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「肉体性」

終わりました、2021年に開催された東京オリンピック2020。無事と言っていいのかどうか、成功したと言っていいのかどうか、いや開会式や閉会式は?と言い出すとキリがないし、色々と意見も別れるとこだろうから、ちょいと違う視点で感じたこと妄想したことを記しておこう。

それは今朝のマラソンを見てるときに思った。オリンピックの肝とも言えるマラソンはやはり黒人が強かった。いや各種競技でも道具を使うもの以外は黒人が強いものが多かった。そんなアフリカ諸国、彼らは母国語、母民族語がありつつも、英語・フランス語・ポルトガル語・スペイン語など、旧宗主国の言葉をその国の共通言語として話すことが多いことに気づく。それは欧米目線だとどうしても「アフリカ人は知能的に遅れていたので、いろいろ教えてあげた」目線で語られることが多い。かたや我々日本人は第二次大戦後、なんならばそれ以降国語が英語になってもおかしくなかった歴史を持っているが、そうはならなかった。それは何故だろう?彼らは本当に知能的に遅れていたのか??

いやそうではないことはジャレドダイヤモンド著の「銃・病原菌・鉄」を読んでも記されているように、決して黒人白人黄色人種で脳の精度に差はない。じゃあ何故他の地から来た別人種の言語を素直に受け入れたんだろう?彼らは実は「許容力」に優れているのではないか?と想像する。もちろん現状アフリカでは各地で紛争が絶えない状況になっているが、ほぼ全ての原因は欧米人が勝手に決めた国境にあり、欧米人がもたらしたビジネス発想にある。それはアフリカに限らず世界に及んでいる訳だが。(逆に世界で最初にストレスを溜めたのが欧米アングロサクソン人種だという見立てを俺は支持します。それが故、故郷を捨てて世界各地を占領してまで自らの優位性を示そうとしたんだろうと)

そんな中、黒人が居住地をアメリカ大陸に移そうが、しっかりと維持しているものがある、それが「肉体性」だ。前置きが長くなったが、マラソンを見ていて思ったのがその、黒人が今も維持するその肉体性だ。その肉体性は見るものを圧倒することをこのオリンピックで再確認させられたのだ。

なにせ昨今、我々の国ではニュース報道やSNSに一喜一憂している日々。どこに行っても皆スマホを片時も離さずに生きている。(俺も人のことは言えないが)これはきっと別時代や別世界から見たら、完全にコントロールされているロボット的な社会だ。そこに肉体性はない。肉体を動かすことのない、他人の批評を中心とした情報世界であるが故の昨今の生きづらさだと俺は思ってる。考えるだけの、本能を失った動物、現代人。狩猟の方法も知らないし、食べれる植物も見分けられないし、魚もちゃんと捌けない。食べ物は全てスーパーか外食。つまり完全分業であるがゆえ、どうしても責任が他者になりやすい社会になっている現代。

だからこそ、その肉体性に心を打たれたんだと思う。オリンピックそのものは問題だらけだと俺も思うが、スポーツはやはり素晴らしい。「早く・高く・強く」というのを極めた人たちを見るのは、日常だと忘れがちな、「我々は元々は動物だった」ことを思い出させてくれるのだ。

そしてその「肉体性」に「許容力」を併せ持つ黒人たちは、今しばらくは欧米社会に振り回される側として生きていくのかもしれないが、100年単位の未来を勝手に想像したときに、彼ら黒人たちこそ地球上の人間を代表する者となるのではないか?と。だって欧米〜アメリカ式資本主義の提示する未来って更なるロボット社会&管理社会ばかりでしょ?許容性もへったくりもない。恐ろしい1984的世界観しか浮かばないもの、、、

日本は?そうねぇ、もちろん欧米と同様、なかなか厳しい社会になって来てるのは確かなんだけれど、そんな中希望を持てるのが若いアスリートの大活躍だね。かたや師匠・弟子的な関係性の中で学ぶ武道〜レスリングの金メダルラッシュ。かたや師匠不在、自分と向かい合う者同士で切磋琢磨するスケートボードが男女とも金メダル。両方向から世界一となる人が多数出て来たのは希望がもてることかもしれない。

ダメな大人ばかりがニュースになるけれど、大人からいい部分をちゃんと受け継ぐ若者が出てこないといい未来はないし、大人の影響を受けない新たな考え方生き方の若者が出てくることも必要だし、その両方が出て来たのはすごくいいことだと思う。

オリンピックとしてはもう冷めて見てる人が多数いるのも知ってるし、問題だらけだったのも分かるし俺も思う。でもこの自粛な日々の中「肉体性」を確認できてワクワク出来たことは素直に感謝したいと思う。

アスリートの皆さん、本当にお疲れ様でした。
引き続き頑張って肉体を磨いて、ワクワクさせてくださいね。

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PS:自分も「ピアニスト」という肉体性が大事なものとずっと向かい合ってこれたことはすごく良かったと思います。それがあることで、頭でっかちになりすぎそうなときに、冷静になれるんです。腕、手、指が動いてピアノの音が鳴ることで、自分が癒されたり高揚感を持てたりする。それがなかったら、、、と想像すると恐ろしいです。

うまい下手じゃなくて、皆さんスポーツや楽器なり「肉体性」のあることは継続したほうがいいと思いますよ
自分が自分であるためにも

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