流れを知る。

おはよう。

研究室って、教授が社長というだけの小さな企業だと思っている。
その研究員は研究室という名の会社の平社員だと解釈していたことがある。
その平社員だった頃、企業の利益と実績を残すためにも、我々平社員に課されているタスクは、論文を情報誌や科学誌に載せるか、シンポジウムや学会で研究発表することだ。

初めてシンポジウムに参加したのは、学部4年の時。先輩の研究をひっさげて多少軸を変えたり追加要素を入れて、登壇した。その登壇する前に、論文というものを書かなければならない。論文の書き方は、検索すると出てくるが、だいたい序章部分で背景や経緯を記載する。

当時の私の背景は、教授の添削で真っ赤だった。確か、ね。
真っ赤になった添削を見て、なるほど。こんな風に時代を読むのか。なるほど、こんな風に俯瞰して物事をみるのか。なるほど、それなら私は好きだぞ。これまでも情報をキャッチしてきたぞ。そんなアハ体験をした。

かつて、情報社会が軽量化に躍起になっていた頃、かのスティーブ・ジョブズは、軽量化はやがて収束する。その次に大事なものは、デザインだ。それも、シンプルなデザインだ、と考えた。そしてMacintoshが生まれ、今のiPhoneに繋がる。(学生の頃、サンフランシスコの本屋で見た当時のMacintoshを使ったディスプレイはそこだけ時間が止まっているようで斬新だったなぁ。)

私が高校生で進路を検討している頃。得意な理系脳と、好きな芸術脳をクロスできる学科に進学しようと、教室の後ろに無造作に貼られた大学偏差値表を私はぼんやり眺めていた。その当時は、軽量化と並行して、データの高速化に躍起になっていた頃だ。その時、東工大の学生だった猪子さんは、仲間同士で集まって、デジタル社会はアートと融合するという価値観でチームラボを設立する。

ぼんやりと生きていたその時に、次なる時代の流れ、もしくは社会の流れを考えていた先人たちに感銘した。

そんなミーハーな体験も、今の自分形成の一つであったのだと思う。

今日もいってらっしゃい
そして、おかえりなさい

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スミヨ。
文章にあった絵を書いてくださる方、募集していたり。していなかったり。