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思慮的アーティストの孤独

アーティストとは何か

アーティストは孤独であり、天才であり、孤高の才能を持つ者であり、一部の者だけが得られる称号であり、一般人とは先天的に違う生き物として扱うもの

これが一般的なアーティストとは何か、の答えとしてよく言われる世間の声ではないだろうか。念のためAIにも聞いてみた。

・独自性や新しさのある表現を生み出す才能、芸術的なセンスが求められる
・経済的成功を得られる人は一握りだが、作品や才能が認められれば世界的な名声を得ることもできる
・さまざまなメディアや形式で作品を制作する

・・・
笑えるくらい、平坦な答えだ。

でも自分のことをアーティストとして認識をしている私からすれば本当に笑えるのだ。才能?芸術的?それは具体的にどんな物差しで言っているのだろうか。絵画で言えば印象派、音楽で言えば古典的音楽、彫刻で言えば中世あたりのイメージをちらつかせるような、表層的で滑稽な視点で定義づけられても困るのだ。

だがこんなこと、たいていの人間にとってどうでもいいことだ。
どうでもいいからこそ、気づいた時には本質から目を向ける日常に埋没した生活を送るようになる。思考が一元的なものとなり、人類が培ってきた英知と知恵の上に成り立った立派な山の、頂上付近で優雅に景色を眺めるだけの人生に甘んじることとなる。

でも私は認めない。
その景色を見るまでに至った過程を、無意識に享受して生きていく浅ましさと、怠慢さを認めたくはない。ダメなのだ。日常を否定していく姿勢こそがアーティストであり、内なる思慮を試行錯誤して自分なりに形成した先に見える、小さく純粋な明かりこそがアートへの入り口でありアーティストとしての自分でいられるのだから。

私に富や名声はない。こんなことを言っても誰にも響かないし、資本主義的な今の時代に私の声の価値は無価値に近いのだろう。近代化以降、アートも金なのだから。

私は自分で感じたことや体験してきたことを自分の尺度として捉えてみる。その上で周りの人間や過去の偉人様が言伝して下さったことを照らし合わせてみる。そうすることでやっと、形にしたいことが心の中に少しだけ浮いてくるのだ。でもそこに至るまでは孤独であり、思慮的で闇深い時間と真っ正面から向き合わなければならない。これは想像を絶するほど苦しい時もあれば、穏やかで崇高な時もある。まるで人生のようだ。

そう、考えてみれば人生も同じだ。
誰しもが育ってきた環境、生活していく環境の中で生きていても最後には自分一人で物事を決めていくしかない。それはとても難しい時もあれば、人生で数回しか出会えない貴重な瞬間になる時もあるだろう。だからこそ、自らの意思でアートと向き合っていく姿勢を持つことはとても純粋で美しいのだ。これはアーティストとして生きる者の唯一得られる特権かもしれない。

思慮的にアートと向き合うアーティスト

きっと僕以外にもたくさんいるのだろうと願って

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