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伊能忠敬は50歳からのキャリアなんだ!!

 8月だったか、博多をうろちょろ散歩していて、赤坂町あたりにあったいい感じの古本屋で目についた本があった。タイトルで惹かれる本は色々あるけれど、その知識を手に入れたいと思う本は数多あれど、開いてみてちと読むのが大変そうだったりすると買うのを断念する。本棚に並べるだけで自らの知己の深さをアピールしようとした20-30代はあったけど、今は自分にとってリアルに面白いものを読みたいからね。 

 その点この本は江戸時代の数多の学者たちをオムニバス的に紹介していくことで、江戸時代の知己の深さと面白さを炙り出そうとする本のようだ。誰か一人に限定してその一生と功績を追ってみたいほど江戸時代には興味がない。でも大まかでいいから江戸時代の面白さを知りたい、と思う俺にピッタリのタイトルと構成じゃないか!?それがこの本だ。

『江戸の科学者』吉田光邦著 (1969年) 講談社学術文庫

 これは想像以上に面白かった。むかし教科書で見たような名前が数多出てくる。

杉田玄白
伊能忠敬
平賀源内
関孝和
シーボルト
、、、などなど。

 そしてご存知、鎖国の時代、江戸時代に長崎は出島という小さな窓口を通してどれだけ多くの人が算数、植物、動物、暦、医学、農業から哲学などに熱心に取り組んだか?が記されている。「知りたい欲求」が半端ないのだ。それが農家の息子であって学業などに勤しむべきでない、と親に止められても興味がありすぎて家出して後に大成する人なども沢山いるし(農業技術の開発と啓蒙で頑張った大蔵永常など)、ひとつのジャンルに収まらない、興味を持ったらなんでもとことん分析・研究して自ら作り出す(エレキテルで有名な平賀源内は植物動物から精糖まで、鉄砲から天体望遠鏡まで作った国友一貫斎など)、そのエネルギーにやられる本だった。

 時代もあるだろう、「あの少年は頭がいい」という噂はすぐに広まって、いろんな学者に拾われるし、学ぼうとする者は「教えてくれる人」を探す。出会いがない人は何年もかけて自分なりの研究に勤しむ。「頭がいい」って現在はテストの点数がいい人のことを指すが、江戸時代に「頭がいい」といわれる人は、記憶力はもちろんだけど自ら問題点を見つけ出して新しい答えを出そうとする人のことだというのがよく分かる。「テストの点数がいい人」というのは、すでに先生が知っている答え(ゴール)を探り出すのが得意なだけであって、まだ答えが見つかっていない問題を解くのが得意とは限らない。先生サイドにとって都合の良い人ではあっても、新しい扉を開けれるかもしれない人ではない。だから一流大学を卒業したと履歴書に書いてあっても「頭悪いな」と思う人が存在する理由はそこにある。

 そして中でも個人的に感動しちゃったのが伊能忠敬だ。上総国、今の千葉に生まれた彼は算数に長けていたのが噂となり、縁あって伊能家に婿養子として入る。そして右肩下がりだった伊能家を立て直しながら興味のある暦や計算なども学んではいた。でも日頃の仕事が忙しすぎて学ぶ時間がない。そうこうしていて子供も大きくなったし、ということで50歳で隠居する。有名な彼の測量による日本地図はなんと50歳から始まったキャリアだったのだ。この本にも30代40代で亡くなる人が数多出てくるように、まだ人生50年の頃だろう。50歳から30-40代の人に暦を中心にしつつ測量技術は自ら開発していくのだ。今で例えるなら60か70からキャリアスタートに等しいかもしれない。

 学んだのちに色んな縁も重なり、全国の測量を始めたのが56歳、そして17年かかって72歳になってやっと終了した。残念ながら74歳で伊能忠敬は亡くなってしまうが、その測量データをもとに弟子たちが完成させたのがあの日本地図なのだ。


いやあすごいよね、もちろん島によっては仲間が測ってくれたりしたらしいが、瀬戸内海を含めてこれだけの精度で、飛行機やドローンもない時代に計測しちゃうって。しかもこれだけの距離を海岸線沿いに歩いたってことだからね。脅威の老人ですよ。(残念ながら地図原本は、関東大震災で焼けてしまって一部しか残ってないそうだが)

 この話だけでも勇気をもらう人は多いんじゃないかな?かく言う俺自身がまず感動しちゃったってことだけどね。

 この頃の人たちがどれだけ星の動きを見つめて、太陽や月の動きを見つめて、土を掘り返して、そこにある法則を見つけ出そうとしたのか?と言う姿を見ていると、我が身がキュッと締まる思いです。PCやスマホを開いてブツブツ言ってる場合じゃないなと。

 これだから、(自分にとって)いい本との出会いは嬉しいんだよね。

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