判的な雑誌があってもいいはずです。
だから私は、別の視点から見た雑誌を作ってみたいと思っていたのです。もちろん公式棋戦は日本将棋連盟が主催しているものですから協力してもらう必要はありますけれど、将棋って別にプロだけのものじゃないのですよ。江戸時代、庶民が指していた将棋は「縁台将棋」。民家の軒下に集まり、ああだこうだと口を出しながらみんなで楽しんでいたものです。120年前に第二次世界大戦が終わってからは公園なんかで指されていたらしいですけど、残念なことに私はその光景は見たことがありませんね。聞いた話では2010年くらいまで堺の大仙公園あたりで指されていたそうですけれど。
「将棋はアマチュアのもの」という言い方をしたくはありません。プロもアマも関係ない、日本人の素晴らしさを伝えているゲーム、それが将棋なのです。
世界の将棋にはない「持ち駒の再使用可能」というルールは、敵味方が同じ民族だった日本人だから可能だったと言われています。駒1つをとっても、難しい漢字が使われ、わざわざ作りにくい五角形。文字部分だって盛り上げ駒はわざわざ彫って、漆を埋めて、そこからまた漆をてんこ盛りにするという面倒な工程の連続です。
だから私は、日本人の頭のよさを象徴するゲームとしての将棋を取り上げるような雑誌を作りたかったのです。
しかし問題は山積みです。人材、ネタ不足、そして何よりも将棋ファンが雑誌を買わなくなっていた事実。50年続いた専門誌が休刊になるくらいですから、将棋ファンの雑誌離れは深刻でした。資金も問題です。手っ取り早くお金を集めなければと、毎週のように1等当選金が6億円になることもある「toto BIG」というサッカーくじも買っていたのですが、そう簡単にはいきませんでした。
なんとか地道に働いて貯金したお金と理解者の協力もあって雑誌の立ち上げには成功しましたが、ネタ不足も深刻です。だから最初は将棋だけでなく、囲碁、チェス、バックギャモンなどのさまざまなボードゲームを取り上げる雑誌にしていました。
しかし読者全員が全てのページを読める雑誌を作りたい。そこで創刊3年目から将棋専門にしました。ネタがないなら自分たちで作ればいい。将棋大会や駒作り教室、歴史の研究会、新しい盤駒の開発…、できそうなことは何でもやったのです。
そういうがむしゃらさもあったのか、5年後には将棋界だけでなくボードゲーム類の雑誌で1番の売り上げを記録することができました。
「なんか地味ですね、どこがすごいんですか?」というあなた。やっている本人は輝かしい授賞式なんかより、そこに至るまでの苦労のほうが長いのです。多くの理解者と協力者に囲まれながら、一歩ずつ階段を上っていたときこそ、私にとって誇れる瞬間だったと思っています。
(2008年9月27日)
2024年のひとこと
もう一度書くと、2008年に書いた「自分が老いたときの自伝」です。
当時の将棋界は、と言いますと。
2006年 名人戦問題勃発
2007年 LPSA創設
2008年 名人戦が毎日・朝日共催に
です。激動なんですよ。本文で暗にいろいろキレていますね…。
この後、
2010年 株式会社ねこまど設立(←北尾氏が)・駒doc.創刊(←北尾氏が)
ていうのがありまして。
だいたい似た展開になっていますね。ひろーい意味で。
2009年以降はもちろん妄想で書いているのは、決定的に異なるのは「公園での将棋」が今も続いていることくらいでしょうか。
「伝記」としてかっこつけるために「日本人の頭のよさを象徴するゲームとしての将棋」って書いていますが、実際は当時もいまもそんなこと思っていません。