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水の咄

みなさん、こんにちは。
Yamayoyamです。

久しぶりにストックホルムに帰ってきて、外食事情がスイスとちょいちょい違うことを思い出しつつあります。
何よりお値段がスイスに比べたら、まとも。
そして、スウェーデンでは基本的にキャッシュレス。現金払いしたいというと、むしろ店員さんがビックリするかも。

そして、お冷事情が違います。
今回は、スウェーデンで思い出した、スイスのレストランでの水事情のうち、ちょっとみみっちいお咄をしたいと思います。

まず衝撃の事実から。
スイスのレストランでは水道水を頼んでも料金がかかります!
スウェーデンでも日本でもお冷はタダで出してもらえるので、ビックリしましたとも。

最初にこれを経験したのは、ベルンのとあるインド料理店。
友人とインド料理店に行き、悩みに悩んで長いメニューリストから料理を選び、飲み物まで選ぶ気力はのこっていませんでした。二人揃って、飲み物はもう「水道水でいいです」とウェイターさんに伝えると、インド系と思しきそのウェイターさんは「水道水でも2フランかかっちゃいますけど、いいですか?」と親切にも聞いてくれました。びっくりしつつも、今更飲み物を選ぶのはしんどくて、「水道水でいいです」とお願いしました。

さて、それから2~3ヶ月後、今度はベルンのオシャレカフェに訪れる機会がありました。北海道ラーメンをランチに出す、あのカフェです(ベルン在住日本人ならほとんどの人が知ってるかも)。そこで再び私は水道水を注文することになりました。食事代だけでけっこうなお値段だし、コーヒーは食後がいいし、今は水でいいや、と。
すると、今度は「水道水は置いてないけれど・・・」という説明がウェイターさんからありました。「水道水の代わりに、ウチ特性の水がありますが、一杯4フラン」なのだそう。なんでも水道水にハーブやらなんやらを浸けたものだそうで、ほとんど説明を忘れちゃったけど、健康に良いということだったかな?こちらのウェイターさんは、「この水は4フランの価値があるのだ!」と、熱弁をふるってくれました。

スイスではレストランに行く前にそのへんの湧水でもがぶ飲みしないとな、などと女子寮出身のYamayoyamはみみっちいことを考えたり考えなかったり。

こんなみみっちい咄だけで終わってしまうのもなんですので、印欧諸語の「水」についても書こうかと思います。

「水」といえば、英語・オランダ語 water、ドイツ語 Wasser ですけど、なんとスウェーデン語ではvatten なんですね。
語末の子音が -r と -n で交替しているんです。

ちなみに古プロシア語では wundan。リトアニア語では vanduo ですが、主格以外の形で vanden- (属格形 vandens とか)が現れるので、語幹が -n- で終わる n- 語幹名詞と言われます。

古い言語にも残っていて、
ヒッタイト語(単主)wa-a-tar,(複主・対=集合名詞)ú-i-da-a-ar、ギリシャ語 ὕδωρ、サンスクリット語 udán-(単属)udnás,(複主・対=集合名詞)udā́ など。
ちなみに中性名詞で、複数形の代わりに集合名詞と呼ばれる形を取ります。(※1)。

ところで、こんなふうに、各言語で語幹子音が違うことを、歴史的にどう解釈するか・・・?

こんな難しい問いを解決に導いたのは、20世紀初頭に「発見」されたヒッタイト語でした。解読に取り組んだHroznýが、(単主)wa-a-tar,(単属)ú-e-te-na-áš,(単奪・具)ú-e-te-ni-it/dのように、他の印欧諸語でバラバラに観察されていた -r と -n の交替が、一つのパラダイムに収まっているのを突き止めました。
ここからいろいろな議論が繰り広げられたらしいのですが、1975年にJochem Schindler という偉大な言語学者がまとめた提案が、大学院時代の恩師の授業で取り上げられました。もっとも説得力がある解釈なのだろうと思います。

印欧祖語の段階で、格変化に従って語幹末子音がそもそも -r と -n で交替していたのが、各言語でどちらかの語幹末子音が一般化されたのではないだろうか。具体的に、単数では(主・対)*wód-r̥ / (属)*uéd-n̥s のような曲用、複数=集合名詞では(主・対)*wéd-ōr / (属)*ud-n-és のような曲用をしていたと考えられる。

J. Schindler(著)"L'apophonie des thèmes indo-européens en -r/n".
Bulletin de la société de linguistique de Paris 70, 1975, 1-10.

という解決策でした。
こういう語幹末の子音が格変化にしたがって交替するタイプの名詞は数は多くないけど、他にも印欧祖語に再建されています。以前にも、「太陽」も語幹末が *-n と *-l で交替してたというお話をしました。
こんな風に、印欧諸語でバラバラに見られる交替を、ある一定のルールの下で印欧祖語の段階での交替を反映したものと解釈する手法は、祖語を再建する基本的なメソッドの一つです。

さて、印欧祖語には、他にもう一つ「水」という言葉がありました。
ヒッタイト語(単・方向格)hāppa「川に向かって」、トカラ語 AB āp「水、川」、サンスクリット語 (単主)ā́p,(単属)apás「水」、リトアニア語 upė「川」、古プロシア語 ape「小川」などに関連があるとされています。
こちらは女性名詞です。
印欧祖語の語根 *h₂ep- 「水、流れ」に由来するとされています。

最初に紹介した「水」との意味の違いは、*wód-r- / *uéd-n-が中性名詞で物質としての水を表すのに対し、*h₂ep-は女性名詞で(自然界で)流れている水を表すことだと言われています。
確かにヒッタイト語の wa-a-tar 「水」・hāppa「川に向かって」や、リトアニア語の vanduo「水」・upė「川」がその違いをわりとはっきり示しています。

なるほど・・・。
水流として流れている水は「+運動エネルギー」だし、「生きてる水」感があって、確かにただの水とは違う!文法性の区別に敏感だった印欧祖語話者にとっては是非とも区別したい違いだった・・・のかな?
などと、文法性の無い日本語が母語の私は想像することしかできません。
それでは、みなさま、次回までご機嫌よう♪

Yamayoyam

※1 集合名詞のイメージとしては、英語の water も「水」としては複数形を取れないことを思い出していただけると良いかもしれません。
水自身は固有の境界を持つ形あるものとして定義されず、あくまで「こういう性質の物質」という形で定義されますよね。だから取る形によって新たな名前「湖、川、海、泉、雨・・・」などが与えられます。こういう「水」のような名詞は印欧祖語では、多くが中性名詞で、複数形の代わりに collective(集合名詞)の形を取りました。

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