自責と他責

こんにちは。

地元に帰った1週間で、お世話になった方や地元の友人たちに会いました。
休職していることを伝え、色々話している中で
「自責と他責」の話になりました。

自責・・・物事の責任が自分にあると考えること
他責・・・自分以外の人や環境に原因や責任があると考えること

「自責が強くなってしまった」と話すと
皆が口をそろえて「その姿が想像できる」と言って微笑みました。

自分でも理解していたことに加え、周囲が見ても「自責」の私は
「他責」とのバランスを探っている途中です。

そういえば

僕は幼稚園の年中から小学校4年生までサッカーをやっていました。
そこまでうまくなく、何より激しいコンタクトが嫌だったので
ドリブルはせず、パスを出すことやシュートを打つことばかりを狙っていました。

何より苦手だったのが、失点したときや試合に負けたときの雰囲気。
人のせいにするのも嫌だし、自分のせいにされるのが怖くて仕方なかったんです。

小学校5年になる直前、一緒に入団した幼馴染が辞めることになり
便乗して辞めました。
親は何か小言を言っていたけど、僕にとってはやめるチャンスだったので
逃すわけにはいくまいと必死に説得したのを覚えています。

サッカーと並行して、週に1回遊びの延長でテニスを習ってました。
テニスはシングルスの場合、勝てば自分のおかげだし
負けたら自分のせいです。

勝ったときの気持ちよさがテニスの方が大きいことや
責任の所在が自分だけなので
余計なことを考えなくていい点が好きで高校まで続けていました。

このときから「自責」にグッと比重が寄ったのかなと
昔話をしながら思い出したのでした。

バランス

自責がないと成長はありません。
ただ自責が過ぎると、自分の価値を自分で定めるのが困難になります。

「自分はここまでやった。この先はどうにもならん。」と割り切ることが
自責と他責のちょうどよいバランスなんでしょうか。

この辺の意見を伺いたいです。

見え始めたこと

今回、休んでいる間に分かったことは
僕は良し悪しのジャッジをしがちな人間だということ。
気が付くと自分だけじゃなく、人もジャッジしてしまう。

比較をしないと自分の価値を感じられていなかったんです。

大事なのは、「良し悪し」じゃなくて「受容すること」
今この息切れして立ち止まっている状況も
「きっと糧になる」と受け入れ、どうにか焦る気持ちを諦める。

受容と焦る気持ちの諦めが
気持ちを軽くさせてくれる気がします。

復帰前に休職期間に感じたことをまとめたいですね。
休職直前の自分が読んだら楽になるような内容で。

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