おやつ

おはよう。

社宅に住んでいた頃、社宅の敷地の広場でよく遊んでいた。
社宅に住んでいない友達が来ることもあったし、社宅に住んでいる同級生やその姉妹と遊ぶこともあった。
その同級生は、ちょっとだけ同志のようなものを感じていた。

彼は小学校2年生の頃に、社宅に越してきた。
細身の彼は、動きがひょろひょろとしていたり、妹がいたおかげもあってシルバニアファミリーのような人形遊びが得意だった。そんなこともあって「女の子みたい」なんて言われていた。
あまりにも言われすぎていた時に、「そんなこと関係ある?」なんて、違うクラスの身ではあったけれど言い放った覚えがある。記憶違いかな。
女の子みたいな遊びが得意な彼は、勉強も熱心だった。そして、何よりも折り紙の天才だった。
活発な妹と敷地内で遊んでいた私は、「お兄ちゃんは折り紙やってるの」とよく聞かされていた。そして、彼が1枚の折り紙で作った巻き貝を見た時は感動したのを覚えている。もともと折り紙が苦手な私は、彼の空色の折り紙でできた巻き貝は、神々しかった。

そんな彼らのお母さんは料理上手だった。元保母さんということもあってか、教育にも厳しい人だった。
彼ら兄妹と遊んでいると、3時になると忽然と社宅の自室に吸い込まれるように消えていく。なんでも、3時のおやつを食べに帰るのだとか。

我が家には3時のおやつなんて、おしゃれな文化はなかった。
おやつを決められた時間に食べるという習慣もなかった。というより、台湾にはそもそもおやつの時間という文化がないのではないか。そう思う。

おやつを食べて広場に戻ってきた妹は、無邪気にその日のおやつのメニューを教えてくれたりした。
それはもう、私は食べたことのないようなメニューで、味を知らないことが幸か不幸か、私は興味を示すことはなかった。

我が家におやつという時間はなかったが、間食やつまみという文化はあった。
うちの母は、出汁を取りたがる。特に、魚の頭をベースにした出汁を取りたがる。そうすると、出汁だけ取られて残った魚の頭の残骸が、大事にお椀に葬られる。
母は、その頭がおいしいのだと、よく私に食べさせてくれた。これが私にとっては最高のおやつだった。
軽い生姜が効いた白身魚の頭に、吸われた出汁の代わりに薄口の醤油を垂らして食べる。質素な中にも、うま味を感じられるおやつだった。
中でも、私は眼球の周りの筋肉やほほ肉を好物としていた。

そういうおやつ文化で育った私は、案の定、甘味を作るのが苦手だ。
女子校時代、バレンタインデーのために作ったいくつかの代物がギリギリだ。
生い立ちは、そういうところにも表れてくるのか…

今日もいってらっしゃい
そして、おかえりなさい

文章にあった絵を書いてくださる方、募集していたり。していなかったり。