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ベルンドイツ語の丁寧表現、よく考えたら不思議じゃないかも?

こんにちは。
スイスラボの言語学者 Yamayoyam です。

今日は、私が今住んでるベルン州のドイツ語方言、ベルンドイツ語の小咄をしたいと思います。今回は、軽い気持ちで調べ始めたらヤヤコシくなっちゃったパターンです。これも研究あるある。

標準ドイツ語では、いわゆる「丁寧形」で話したいとき、相手に Sie(ズィー)で呼びかけます。Sie は3人称複数形の人称代名詞に由来し(というか、ほぼまんまですけど)、それに合わせて定動詞も3人称複数形をとります。

“Wie heissen Sie?” 「お名前は何とおっしゃいますか?」

みたいに。チューリヒ方言をはじめ、たいていのスイスドイツ語方言でも丁寧表現は3人称複数形を使うそうです。
ところが、私の住むベルンでは丁寧な物言いでは3人称ではなくて2人称の複数形を使うのだそうです。 

“Wi heisset Dihr?” 

みたいに。※ 形式だけ標準ドイツ語に置き換えると "Wie heisst ihr?"に当たります。標準ドイツ語では「あなたたち何て名前?」ていう意味になっちゃいますけど。なんと!変わってるなあ、面白いなあ、と思ったのも一瞬、アレ?ご近所のヨーロッパ地域で話されている印欧諸語的にはむしろ2人称複数を丁寧形に使うのが普通じゃない?とハタと我に帰って思ったのでした。
我がリトアニア語(※※)でも丁寧表現は2人称複数形、ラトビア語も、ロシア語もそう、フランス語でも。英語の you だって2人称複数形由来です。由緒正しい単数形 þū が古英語に残っています。丁寧表現がインフレーションを起こして有り難味を失い、単数形としても定着したんじゃないか、と思っているけど、まだちゃんと調べていない・・・。

日本語でも、有名な例で「おみおつけ(=みそ汁のこと)」がありますね。ご飯に「付け」るものということで非丁寧形は「付け」なのですが、それに丁寧語の接頭辞を付けて「お付け」にし、それが有り難味を失ったのでさらに接頭辞を付けて「みおつけ」となり、さらにさらにそれが有り難味を失ったので接頭辞をもう一回付けて「おみおつけ」。丁寧のインフレ率300%といったところでしょうか。(インフレ率の計算のしかたを知らないのですけど、感覚で)

ドイツ語の丁寧表現の話に戻りますが、近縁の印欧諸語では丁寧にするときに2人称複数形を使うほうが、わりと一般的な印象です。ベルン方言の方が「多数派」と言えそうです。むしろなんで標準ドイツ語では3人称なんだろう?と思ってとある本を手に取ったところ、何やらヤヤコシイ歴史があったことが分かります。※※※
ドイツ語の資料で、代名詞の複数形が単数の対象に使われている丁寧表現が初めてお目見得したのはAD865年のこと。Otfrid von Weissenburg が福音叙事詩の中で使いました。ラテン語由来の「複数形=丁寧表現」の語法を取り入れたと言われており、その時使われたのは、3人称ではなく2人称の複数形でした。その後、この用法は1200年頃までに高地ドイツ語で一般的に受け入れられるようになりました。そんなドイツ語の丁寧表現に異変が起きたのは前近代。Der Herr 「旦那様」⇒ Er, die Herrin 「奥様」⇒ Sie (3sg.) はともかく、Majestät / Hochwürden 「殿下・閣下」⇒ Sie (3pl.) といったタイトルでやんごとなき人々に呼びかけて敬意を表す習慣から、丁寧表現に3人称代名詞も巻き込まれていきました。そこには「敬意=複数形」に並んで「近しくない・社会的距離が遠い=3人称を使う」という意識もあったそうです。そして、17世紀末には左から順に丁寧度の上がる、

du (2sg.) << Er/Sie (3sg. m./f.) << Ihr (2pl.) << Sie (3pl.) 

の4段階システムになりました。いわゆる標準ドイツ語では一番下と上を取って2段階に収斂という形になった、らしいです。こんな複雑なシステム、単純化して正解!

一方フランス語との言語接触が日常的なスイスのベルン州では、フランス語からの影響が、古くからあった2人称複数形での丁寧表現の堅持にインセンティヴを与えた、ということができるかもしれません。

こんなふうに、ちょっとした言葉遣いの違いにも、ヤヤコシイ歴史があったりするのだなぁと、調べながら思ったのでした。いや、ヤヤコシかった。

次回はもうちょっとすっきりした小咄を披露したいものです。

スイスラボの言語学者
Yamayoyam

※普通「ihr」であるはずの2人称複数代名詞が、ベルン方言でなんで「dihr」になっちゃってるのか、については、いつか別記事で書く機会があったらなぁと思います。 
※※一応専門はバルト語(と印欧語比較言語学)です。でも、歴史・比較言語学全般に興味がありますので、こうしてゲルマン系の言語の歴史のこともほじったりします。
※※※ Werner Besch, Norbert Richard Wolf 著 Geschichte der deutschen Sprache (Erich Schmidt Verlag, 2007) の118−124ページを参考にしました。

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