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BLカプ二次創作はどう楽しまれているのか?「解釈重視派」と「BLの面白さ重視派」から考察

 あなたはBLカプ二次創作を見ていて「これもう二次創作である必要なくない?」と思ったことはあるだろうか。もしくは自分の好きな二次創作がそのような扱いを受けて悲しい思いをした方もいるかもしれない。

 私たちは原作を元にした「人それぞれの原作の解釈を元に」多種多様なカプ二次創作が生まれていると認識しがちだ。

 この考えにおいて作風が合わないことは「解釈が合わない」という捉え方になる。しかし、そもそもBLカプ二次創作に求めている「目的」自体が違ったらどうだろうか?


BLカプ二次創作は「彼ららしさのシミュレート派」と「BLとしての面白さ重視派」に分かれている

 「原作に対する解釈」は人それぞれの思う「このキャラはこうだと思う」「この二人はこういう関係だと思う」という受け取り方だ。しかし二次創作はこのような「原作に対する受け取り方」だけで作られるものではない。

 そもそも大前提として「その二人の何が見たいのか」という「私たち欲望」を起点に二次創作は作られている。

 「その二人の何が見たいのか」という原作とは無関係の「個人的な欲望」があった上で、「自分の思う原作らしい彼らを考えながら」二次創作は作られる。

 つまり二次創作というのは

  1. 何が見たいのかという個人的な欲望(原作と無関係の人それぞれの欲望)

  2. 原作に感じる個人的な解釈(原作に対する人それぞれの解釈)

必ずこの順番で構成される。

 そして【1】何が見たいのかという個人的な欲望(原作と無関係の人それぞれの欲望)というカプ二次創作の大前提において、大まかに以下のように分かれる。

彼ら”らしさ”のシミュレート派
原作から感じる2人の関係性”らしさ”やキャラの人格”らしさ”・推し萌えを楽しむためにカプ二次創作を楽しむ
BLとしての面白さ重視派
原作を素材としたBLとしての物語の構成や演出の面白さ・BL萌えを味わうためにカプ二次創作を楽しむ

 1)「彼ら”らしさ”のシミュレート派」とは

 界隈では「解釈重視派」と呼ばれがちだが、「解釈重視」という言葉を使うとどうも「私のカプだってちゃんと解釈した上でカプにしてるんだよ!」という反発を受けそうなので別の言葉で解説する。

 界隈で「解釈重視派」と呼ばれる人たちは正確には「原作らしさの再現性重視派」だ。「重視をする」というのは、言い換えれば「その部分にめちゃくちゃ萌えている」ということだ。

ここで言う原作の再現性とは原作自体の雰囲気の再現のことではない。原作の二人の「距離感の再現性(相手に対する振る舞い)」や、原作のそのキャラらしい「人格の再現性」のことだ。原作の彼らが持つ「距離感」や「人格」の「彼ららしさ」をもっと掘り下げて味わうためにBLカプ二次創作に触れる。

 「彼ら”らしさ”のシミュレート派」はいわば二次創作シチュという”状況”における原作の関係性・人格の原作のキャラ像の筋を辿った状況シミュレートを楽しんでいる人たちだ。

 原作にはない状況(二次創作シチュ)で原作の彼らの態度・人格の筋からシミュレートすることで、原作でたまにしか描写されない多面性について「ああ確かにこいつらってこういうとこあるかも!」「確かにこういう状況でこう考えそう!こう動きそう!」という部分を味わって楽しんでいる。

様々な二次創作に触れることで彼らの原作らしいキャラ像の筋の先にあるキャラらしい多面性を楽しみたい層だ。

 2)「BLとしての面白さ重視派」とは

 「BLの面白さ重視派」で重きを置かれるのは、いかに原作の「らしさ」を再現(シミュレート)するかではない。いかに「原作やキャラ設定を上手く使って」「面白くて感情に響きくBLを作れるか」が重要視されている。

 このBLカプ二次創作において原作とは「面白いBLを創作するための共有素材としての原作」という立ち位置になる。極端に言えばある種の一次創作BLなのだが、複数人と共有できる「前提としての設定やキャラ関係」があることで、一次創作のように設定の提示が不要になり、より表現したい物語構成・情緒的描写・演出に特化して表現できる。

 また複数人と共有できる「前提としての設定やキャラ関係」があることで、BL創作の関係性描写の傾向、例えば「わんこ攻め x 真面目受け」などの方向性が同じになり、自分の好きなカップリング像をベースに現パロ・闇落ちネタなど様々なパターンのシチュや設定を楽しめるというわけだ。

 3)「マヨネーズをかければ確かに何でも美味しいが、私は素材の味を楽しみたい」

マヨネーズをかければ確かに何でも美味しいが、私は素材の味を楽しみたい

 これは関係性のオタクに馴染みのある「原作からかけ離れすぎたBL二次創作」への例えだ。決してそのような二次創作作品への批判ではなく、そのような作品が圧倒的に多く評価される中で、それでも自分はこの部分が好きで楽しみたいんだといった意図だろう。

素材の味  = 彼ら”らしさ”萌え
マヨネーズ = 男同士の恋愛感情萌え

 と捉えるとこの例えは非常に分かりやすいだろう。そしてここに「素材の味を楽しみたい派」の認知の落とし穴がある。「BLとしての面白さ重視派」は決して、素材の味(原作の彼ららしさ)にマヨネーズ(恋愛)をビタビタにかけて美味い!美味い!と言っているわけではないのだ。

 そもそも前提が違うのだ。素材にマヨネーズをかけて食べているのではない。

 指定された素材を元に作った、僕の考える一番美味しいマヨネーズ料理プレゼン大会をしているのだ。BL性のために再現性を捨てているのではなく、そもそも再現性ではなくBLとしての面白さを重要視して二次創作をしているということだ。

 4)「彼ら”らしさ”のシュミレート派」と「BLの面白さ重視派」を図解

 これを図解すると以下のようになる。

 必ずしもどちらか片方に綺麗に分布されるわけではなく、このグラデーションの中でそれぞれ分布している。そして大多数が「両立派」の中でどちらにより寄っているか、ということになる。また界隈で圧倒的に人気があるのは「BLの面白さ重視派」寄りの作品だ。

 一方で極端に片方に寄る例もある。例えばこの図における「彼ららしさのシミュレート派」に極端に寄った例が「そもそも男性同士の恋愛自体に特に萌えを感じないし味がしない」という層だ。恋愛感情どころか「そもそも恋愛感情に限らず男性同士が想いを向けっていることに特に萌えない」というレベルである。

 この層は「BL自体には興味がない(全く味がせず、萌えを感じない)」が「BL的状況における原作から感じる”彼ららしさ”」の”部分だけ”を味わうためにBL二次創作に触れているという特殊な層だ。

 ここで重要なのは、この「BLカプ二次創作マッピング」においては「性欲」は考慮しないということだ。「エロが見たい」という欲は「彼ら”らしさ”のシュミレート派」と「BLの面白さ重視派」も同じく一部の層が抱えるものだ。

  • 「彼ら”らしさ”のシュミレート派」+エロが見たい

  • 「BLの面白さ重視派」+エロが見たい

 このようなパターンがそれぞれあり、「彼ららしさ萌え」or「BL萌え」と「エロが見たい欲」は別軸に存在する基準だ。

 5)TIPS「原作が大好き」と「BLの面白さ重視派」は両立する

 よく界隈で誤解されるのが以下のような考え方だ

二次創作で原作の「らしさ」を大切にしないということは、原作自体があまり好きじゃなくて、BLカップリングとして”だけ”楽しみたいんじゃないの?

 確かに、いわゆるイナゴと呼ばれるようなBLカップリングを楽しむことを大前提に人気ジャンルを飛び回るような腐女子の層はいる。

 しかし必ずしも「BLとしての面白さ重視派」=「原作愛がない」というわけではない。実は「原作らしさ」が好きであることと「BLとしての面白さ重視派」というのは両立するのだ。そう、別腹だ。

 つまり、原作は原作として大好きで原作の二人の関係性も二人の人格も大好きだが、BLカプ二次創作においては「創作BLのための共有素材としての原作」という「BLの面白さ重視派」ということもあり得るのだ。

 「彼ら”らしさ”のシミュレート派」は「原作の彼ら”らしさ”を楽しみたい」の延長線上としてBLカプ二次創作を楽しむため、「原作愛」と「BLとしての面白さ重視の二次創作」が両立しながらも全く切り離された視点から楽しまれてるという捉え方が難しいだけなのである。

 ただイナゴの存在に触れたように、一方でカップリングを楽しむことを大前提にして作品に触れる層が多いのもまた事実だ。

BLカプ二次創作という名の「創作BL文化の進化系」


 私は「BLの面白さ重視派」の「BLカプ二次創作」とは、BL好きを基盤として最適化された1つの「一次創作BL文化圏の亜種」ではないかと思っている。

 BLとしての表現の面白さ・ストーリー構成・萌えシチュの表現に特化するために共通素材としての原作を使うという1つの「BL創作文化圏」だ。

 男性に「性欲」があるように、女性の多くには「BL欲」がある。BLとは女性だからこそ感じる女性の嫌な部分を排除した「男同士の恋愛の世界」を作ることで、現実で感じる女性性の嫌悪を湧き起こさずに純粋に恋愛の世界に浸って楽しむことを基盤に生まれたジャンルだ。女性としての現実世界での恋愛は既に現実で十分味わっているのだから、女性の面倒な部分を排除して気軽かつ純粋に恋愛の世界に浸かって楽しみたいという思いがBLに触れる目的だと言われている。

 BLカプ二次創作の「BLの面白さ重視派」も一次BL創作や商業BLと同じように、このような「BLに萌えるし楽しみたい」を基盤に生まれた文化圏の1つではないだろうか。

 もちろんこの層の主観的な感覚としては「原作のこいつらが大好きだからこいつらのBLが見たい!」なのだが、そもそもが「BL(男同士が想いを向け合っている姿)が好きだからBLが見たい」という無意識下の前提の部分の話だ。

 BLカプ二次創作のある層が「BL好き」が基盤となっていると捉えられる根拠が以下のような交流文化だ。

 1)カップリングで作品を語る世界

 私は長らくマイナーな界隈を渡ってきたため、私の周りの腐女子の多くは作品の文脈や演出を熱く語るような「カプ萌え以前に作品の大ファン」な層ばかりだった。同じようにマイナー界隈の腐女子は作品の熱心なファンとカプ萌えを両立して楽しんでいる層が多いように思える。しかし大手人気界隈ではカップリング勢に極端な傾向が出る。

 私は大手ジャンプ系界隈で出会った人々の話を聞いて大変驚いた。

その作品のカプ勢のアカウントは、誰も本編の話をしていない。

 TLに流れるのは「カップリング妄想」や「原作のカプ解釈」の話ばかりで、そのカプに無関係な好きな◯◯編や熱かったシーンの話を誰もしていないというのだ。推しキャラ以外の主人公の好きな部分や、推しカプ以外の好きな仲間の関係性なども話さないらしい。

 また、これは実際に作品好き同士で会って会話するときにもその傾向が顕著に現れる。

 BLカプ二次創作を中心としたコミュニティの場合、その会話はまず「AB?BA?」「私ABだわ」というカップリングの左右の確認から始まる。そして「BCとかありえなくない?」「BCって原作に接点ないのになんで人気なの?理解できん」と、どのカプが「理解る」「理解らない」で作品に対する意見を交わす。また「あのシーンどう考えてもAB」など、カプを基準にお互いの作品への見解を深めるというコミュニケーションが行われている。

  • 誰も、推しカプ以外の本編の好きな部分を話していない。

  • お互いの作品への見解はカプを中心に深める。

 このような交流コミュニティの傾向を考慮した上で、一次創作BLにはないBLカプ二次創作の以下のような優れた点を考えてみよう。

  1.  複数人と共有できる「前提としての設定やキャラ関係」があることで、一次創作のように設定の提示が不要になり、より表現したい情緒的描写・演出に特化して表現できる。

  2. 「原作の設定とストーリー」があることで相乗効果としてより萌えるBLになる

  3. 「前提としての設定やキャラの関係性」があることで、BL創作の関係性構図の傾向、例えば「わんこ攻め x 真面目受け」などの方向性が同じになり、自分の好きなカップリング像をベースに現パロ・メリバなど様々なパターンのシチュや設定を楽しめる。

 特に1.の部分について、プロではないアマチュアの世界では「設定提示とストーリー展開をしながら情緒描写に力を入れる」というのはあまりにも漫画・小説を書く難易度が高い。これが出来る作者はとっくに商業デビューしているだろう。プロほどの漫画力・小説力はないが、BL萌えやBL的情緒表現の創作活動を楽しみたい層にとってBLカプ二次創作という場所は非常に活動しやすい場だ。

  • 共通の原作・設定認識によって交流ができるというBL好きコミュニティとしての最適化。

  • 「原作の設定とストーリー」が前提にあることで、BL二次創作におけるBL萌えがより効果的に強く味わえる。

  • 原作があることにより設定説明が不要になり、創作BLとしてのBL表現に特化した創作が行えるという最適化された創作BLの生み出し方。

  • 共通の原作設定があることで自分好みのカプに特化して様々なBLシチュパターンが楽しめる「好みのカプを楽しむ」の最適化が行われている。

 これが「BL好き」を基盤に「一次BL創作・商業BL」の亜種・進化系・最適化として生まれた「原作という共通素材を元に”創作BL”を楽しむ文化圏」としてのBLカプ二次創作の世界ではないだろうか。

 BL二次創作界隈に居た者なら誰しもが「界隈で原作からかけ離れた解釈が流行って辛い」という状況や話を聞いたことがあるかもしれない。これは「創作BL文化圏」において原作のキャラらしいかどうかは重要ではなく、BL創作として萌える・扱いやすいネタが解釈という名の「そのカプ界隈のカプ設定」として広まっていくためである。

 2)逆になぜ「彼ら”らしさ”のシミュレート派」は「BLカプ二次創作」を読むのか

 では、男同士の恋愛感情自体を目的としない(男同士の恋愛感情自体には特に萌えない)ような、キャラの再現性(”らしさ”)を楽しみたい腐女子たちはなぜわざわざBLカプ二次創作を見るのだろうか?原作からかけ離れすぎたBLカプ二次創作が嫌なら、オールキャラ二次創作だけを楽しめば良いのではないか?と思う方もいるだろう。

 しかしBLカプ二次創作を楽しむ「彼ら”らしさ”のシミュレート派」というのは原作そのものの再現を求めているわけでない。

 実はオールキャラやコンビ表記に収まる範囲の描写は、原作でもよく見られるような表面的な彼らの姿であることが多いのだ。

 例えば私は「ゾロサン」が好きだが、これをオールキャラ創作やコンビ表記で収めるなら描かれる姿は「喧嘩だけ」だろう。しかしゾロサンを女性の感性に響く人格と関係性の面白さで捉えるなら(私の解釈で申し訳ないが)「よく分からないけどそういうやつだと認めてはいる」という部分だったりする。

 この部分を原作の雰囲気と温度感でカタルシスを演出しながら描こうものなら原作3巻分くらいの群像劇と戦闘エピソードを通じて書くことしかできない。これでは漫画・小説のプロでもないアマチュア勢が二次創作で好きなこの部分を表現するのは困難だ。ここでBLカプ二次創作の利便性が活用される。

 プロではないアマチュアの界隈において「恋愛」や「性行為」というのは漫画・小説初心者でも非常に扱いやすい「題材」である。例えば私のいた界隈では以下のようなネタがあった。

 本当は原作通りにロボバトルでこの二人の関係性を表現したいけどロボバトルの作画なんて出来ない。私たち腐女子の画力ではロボバトルの代わりにセックスさせることしかできない。

 極端な例えをすれば「原作の雰囲気で描こうものなら原作3巻分くらいの群像劇と戦闘エピソードになる」部分を、関係性の構図を性行為に置き換えることでアマチュア作家が短編作品としてまとめらるようになる。性行為を通して擬似的に原作の関係性の構図を再現して味わおうとする狂気の手段を使っているのである。

 また、「原作の関係性の置き換え表現としての性行為」以外にも恋愛や性行為は「恋愛・性行為の状況」におけるシュミレートとして楽しまれる。

この層における「恋愛」「性行為(事故ックス)」とは一般漫画作品における「事件の舞台」だ。事件エピソードを起承転結をつけて描く中で彼ららしい様々な多面性を描けるんだったらとっくに商業デビューしているだろう。その「事件という役割」を恋愛や性行為(事故ックス)に置き換えることで、アマチュア勢でも簡単に恋愛や性行為を通してキャラの多面性を描くことができる。

 この層は原作の関係性・人格をそのまま持ってきた状態で「恋愛感情を持つ」という状況をシミュレート”した時にどのような態度・関わり方をするか、というキャラの距離感や人格のシミュレートを楽しんでいるのだ。

 それは私がカプ二次創作において、恋愛を通すことで逆に見える変わらない原作の「二人らしさ」と、恋愛という関係上ゆえの「キャラらしさ(人格の再現性)から推測できる、状況における原作にはないが原作の2人を感じさせる関わり方の多面性」に非常に萌えるからです。

 原作には似たような状況下の描写は存在しないが、その状況において人格の筋を辿って推測できるキャラの判断・思考・行動・言動・関わり方の「原作らしいキャラ人格・関係らしさ」に私はとても萌えます。

 「原作の人格・関係性・距離感が保たれているからこそ恋愛関係であることが萌える」のが私の性癖(個人的な好み)です。恋愛感情そのものは目的ではないのです。

 恋愛自体が目的ではないが、「恋愛」という極端な状況に置くことによりコントラストのように「原作らしい彼ららしさ」を強く味わおうという特殊な楽しみ方をしているのである。別に恋愛である必要はないのだが、極端な関係の状況に置くほどコントラストとして原作からの関係性や人格「らしさ」が映える。

 また、二次創作界隈ではキャラの人格や関係性描写に力を入れた女性向けの二次創作はほぼBLカプ二次創作になるため、自然と「BLの面白さ重視派」の文化圏で生まれたカプ二次創作に僅かに滲み出る「原作の彼ららしさ」を岩肌の雫を啜るように楽しんできたという界隈文化的な背景もある。

 まとめると、「彼ら”らしさ”のシミュレート派」は以下の切り口からBL二次創作に触れている。

  •  原作の距離感・人格の筋を通した、原作にはない状況におけるシュミレートとしての「その関係性・そのキャラ”らしい”」多面性を楽しみたい。

  • 一歩踏み入った状況で見える関係性を書く場合、原作のノリでは長編ストーリーや描写困難な戦闘描写になってしまう。そこで戦闘描写や関係性の構図を性行為に置き換えることで擬似的に関係性を再現したり、恋愛など創作初心者でも扱いやすい極端な状況に置くことで人格らしさを味わうという狂った手法を使う。

  • キャラの関係性・推しキャラの「らしさ」を深く追求した二次創作になると、結局はBL二次創作が大多数を占める女性向け二次創作の方がその面を描いている作家がいるのでBL二次創作から作品を探すことになる。

 「彼ら”らしさ”のシミュレート派」の極端に寄った例である私は、推しが恋愛感情を向け合っていること自体には興味がなく、さらに推しの単体エロを見ると鼻で笑ってしうような推しの単体エロ見たい欲すらないタイプだ。つまり恋愛目的でもなく、推しの単体エロ目的でもない。

 しかし「BL二次創作の方が彼らの踏み入った状況下での人格の再現的多面性を描ける作家がいる」という理由だけで長らくBL二次創作に触れていたのだ。ただ触れているうちにBL漫画としての表現・演出の面白さに気づき昔より幅広く楽しむようになった。(ちなみに自分で描く二次創作はほぼオールキャラ作品のみだ。)

 恋愛感情になった時点で人格と距離感が変わるじゃんと思う方もいるだろうが、それは原作らしい人格と距離感の再現性に力を入れている作品自体が非常に少ないため恋愛感情のまま人格や距離感が保たれいる作品にまだ出会ったことがない状態だろう。

 恋愛関係になる=二人の関係性の原型がなくなると考える人がいるように、「彼ら”らしさ”のシミュレート派」は恋愛感情を持つことで原作のような距離感や態度が無くなって相手への関わり方が大きく変わってしまうと興味をなくす。何故なら楽しみたいのは「原作で感じていた彼ら”らしさ”」であり、強い恋愛感情により相手への態度や振る舞いが大きく変化し別人のような人格や距離感になること自体は望まないからだ。ここが「BLの面白さ重視派」と異なる点だ。

 また恋愛感情も性行為も描かないが、特定の男性二人に深く踏み込んだ女性向け二次創作という意味でカプ表記をしている場合も多い。また、BLあるあるシチュに置くことで全くBLにならない二人を描いて萌える創作パターンもある。これもまたBLあるあるネタを前提としているためカプ表記になる二次創作だ。

 ここで重要なのは「腐女子」と「関係性萌えの女性オタク」は違うという点だ。「彼ら”らしさ”のシュミレート派」はカプ表記になるようなBL二次創作も楽しめる腐女子に分類される。

「彼ら”らしさ”のシュミレート派」の腐女子
恋愛や性行為なども状況設定として彼らのシュミレートをすることで、原作から変わらない彼らの「距離感」と「人格」の再現的多面性を楽しむ人たち
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腐女子ではない関係性萌えの女性オタクやブロマンス腐女子
 原作のままの二人が好きなので恋愛や性行為をしている姿は見たくない人たち

 いわば極端に「彼ら”らしさ”のシュミレート派」に寄っているのにBL二次創作を楽しむ層というのは、「彼らの距離感・人格の”らしさ”」の掘り下げが好きすぎて、その男同士の距離感・推しの人格の筋を通した多面性を見るために恋愛関係になったり性行為をしても構わないという層だ。

 BL自体が好きではないのに、恋愛や性行為などの状況におけるシミュレート・関係性の性行為での比喩(ロボバトルを性行為に置き換える)など、手段すらも選ばず楽しめるようになってしまった層だ。距離感萌え・推しの人格萌えの深淵に突っ込み強欲に楽しもうとしすぎて腐女子と化した業の深いタイプの腐女子である。

 もちろんこれらの再現性・シュミレーション重視とは別に、女性も人間なので「推しの男らしさ(再現性)を感じつつ、推しの被虐エロが見たい」などの欲望でBL二次創作に触れている面もある。

 3)「BL好きを基盤としたBL創作文化圏」の分かりやすい傾向の違い

 BLカプ二次創作において、BL好きを基盤とした「BLの面白さ重視派」と、推し萌えを基盤とした「彼ら”らしさ”のシミュレート派」との分かりやすく異なる点は以下のような傾向だ。

性行為をするなら必ず付き合って欲しい。恋愛感情のない性行為は嫌だ。

「BLの面白さ重視派」に多い傾向

 これは「BLの面白さ重視派」の原点が「BL好き」であり、BL好きの原点が「自分が女性だからこそ感じる女性性への嫌悪を排除して純粋に恋愛を楽しみたい」という目的にあることだ。「女性性を排除して女性である自分の感性に響く恋愛を楽しみたい」がベースとなっているため、性行為への責任は女性の感性が基準になっている。

 「BL好き」が原点の場合、性行為は「愛の証明」として使われることが多い。

 一方で「彼ら”らしさ”のシミュレート派」は”そのキャラらしさ”の再現が重視される。

性行為をしても絶対にそこから恋愛感情にならないで欲しい。彼女とか作ってノンケのまま生きてて欲しい。

「原作のらしさ再現重視派」に多い傾向

 そのキャラクターが原作で異性愛者でありなおかつ相手を思いやるキャラでなかった場合、その性行為に対する認識は「男性らしい性行為への認識の軽さ」になる。女性でもない相手との性行為に、相手に対する責任などをわざわざ考えない「男性としてのそのキャラの感性」であることに萌えている。

 「推しキャラの男性らしさ萌え」が原点の場合、性行為は「優越感・闘争心の比喩表現」「男性らしい性欲(tntnの誤作動)の表現」として使われることが多い。

「彼ら”らしさ”のシミュレート派」
【萌えている対象】男性キャラの”らしさ”萌え

 「男性キャラへの萌え」がベースとなるため男性らしい精神性に萌える。
 女性特有の「男同士の距離感萌え」や「男性キャラへの単体萌え」に特化して描写された「女性の推し男性キャラ萌えに特化した二次創作文化圏
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「BLの面白さ重視派」
【萌えている対象】ボーイズのラブ萌え

 「BL好き(女性性が排除された女性の感性に響く恋愛の世界)」がベースとなるため精神性や恋愛に対する価値観は女性の感性がベースになる。
 「BL萌え」を前提として、交流コミュニティ・創作BLにおける情緒表現の特化・好みのカプを楽しむことの最適化によって生まれた「創作BL文化圏」の亜種
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「両立派」
【萌えている対象】「男性キャラの”らしさ”萌え」と「ボーイズのラブ萌え」の両立

 原作の男性らしさや距離感はそのままにゆっくり恋愛感情にスライドするような描写方法・または強い恋愛感情を描きつつも原作からの距離感や相手への態度はあまり変わらないような描写方法を好む。


 何度も言うようにあくまでも両極端と両立派の3つに区分されるわけではなくグラデーションに分布されていることに留意してほしい。

「彼ら”らしさ”のシミュレート派」と「BLとしての面白さ重視派」の間にある軋轢

 さて厄介なのはこの「彼ら”らしさ”のシミュレート派」と「BLとしての楽しさ重視派」の間にある軋轢だ。

 例えば「彼ら”らしさ”のシミュレート派」がBL二次創作を読んでいて「ここまで来ると二次創作である必要ある?一次創作じゃない?」という感想を持つことはあるだろう。これは「二次創作=彼ら”らしさ”のシミュレートを楽しむもの」という自分の楽しみ方が大前提になっている。

 つまり、自分の楽しみ方があまりにも自分にとって当たり前であるため、他の人が「自分とは全く異なる視点や切り口から楽しんでいる」ということに気づかないのだ。その結果、自分の楽しみ方=二次創作という認識を大前提に他の二次創作作品を捉えてしまう。

 これは決して「彼ら”らしさ”のシミュレート派」のみが引き起こすことではない。「BLの面白さ重視派」もまた、「特定の男同士を切り抜いた二次創作=BL」という認識が大前提になってしまうことが多い。

 その結果起きるのが

関係性の描写を描いたのに「最高の恋愛描写です!」という感想が来て関係性萌えの作家がブチギレる

 という現象だ。人によっては「自分の描写能力が低いために恋愛だと受け取られてしまうのか」と悩む作家もいるが安心して欲しい。

 これは特定の男同士をピックアップした二次創作において「BLの面白さ重視派」があまりにも圧倒的で多数派であるため「特定の男キャラ2人を描いているのに、それが恋愛(BL萌え目的)のつもりじゃないという想定ができない」ことが原因だ。

 決して悪意や全てを恋愛にしか変換できないというわけではない(まあ公式ですらも全て本気で恋愛感情だと認識する一部の層は確かに実在するが、必ずしも全員がそうではない)。

 「BLの面白さ重視派」は女性向け二次創作において圧倒的多数派であり、あまりにも自分の感覚として当たり前・周囲を見ても自分と同じ人しか見えないため、恋愛感情萌え以外の視点から特定の男キャラ2人を楽しむという楽しみ方の想定ができないのだ。

 これが同じ「BLカプ二次創作」でも「楽しみ方の文化圏が違う」ということだ。
 私たちはお互いを漠然と「同じ原作ファンとして『自分と同じ楽しみ方』の元で作品の二次創作を楽しんでいる」と認識してしまうのだ。根本的に「楽しみ方の視点と文化圏自体が異なる」のに、私たちがお互いに相手方を自分の文化圏を基準に捉えてしまうのである。

 1)作品も二次創作も「私たちだけのもの」ではない

 「彼ら”らしさ”のシミュレート派」も「BLの面白さ重視派」も、界隈には漠然と「原作愛至上主義という呪い」に掛かっている者が多いように見受けられる。どちらの層も同じく「原作を愛した上で二次創作をすることが『正しい』という考え方」の呪に掛かっているのだ。

 そして「彼ら”らしさ”のシミュレート派」は自分の見たい作品の方向性が「原作の再現性」、つまり原作の延長線上のシミュレートであるために自分の楽しみ方を漠然と「正統派」だと認識しやすい。しかしオールキャラ二次創作にもキャラを軽めに扱ったパロネタやメタネタがあるように、カップリング以外の二次創作も必ずしも「原作の”らしさ”の再現性を重視」することが重要ではない。

 間違ってはいけないのは、「彼ら”らしさ”のシミュレート派」は「彼ら”らしさ”」の掘り下げが好きだからその方向性の二次創作が好きなだけであって、「原作を愛す正しいオタク」だから再現性重視の二次創作を楽しんでいるわけではないということだ。

 これは「BLの面白さ重視派」も同じだ。近年では「恋愛感情以外の関係を描いた作品をカプ表記するな」という「絶対的な恋愛感情カプ以外を排除したがる層」も現れている。

 しかし前述したように、「彼ら”らしさ”のシミュレート派」はオールキャラ・コンビ表記では見れない踏み入った状況における特定の男二人の関わり方のシミュレートとしてカプ表記の二次創作を楽しんでいる。

 私たちが忘れてはいけないのは、決して二次創作は「私たちだけのもの」ではないということだ。

 私が思うに「彼ら”らしさ”のシミュレート派」と「BLの面白さ重視派」は異なる創作文化圏を中心にグラデーションのように作者と読者が分布している。この両方の文化圏とグラデーションを全て含めたものが「女性向け界隈(腐女子界隈)」ではないだろうか。

  1. 「彼ら”らしさ”のシミュレート派(状況におけるシミュレートによって推しらしさ・距離感らしさ萌えを楽しむ文化圏)」

  2. 「BLの面白さ重視派(原作を素材としたBL萌え創作を楽しむ文化圏)」

「BLカプ二次創作」とは、この両文化圏がそれぞれ生み出した「特定の男2人を中心に踏み入って描写した二次創作」の総称ではないだろうか。


 3)誰かに許可や評価を得られなくても、自分の「好き」を愛し楽しむ勇気

 人によってはこの記事を読んで「BLの面白さ重視派は作品を大切にしていないと見下す意図で書いている」と感じる人もいるかもしれない。以降はBL二次創作の文化圏の違いについて、女性界隈でよく見かける「優劣意識」について心の持ちようをどうすればいいかを補足する。

 女性界隈の1つの問題に、一部の腐女子が抱える自己肯定感の低さを起因とした強い優劣意識がある。原作を汚しているのではないかという罪悪感を持つ者や、「彼ら”らしさ”のシミュレート派」は自分たちを見下し馬鹿にしているのではないかという被害者意識から怒りを持つ者をよく見かける。

 数年前、今は亡きTwitterではこんなことが話題になっていた。

ゲームをプレイしないで、ゲーム実況動画だけを見て二次創作をする層はどうなのか

 この議題についてTwitter上ではかなり議論されていたが、不思議なのは皆「どうあることが正しいのか」を求めようとしていたところだ。

 ゲームを実際にプレイして自分で物語を進めた感動を持った人が「ゲームをプレイした上で二次創作をしてほしい」と思うのは「それはそう」なのだ。なぜならゲームを実際にプレイした人たちにとって、その体験は自分の中で最も輝く宝石のような体験だからだ。

 だからゲームをプレイして愛した者たちは「ゲーム自体にも触れたうえで作品を楽しんで」と思うのはいたって当然である。そして、それはそれとしてゲームをプレイせず二次創作を楽しみたいなら勝手に楽しめばいい。

 同じように「彼ら”らしさ”のシミュレート派」も自分が関係性・人格のシミュレートを楽しんでいるからそのような作品が好きで、BLの面白さ重視派がどの切り口から二次創作を楽しんでいるのかよく分からないだけである。そして、別に「彼ら”らしさ”のシミュレート派」に理解されなくても、「BLの面白さ重視派」は自由にBL二次創作を楽しんで良いのだ。

 「彼ら”らしさ”のシミュレート派」は、
 「たまたま好きだった楽しみ方」が社会において正統派とされやすい「楽なポジション」にいることに無頓着だ。これは認識を間違えれば、自分以外の楽しみ方を蔑み批判するという恐ろしい方向へ向かってしまう。

 「BLの面白さ重視派」は、
 自分が女性向け界隈の中で圧倒的多数派で楽しい世界にいることに無頓着だ。「彼ら”らしさ”のシミュレート派」が圧倒的少数派として生きて誰とも語れず共感されない孤独な世界にいることを知らない。そして既に楽しさを共有できる仲間がいるにも関わらず、自分を理解してくれない一部の層に理解されることに拘ってしまう。

 私は今までこのような中立的な記事を書いてきたばかりに、読解重視派には「あんな奴らと一緒にしないでくれ」と文句を言われ、カプ創作勢には「マウントを取ってるとしか思えない」と文句を言われ、両方の層から怒られるというなんとも難儀な立場にいる。

 もしこのような優劣意識に陥った時は、「自分が見ず知らずの他人にまで自分を正しく(自分の望むとおりに)評価されたい」と思っている”状態”になっていることに気づかなければならない。

 もちろんあなたの楽しみ方を「作品を冒涜している(シミュレート重視派)」「高尚ぶってマウントを取っている(BL萌え重視派)」と”直接”罵ってきたり、あなたの活動を排除するような活動を起こしているなら当然怒っていいし反発していい。他者に迷惑を掛けない配慮の上で楽しむのなら、どの楽しみ方も自由だからだ。

 しかし、自分の知らないところで自分を知らない誰かが勝手に言っている思想まで自分の思い通りにしたいと思っていたら要注意だ。この世界の全ての人間が、自分の趣味嗜好を完璧に理解し、許容してくれて、自分の楽しみ方を認め尊重してくれなければ嫌だと思うのなら、それはどんな人間でも到底達成不可能な願望を抱いている状態に気づかなければならない。

 これはカプ勢を見下すオタクだけではない、BLとカプを愛す者たちもまた同じく、自分の楽しみ方に「自分はどう楽しみたいのか」という主体性を持ったほうが良いと言う話だ。

 だって、私たちは「誰が正しい」とか「どっちが偉くていい子か」を競うためにその楽しみ方をしているわけではないのだから。もし自分の好きな楽しみ方が、全ての人間に尊重され素晴らしいものと思われなければ気がすまないというのなら、自分を受容できず、他人の評価にビクビクしながら自分の好きなものを水戸黄門の印籠のように振りかざしたり恥じたり見下しているのは自分自身だ。

 3)大切なのは「自分がどう楽しみたいのか」を知ること

 私たちは子供の頃から「親や先生に認められる正しくていい子」であることを求められ続けた。その結果、大人になっても「正しくいい子であることを認められたい」という感覚を持ち続けてしまう。大人になって親も先生もいなくなった時、親や先生の代わりに、社会の全ての人間に自分が正しくいい子だと認めさせようとしてしまうのだ。

 人は「自分を正しく優良な子であると認められたい欲」に夢中になっている時、その視野は他者評価に囚われている。他人の事情・立場・社会構造を知る気もないのに、自分だけは正しく理解され評価され認められ配慮されたいという到底成り立たない欲求を抱いている。そして同時に「”自分が”何が好きで、どう楽しみたいのか」という主体性すらも見失っているのだ。

 あなたは自分を誰かに正しく優良な子であると評価されるためにその趣味を愛しているのだろうか。好きだからその趣味を愛しているのだろうか。

 釣りという一般的な趣味すらも誰かは「あんなのを楽しむなんて馬鹿だ」と言う人がいるかもしれない。絵を描くことを「馬鹿のすることだ」と否定する人もいるかもしれない。自分の知らないところで自分と違う考えを持つ者がいるのがこの社会だ。そしてその赤の他人の全ての思想を自分の思い通りにコントロールすることは不可能だ。

 「社会」はあなたが正しく優良な子であることで存在を許容する「母親」や「先生」ではない。しかし「自分がどう楽しみたいのか」「他人がどう楽しんでいるのか」がよくわからないと、私たちは漠然と「誰が正しいのか、私を正しく評価して欲しい」というムーブをしてしまうのである。

自分の楽しみ方を誰が否定しているか・誰が見下しているかという点に囚われ始めた時は、ぜひ一度「自分が何が好きで、どう楽しみたいのか」を振り返って欲しいと思うのだ。

 そして私は少しだけ他人がどう楽しんでいるのかを言語化することができる。こうやって「自分がどう楽しみたいのか」「他人がどう楽しんでいるのか」を知っていくと、他人が自分や自分の好きな物を見下しているかどうかだけに目が向いている世界から脱出することができる。

 私はガチガチの「彼ららしさのシミュレート派」だ。しかも推しの人格どころが「推しが生きてきた人生萌え」であるため、二次創作で推しの過去設定が改変されたり、BLとして面白くするためあえて過去を原作と異なる解釈をして組み立てられた物語を見ると「そのキャラが推しキャラだと認識できない」となる難儀なオタクだ。その時点で一次創作のオリキャラに見えてしまい、オリジナル漫画としてよく出来ている作品だね、という感想になる。

 でも別に私の個人的な好みや推し萌えの拘りポイントがあるからそう感じるだけで、みんなそれぞれ自分の萌える好きな楽しみ方で楽しめばいいんじゃないかな…。

 ここは自分の「大好き」を存分に味わう趣味の場だ。「全ての人間に自分の望む通りに自分を正しく理解され認められないと気がすまない」という苦しみに囚われず、自分が好きな楽しみ方を自分が一番理解して愛して誇って楽しんで欲しい。


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hot / 箱野
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