読者に同情の念を与えない「初めは心細かったが、それも段々に飽きてきた。」
言葉を操る仕事をしている人は、自分は陰気だと言いつつも、やはりどこか面白い。自虐している表現も、何故か後味が悪くない。
特に芸人って、その点においては格別に優れていると思う。
例えば、南海キャンディーズの山ちゃんなんかは良い例だと思う。この人、賢いんだな、という話し方をする。山ちゃんは容姿やキャラクターを自虐ネタの一つとして会話するが、全く嫌味がなかれば、聞いている側の気持ちも不快にさせない。
それって、変な話、ジャニーズやアイドルではできない話術スタイルだと思うんだよね。そう思うと、モテたいという気持ちから容姿に手を加える思春期の行動は、長い目で見て本当にそれで良いのか考えものだろうな、と思ったりする。
ひょんな繋がりから、オードリー若林の旅エッセイを読んだ。これがまた、届いたその日に読み干すくらいに読みやすく、また文学的な要素も盛り込まれた感動ものだった。
その一節は、メモに落とした。
初めての一人旅でトロントの空港にいることが初めは心細かったが、それも段々に飽きてきた。
心細いという自分の負の感情に対し、飽きるという感情遷移の表現にハッとした。
心細い時って、藁をもすがる…じゃないけれど、誰かにすがったり、もしくはその状態を時間が解決していくのを淡々と待つような人が多いのではないか。心細いというとても内に向かった感情に対し、ふと客観的に飽きるという感情で締め括らせる。
やっぱり、心細かった若林に対して、読者からの同情の念を集めさせない言葉選びに、オードリー若林の人柄を垣間見た気がした。
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