究極のおにぎり

おはよう。

中学高校の友達で、白米をよく食べる友達がいた。
彼女の2段弁当の大きな容器は、常に白いお米で埋め尽くされていた。
彼女は笑い上戸なこともあって、みんなの会話を聞いては笑っていたので、お昼休みの時間いっぱい使って白米をたいらげていた。
とはいっても、彼女が大食いだったわけではない。同じテニス部に所属していて、笑い上戸なおかげもあって、腹筋は鍛えられていた。羨ましい。

我が家は、一時を境に玄米ご飯になった。
母がどこかのTV番組で、玄米が身体に良いことを知ったからだろう。
私は玄米を嫌いではないが、やっぱり白米の方が好きだったりする。

小学生の頃、田植えのイベントに参加したことがある。
校内でも、発泡スチロールに稲を植えて育てていたが、このイベントは郊外に出向いて田植えをしに行くというものだった。
参加した動機は全く覚えていないが、希望者を観光バスに乗せて、田植えのできる場所まで行った。動機が全く覚えていないが故に、どこで田植えしたのか、私の中ではまやかしのような記憶と化している。

朝から郊外までバスで移動し、慣れない田んぼに足をとられながらどうにかこうにか言われるがままに植える。黙々と植える。
そうこうしているうちに、お昼の時間になり、誰かの鶴の一声でお昼ご飯を食べるところに集まる。

出てきたのは、塩むすびとみそ汁、だったと思う。
当時、我が家のおにぎりといえば、鮭がデフォルトだった。そして、たらこや昆布など、コンビニで簡単に手に入るようなバラエティ豊かな具材を私は知らなかった。ましてや、真っ白な白米だけのおにぎりなんて、子供舌の私にとっては論外だった。

そんなショックを受けつつも、食べ物の選択肢がないので食べるしかない。お腹がすいていたこともあってか、とりあえずその塩むすびを口に入れた。

美味しい。
美味しかったのだ。

びっくりした。塩むすびってこんなにおいしいんだ。
まやかしのような記憶を辿っているので、おいしいという記憶を鮮明に呼び覚ますのは難しい。だが、おいしかった。

家に帰ってその感動を母に伝えた記憶もある。
だけど、我が家のおにぎりはその後も鮭にぎりであった。

今日もいってらっしゃい
そして、おかえりなさい

文章にあった絵を書いてくださる方、募集していたり。していなかったり。