「名盤」ってなんだ?
先日Yahoo Newsで『「趣味は音楽鑑賞」と言わなくなった若者たち』と題する記事が上がっていて、自分の周囲のライターの方々などがザワザワと、その切り口に対しての意見が飛び交っていた。。。と思ったらその記事はもう消されていた(苦笑)
でもその記事「音楽を趣味にするのはコスパが悪い」「音楽に詳しくても得しない」などの若者の意見とされるものを見ていて、更に大人の反応を見ていて思ったことがある。そもそも「名盤ってなんだ?」と。
なんとなく俺なりに、俺の好きなジャンルを「名盤」とされる括りで9枚選ぼうと思っても実に難しい。かつ、それぞれをどれだけ聞き込みまくったのか?と言われたらなんとも言えないものもある。いやそもそもおおよそのジャンル別に見ても「名盤」とされるものは100枚ずつあったりする。しかも新譜を売り出す時の宣伝文句に「名盤」とされるものも常時ある。そう、「名盤が多すぎる」のだ。
まだ、現在55歳の俺はよかった。洋楽などに夢中になった時が80年代。せいぜい60年代まで遡ればポピュラー音楽史を俯瞰できた。つまり20-30年分を紐解けば現在地を確認できた頃だ(厳密にはもちろん20世紀初頭からポピュラー音楽はあったけれど)。ところが2020年代から60年代まで遡るとしたら60年分を把握しなきゃいけない。そりゃアルバム単位での音楽鑑賞など無理だよね。よくてDJのようにアルバムの中の「名曲」「名グルーヴ曲」をひとつ見つけて、それだけを聞く、流すようなことしか無理だ。
アルバムによる音楽表現を音楽芸術と評価され始めたのがおおよそ60年代だとして、そこから半世紀も経たずしてその、アルバムによる音楽表現は旬ではなくなってしまったと言っていい。つまり「名盤」という括りかたそれ自体に、終焉が内包されていたということだ。そもそも60年代以前はシングルの時代だったじゃないか?今またそこに戻って行ったということじゃないか?
あともちろん時代は変わり、MV~PVの時代を通過して、動画ありきな時代になった。曲の良し悪しよりもなんならば動画の面白さが重要視されるというのも致し方ない。何度も聞かなきゃ理解できないもの、よりもパッと見面白いもの、が重要視されてしまうのも致し方ない。「儲けたもん勝ち」な資本主義社会だからだ。それですらも「名盤」「名曲」を宣伝文句で連発していた音楽業界側に内包されていたビジネスシステムの結果だ。
悲観論として記してるのではなく、事実として俺は記しているつもりだ。すっかりそこら辺から消え失せたように見える哲学や社会学、学問自体の衰退とも同調しているように思う。一部の学者は頑張って次のページをめくってるかもしれないけれど、市民の学力レベルは落ちてきていると言われてるしね。「それを学んで儲かるのかい?」というのが社会の軸である以上、致し方ないのだ。
ただそれはあくまでマスメディア的な社会の捉え方であって、一個人はそんなスピードで生き続けることは難しいし、出来たとしてほんの数パーセントの人しかそのスピード重視の資本主義を乗りこなしていけるものではないと思う。名盤とされるものにじっくり対峙するような感覚を持てた時にどのような精神的安定が得られるのか?は、まわり道をする勇気のある人だけに用意されていると思えばいいんじゃないかな。まわり道を極力回避するように促す時代だけれど、まわり道してでも歩み続けられるって方が精神的安定は得られるんじゃないかな。なんなら格好いいんじゃないかな?とシングルだけじゃなくアルバムも好きな俺は思ったりする。代表曲じゃないB面の3曲目にめっちゃ自分好みの曲があったりするからね。
君は※※主義?とかを日常会話でしなくなったように(俺の世代もしてきていないけど)、名盤ってやつもごく一部の裏路地のミュージックバーのような存在になっていくんじゃないかな?興味ある人だけが扉を開ければいい。固有名詞や年号の飛び交う会話をする心地よさはアルコール以上。そんな行きつけの場所、マニア仲間ができることがどれだけ精神衛生上いいのか?てことはこれから若い人も年老いていく中で再発見していくんじゃないかな?
はい、「名盤」って音楽の捉え方は、裏路地でしぶとく生き残る、はずですw 表にはもう出てこないでしょうけど。
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これまでの音楽・これからの音楽については
4年前のコロナ中にたっぷり語っています。よかったらどうぞ。
PS : 個人的な「名盤」思い入れのある「名盤」はこれまでもこれからも残っていくでしょう。俺が記したのは、共有圧力としての「名盤」の終焉ですからね。