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"Let It Be"はアレサのために書かれた曲だった?

俺ごときクラスの作曲家でもよくある、「実はあの曲は当初は違う人のために書いた曲だったんだ」というエピソード。それがアレサのクラスになると驚愕の物量が存在することがこの本を読了すると確認できたので紹介しておこう。

まず驚きだったのはThe Beatles"Let It Be"(1969年)はLennon/McCartney(一般的にはポールが書いたとされる)が、アレサのために書き下ろしたものだったと言うのだ。確かにアレサがセンセーショナルにブレイクしたのは1967年だから、まだビートルズは活動中(末期だけど)なのであり得る話だ。アレサの当時のプロデューサー・ジェリーウェクスラーによると、彼女に聴かせたところ「歌詞が彼女の宗教観に合わない」と言う理由でスルーされたと言うのだ。

ただ、アレサファンはご存知のように1970年のアルバム"This Girl In Love With You"にてカバーしてる。つまり、当初は「合わないわね」と断ったものの、いざビートルズで大ヒットしてるのを目にすると「私が歌えばもっとすごい曲に出来るわ」とばかりに前言撤回でカバーした訳だ。この本にはそうしたエピソードに溢れている。彼女はかなりの気分屋なのでそうやってチャンスを逃したエピソードが満載なのだ。

もう一つ同じようなエピソードだと、Diana Rossで有名な"Upside Down""I'm Coming Out"もChicの二人がアレサのために持って来た曲だったと言うのだ。時は78,9年、アレサがヒット曲に飢えている折、彼女もついにDiscoをやってみるか、と言う時に紹介されたのが当時新進気鋭のChicだったと。で、彼女は難色を示して「どの曲も改善が必要ね」と言って断ったと。その後彼らはDiana Rossに持って行ってご存知大ヒットとなる。

そして彼女が選んだプロデューサーがすでにヒットから遠ざかりつつあったVan McCoy。リリースされたアルバムが"La Diva"(1979)。個人的には嫌いじゃない曲もあるが、全くヒットしなかった。当時マネジャーをやっていた実兄セシルはかなり悔しかったと言う。そりゃそうだろう。断った方が大ヒット、自ら先導した方がコケたとなるとね。それもアレサと同じく当時30代後半の、同じくヒットから遠ざかっていた女性シンガーの起死回生の大ヒットだった訳だからね。(そんな悔しさが理由だかなんだかわからないが、このころのコケたアルバムはどれもサブスクにはアップされてません。)

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でも一方で逆パターンもある。アレサは80年代に入って再びチャート的にも返り咲く訳だけど、中でも特大ヒットとなったNarada Michael Waldenプロデュース作"Who's Zoomin' Who"(1985)は、そもそものきっかけが、彼がDionne Warwickのプロデュースをしていた時に大量に曲をボツにされたことがきっかけだったというのだ。まさに「捨てる女神あれば拾う女神あり」な話だね。と言うか、これだけチャンスを逃しておきながら、これだけチャンスを生かして来たと言うその物量にやられる本でした。

いやあ映画「アメイジンググレイス」がきっかけで読み始めたんだけど、著者デビッドリッツはアーティストの光だけでなく闇の部分もしっかり見つめて記すので、面白くもすごく気持ちが重くなる本でした。物量的にもね。でもその深い深い闇は、彼女が50年以上に渡ってチャートに入り続けたそのエネルギーの源でもあるわけでね、同じくリッツが記した「マーヴィンゲイ物語〜引き裂かれたソウル」も同様。二人に共通するのは、父親が牧師であること、それが歌への入り口でありつつも、その親との関係性がきっかけで背負ってしまった闇。結果彼らは常に「とにかくヒット曲が欲しい」人であり続けた。幾つになってもモテようとしたと言い換えてもいいだろう。

今回改めて彼女の初期キャリアから振り返って聴いて見ましたが、いやぁほんと素晴らしいものと雑なものが数多混在していて、一曲単位ですごいものいいものは沢山あるけど、音楽的な総括は難しい人ではありますね。シンガーとしてのエネルギー、解釈力の人なんだなぁ。。。いやひとことではまとめられません。あ、ひとことで言うならまさに「女王」です。

Queen Of Soul Aretha!

最後に、この本では酷評でしたが、個人的に好きな曲、好きな映像を紹介しておきます
1976年の売れなかったアルバム"You"から"It Only Happen"のライブ動画。彼女が一番痩せてる時、「ダイエット本でも書こうかしら」と言ってた頃のものですw 可愛いですね?


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