ネルソンジョージの語り口がいい
先日、「シカゴソウルは世界をどう変えたのか?」という本のレビューを酷評気味に記したけど、その後に読了したこの本「ヒップホップアメリカ」は印象が違った。内容そのものよりも、そもそものネルソンジョージの語り口が素晴らしいなと。彼は「モータウンミュージック」(1986)、「リズム&ブルースの死」(1988)なども記してきた、黒人音楽ジャーナリストとして博識な人。彼がヒップホップを語るほどヒップホップに詳しいのか?ヒップホップに対する諦観な本か?と思っていたがその内容は全く違った。
彼は1957年生まれなので、ヒップホップ黎明期からそのシーンを、公園でパーティーが開かれているところから目撃し、追ってきた人でもあったのだ。そんなジャーナリストが冷静に初期シーンの様子から、どのように進化し変化し、かつ問題を起こして来たかをいろんな側面からレポ&分析している本だった。それこそ
ヒップホップとマイクタイソン
ヒップホップとバスケットボール
ヒップホップとハイブランド
ヒップホップにおける性差の危うさときわどさ
ヒップホップをメジャービジネスにした人たち
などまで記されていた。
サンプリングで作られたが故に起きた問題にもメスを入れている。
もちろん、出てくる数々の固有名詞に面白さを覚える俺みたいな人もいれば、訳わからなくて辟易する人もいるかもしれない。が、ネルソンジョージの面白さはその俯瞰した視点にある。ヒップホップのオレオレなスタイルの理由を彼はこのように説明していた。
あるタイプのアフリカ系アメリカ人にとって、プライドと尊大な態度というのは切ってもきれない縁のものである。ヨーロッパ文学の崇高な伝統においてはプライドは七つの大罪の一つとされている。しかし、現在を現実に生きていかなければならない黒人にとって、傲慢なまでのプライドで身を固められるかどうか?これは凄まじく切実な問題なのだ。黒人を貶め、その性根を腐らせ、侮蔑し、嘲ることが蔓延って来たこの惑星で生きていく場合、それくらい過剰なプライドは生き延びるのに必要な防衛機能となっている場合が多いからだ。
最後の方の14章に出てくる「ヴェテランラッパーに生き残る道はあるのか?」というテーマで記されているのも面白い。確かに若くしてその才能とフロウで世界を席巻したとしても20代後半にもなれば使い捨てられることが多い音楽業界。あるラッパーはブランドを立ち上げ、あるラッパーは司会者となって生き延びていたりする様子が記されている。
日本のヒップホップシーンに関しての記述も好意的になされていた。
「日本のヒップホップリスナーはソフトであったり、ポップ色の強いラップに対して手厳しく、アルカホリックやラージプロフェッサーなどといった、ゴツくてクロスオーヴァー要素が少ないアーティストを好んで聴く傾向がある。そんなサウンドの方がヒップホップの本質により近いと考えられているからだろう。」
、、、的確だ。
でも一言加えられていた
「ファンの一部には黒人に憧れすぎて、肌の色をより濃くするために日焼けサロンに通うという、とんでもなく的外れな行為に走るファンもいる」
、、、あぁ全くもって的確です(笑)
ネルソンジョージはブルースに始まる黒人音楽史そのものに造詣が深いだけでなく、文化史などにも造詣が深い、そんな大きな歴史の流れを背中にしながら記している、その語り口が素晴らしい。彼の語り口の素晴らしさを思うと、彼の書籍はきっと50年後であれ100年後であっても、ある程度読むに値するものになっているのではないか?事実、20年前に記されているヒップホップ史の本なのに今読んでも面白かった訳だしね。
先日紹介した「レポート記事の集合」的な本は一部の現代人には貴重でも後世の人に「伝えていくべき物語ではない」と記したが、これはまさに「後世の人に伝えていくべき物語」じゃないかと、そんな読後感でした。
PS:もちろん記されたのが2002年なので、Puff Daddyは素晴らしいセンスを発揮してシーンを切り開いている、というところで終わっている。R.Kellyも同様。なので、2024年に彼が振り返るヒップホップ史はどうなのか?は興味あるところですね。