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これからの音楽 #7

ベッドルームポップ?

 最近は「ベッドルームポップ」なる音楽用語を見かけることが増えました。2020年グラミー賞を5部門受賞したBillie Eilishなどのことを指す、身内だけで自宅で作られた、個人的な感情を歌詞にしたためたタイプの音楽だ。個人(〜最小人数)で作られたものが大きい影響力を持つようになってきた、「ベッドルームポップがゆっくりとポップミュージックシーンを乗っ取っていく」などとも評される。そんな彼らをZ世代と呼ぶらしい。

 いやきっとそうなんだろう、とは俺も感じてはいるけれど、この捉え方もあくまでビジネス目線であって、音楽性とはまた別だよね?実際彼らに特徴的なのはその「痛々しい、ヒリヒリした歌詞」だったりするけれど、それを「今の旬だ」と評して他の若い人にも推奨するというのは果たしてどうなんだろう?大人の無責任じゃなかろうか?と俺は思うわけだ。「その悩みをそのまま赤裸々に言葉にすれば、今ウケるよ」って言う助言は俺にはすごく冷たい言葉に思う。その赤裸々な告白によって得られた共感はかりそめの共感にすぎない。例えるなら「生きていくって辛いよね」「うんうん」という共感と一緒かな。そんな共感は、一時的には「やっぱそうだよね」と言うかりそめの自己肯定にはなったとしても、肝心な「どうすればその辛い現状を打破できるか?」への道筋は何も示されてない訳だからね。

 人類史を振り返ってみれば、その時代その場所の問題や悩みがあり、それを解消するために「まつりごと」が生まれ、芸術が生まれてきた訳で、ある種人類史とは「悩みの歴史」とも言える。そして学んでみると分かるが、「俺と同じ悩みを50年前の人もしてたんだ!」「私と同じ悩みを200年前の人もしてたんだ!」ということを知ることでわずかなりとも解消への糸口になるはずなんだ。そのための哲学であり物語であり芸術である、と俺は思うんだが、ベッドルームポップにはその学びから遠いところに置かれている印象が強い。

 自分の苦しい体調や気持ちがあった時に
「シェークスピアだったらこれをどう戯曲化したんだろう?」
「フロイトやユングだったらどう分析するんだろう?」
「織田信長ならどう乗り越えたんだろう?」
「ジョンレノンならどういう曲にして訴えかけようとするんだろう?」
、、、そうやって自らを人類史に折り重ねていける、というのが人類史の財産なんだと俺は思っているんだけれど、ベッドルームポップの人たちにあるのは、そんな人類史との断絶、その苦しさのそのままの提示である。

 ミュージシャン先輩がこういう例えをしていた。
「昔の音楽や芸術は、自分の排出するウンコをどのように提示するか?の思索が必ず詰まっていたんだけど(自分の排泄物からどうやって花を咲かせるか?的な意味ね)、最近の人は『ウンコをウンコのまま提示する』人が多いよね」と。ある種のR&B~Hip Hopにも言えることだと思うけどね。思索より前に、ただただ「辛い」「嫌い」「死にたい」「SEXしたい」、、、と直球表現しかしない人が多い。

 そして、肝心の音楽は?大した音程的なギミックがないものがほとんどだ。なんなら音楽そのものに関心がないのかも?と思っちゃうほど。ファッション(ファッションに興味がない!というのも一つのファッション主張だ)と赤裸々な歌詞と、「音質」にしか興味がないんだろうか?という音楽表現が実に多い。

 Diana Ross & The Supremes秘話など

 少し話を変えてみよう。先日見たMotownのドキュメンタリーでこんな話があった。Diana Ross & The Supremesはなかなかヒットに恵まれないまま2年が経ち、彼女らが20歳になった頃1964年に新たなソングライターチームHolland-Dozier-Hollandがあてがわれて用意された曲が"Where Did Our Love Go"(愛はどこへ行ったの?)な訳だが、彼女らは最初「なにこの子供の曲みたいなの?」「なにこの歌詞?」と不満で、不満なまま歌ったらプロデューサーは「OK!」を出した。その「不満そうに」歌ってるがゆえによりその歌詞が響くものになったからだという。結果この曲は世界で1位になるほどの大ヒット曲になり、そこから世界を席巻していくわけだ。

 ここにある物語は
*才能の片鱗は見せはじめているシンガーだが、自分を客観視するには至っていない若者
*そのシンガーの魅力を見抜いている少し大人なプロデューサー
その「閉じている」若者と、「開いている」大人とのぶつかり合いが生んだ物語なのだ。ここにはある種の無理やり歌わせたという、今なら「パワハラ」と言われかねないことが内包されている。でもこの大成功という結果を体感してからは、若い彼女たちは俄然ソングライターへ〜プロデューサーへの信頼に変わっていくのだ。すれすれの物語。でも「自分らしさ」とは他人と関わっていく中で出来るもの、という人類史の基本の物語でもある。

楽器の重要性の再確認

 20世紀に勃興し、廃れていった「ポピュラー音楽」。2020年から見渡してみるとアイデアの宝庫ではある。あらゆるタイプの悩みと怒りをポップに時に組曲に昇華した作品たちが数多ある。現在50歳の俺はギリギリそのポピュラー音楽の末期に接触することができたけど、これからの人にとっては1950年の音楽も1990年の音楽も等しく「古い音楽」である。時系列で把握することは事実上難しい。なにせ「必聴の名盤」と大人が推薦するアルバムだけで何百枚あることか?10代の若者に、そのような系譜学的な聴き方はもう勧めるべきではないし、勧めたところで、それを聴く時間がない。そもそもアルバムで聴くという感覚を知らない。

 一方、今やPCやタブレットやスマホで音楽を簡単に作れるようになったし、発信方法も簡単になってきた。だからこそ、楽器をちゃんと出来る人の重要度は増していくだろう。制作や発信方法はその都度これからも変わっていくだろうけど、楽器に関してはどうしようもなく歴史がそこに刻まれている。演奏法であれ音色であれ。演奏を極める=人類史と関わっていくことが出来るのだ(かつ今後も無くならない、人類が社会を構築している限りは)。何千年もの歴史が積み重なっている「楽器」はこれからも重要であり続けるだろう。そしてその演奏方法を研究するにあたり、20世紀のポピュラー音楽は貴重な財産、図書館のような形で機能していくはずだ。

音楽とは時間芸術だという原点

音楽はそれが楽曲であれ、演奏であれ、時間が伴う以上、時間芸術だ。俺がどうこう言うまでもなく、自明なことだけど、それが現在一方向に偏りすぎている気がする。つまり、「短い時間」でワクワクできる、キュンとくるものが重要視され、作るのも数日か数時間で出来るのをよしとされがちだ。アーティスト自身が持つ闇、エネルギーをそうした、「ビジネス枠」に収められてしまうのは勿体ない。

 例えば想像する。Billie Eilishが50分で一曲、という壮大な組曲形式で自分の闇と対峙する音楽とか作ってくれないものか?と。今は彼女の排泄物そのまま見せられている感じだけど、そんな組曲形式の作品を彼女がもし作ったら、本当の意味で彼女自身が救われていく道標になる気がするし、本当の意味で時代を揺るがせることが出来るんじゃないか?って俺は思っちゃうんだな。

 ラッパーのKendrick Lamarはセカンドアルバムにしてトータルアルバム的な"To Pimp A Putterfly"2015年を出したりしたけど、そういう動きが出来る人の存在感がますます重要になってくると思う。事実彼は次に更に実験性を極めた、ポップには程遠いバンドセッションな作品集を出し、その後ポップにまとめた2017年の"DAMN"をリリースするんだけど、そんな一挙一動を皆が注目する流れを作ったことで、ついにポップフィールドでも世界を席巻するMCになれたんだと俺は思う。彼は時間を操れるMCだ。

これからの音楽

 ベッドルームで音楽を作る、悩み多き人たちは、ぜひこのネット社会を利用して無作為でいいから色んな時代の音楽や芸術に触れてほしいし、あわよくば存命中の大御所とのコラボを模索してほしい。自分の苦しみを救えるヒントは歴史の中に必ず、ある。下手な最新のウェブ上のヘルスよりも、歴史上の史実から哲学から芸術の中からヒントを得る術を身につけた方が幸せだと思う。そこに気づけた方が幸せだと俺は思う。学ぶことによって救われる、って人間として幸せなことじゃないか?人類史と繋がれるって幸せなことじゃないか?孤独とはなんぞや?をちゃんと考えたことのある人ならば、その結論は納得していただけると思うんだが。

 俺はビジネスのプロではないので、今後の音楽ビジネスがどうなるか?は分からない。でも「音楽」そのものの流れは常に観察してきたし、これからも精一杯「音楽」を浴びて浴びさせていきたいと思っている。そんな俺が思う「これからの音楽」とは、
*音楽は時間芸術だと意識できている音楽
*20世紀の音楽遺産の中から何を抽出するか?に意図的であるもの
*楽器の使い方をちゃんと研究できている音楽

が重要になってくると思う。ソフトウェアのテクニカル面は世界中横並びな時代を迎えつつある中だからこそ、そのあたりが重要になってくるのではないだろうか?

 もちろん「たった今売れたい!!!」なんて思う方はこんな意見はスルーした方がいい。俺の意見は、ライフワークとしてこの先何十年も音楽をやり続けたい、接していきたいと思う人に対してでしかない。そんな人に少しでも響いてくれたら幸いですw

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■最後に一曲紹介

音楽=時間芸術ってことで、コロナ禍になってからは1970年代のプログレッシブロックと呼ばれるものをかなり聞き直していた。中でもやはり俺の最初のプログレアルバム体験である、Pink Floydの『狂気〜The Dark Side Of The Moon』1973年は久々聴き直しても素晴らしかった。中でもこの曲は、後半に黒人女性Doris Troyのシャウトが聞ける、ジャンルを超越した魅力のある曲だ。当然、メトロノーム〜クリックなど使われてないであろう、揺れまくるグルーヴが心地よい。"Time"、、、まさに時間芸術。


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