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受験国語に出てきそうな「胸の隅に冷えるものがある」

中学受験の勉強をしていた時、通っていた塾の本校で受けた国語の先生の言葉にはっとした。
「物語文の回答は、あなたの意見を聞いているのではない。作者がどういう意図で書いているかを尋ねているんだ」
私は、小説問題の表現の左側の点線や波線の解釈を、自分の解釈で答えていたのだ。そして、当時強気だった私は、「そんなん、問題作っている人と作者が友達なわけではないんだから、解答が正しいなんてわからないじゃないか」とも思っていた。

小説を理解するとは、なんとも難しい業である。
芸術家風に言ってしまえば、読み手や受け手の解釈で、作品は育つといったところだろうか。

今年のGWは、あれだけエッセイを読みふけっていたのに、最近は全く読めていなかった。久しぶりにエッセイをパラパラと読んでいたら、中学受験の問題を作るなら波線を引く表現に出会った。

そういえば、葬儀の時に、小さなことだが気持にひっかかることがある。
遺族の、それも、亡くなった人に近い女性がいま美容院から帰りましたという風に、髪をセットして居並んでいると、焼香をしながら、胸の隅に冷えるものがある。

一読して、これは「太字の意味を答えよ」という問題文がふと湧き上がってきた。そして答えは、一文前の「気持にひっかかることがある」を引用しながら書くのかもしれない、とも思った。

調べる限り、私の知る限り、「胸が冷える」や「胸の隅が冷える」という慣用句はない。私の経験上もない。ともすると、違和感を表現したものだろうか。これまた、一文前の「気持ちにひっかかる」という表現とも意味が合うので、そんなに外れていなさそうだ。

そうやって、文章や表現を吟味しながら読書するという時間は贅沢だと感じる。
最近は、私のように誰でもモノが書ける時代となり、モノを書くというハードルがぐんと下がっている。
逆に、世の中には情報が溢れ返っている。
情報を取捨選択するために、ナナメ読みだとか、キーワード読みだとかをしていると、表現を吟味する機会を失う。

忙しない日々の30分でも、表現を吟味できるひとときがある贅沢さをかみしめたいものだ。

気になる言葉、魅力的な言葉を集める共同マガジン「コトバツムギ」を始めました。共同運営者は以前ライティングスクールで一緒に学んだもりやみほさん。私は、月~土までのうち、火・木・土を担当しています。

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