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#07 濱田 唯さん フリーランスソーシャルワーカー

ソーシャルワーカーの新しい働き方・アクションを体現する、フリーランスソーシャルワーカー。実際にFLSWとして活動する4人のソーシャルワーカーのリレーインタビュー第2弾です。

2021年5月からフリーランスのソーシャルワーカーとして活動する濱田さん。アメリカでソーシャルワークを学び、NPO法人で精神障害者支援をされてきました。

高校の時から「進路はソーシャルワーク」としか考えてなかった


ソーシャルワーカーと出ったのは、高校時代のの図書館で「itと呼ばれた子」(デイヴ・ペルザー著/児童虐待を受けて育った当事者の手記)を読んだのがきっかけでした。

虐待をしてしまっていた母親と、被害者の子どもを引き離す役割として登場したのがソーシャルワーカーだったんです。

虐待を受けながらも母親と離れたくないという複雑な子どもの気持ちを丁寧にくみとりながら支援をする姿に、こんなにかっこいい仕事があるんだ!と思いました。

同じくアメリカでトリイ・ヘイデンという情緒障害児の支援をしている人のエッセイ(「シーラと呼ばれた子」他)を読んでいたこともあり、この2冊の本に影響されてアメリカでソーシャルワークを学びたいと思いました。


アメリカの大学では、実習時間がめちゃめちゃ多かったです。

小学校や、青少年のProbation office(保護観察所)、役所など、いろいろな場所での実習を経験しました。アジア系移民が多いところで、ミネソタは特に少数民族であるモン族の人たちの移住を受け入れている州でした。それもあって、モン族の友人がたくさんでき、同時に実習先でモン族家庭にたくさん訪問に行きました。

男性優位な価値観があるモン族の男性は、男女平等の概念のあるアメリカで、自尊心が傷つき、うつ病・自殺が多い状況にあるのが印象的でした。

一家の主として、一生懸命働いている間に、妻が国の援助を受けながら学校へ行き自分のキャリアを築いていったり…。そういった文化的背景の影響があることを学びましたね。



大学を出てからは、障害児を1:1でサポートするパーソナルケアアシスタントという仕事をしました。例えば、自閉症のある子の母親の就業をサポートするために、4時に起きて5時にはその子の家に行き、お母さんを仕事に送り出して子どもをスクールバスに乗せる、というようなミクロでの1:1でのサポートを経験しました。

この仕事を通してたくさんの家族に出会いました。この時期から、個人のメンタルヘルスについても興味を持つようになりました。


アメリカでは、ソーシャルワークが修士を出ていないと一人前として認められない風潮もあったので、その後大学院に進学。アメリカのソーシャルワーク修士課程は研究というよりも、大学で学んだことを活かして実習三昧という感じでした。

自分の気持ちは後回し、自分に向き合わなきゃ…という環境の中でつぶれていく。それは違うんじゃないか


大学院を終えて、アメリカで働くよりも、日本に帰ってソーシャルワークをやろうと決めて帰国しました。

メンタルヘルス領域で、募集する役職名が「ソーシャルワーカー」と表記してあるところを受けようと思って、ハローワークでキーワード検索しました。

その検索では3つしか団体が出てこなくって、その中の一つを受けました。地域密着のNPO法人で、地域活動支援センターに配属されて働きました。メンバーファーストな熱い気持ちを持つ先輩たちに育てられました。9年間、育ててくれた団体に感謝しています。

児童分野ではなく成人の分野にしたのは、より大人の言葉でコミュニケーションをとることによって、その人の経験をより深く知ってみたくなったのです。

あ、私いつも自分の進路を感覚で決めてますね(笑)アメリカ留学も就職先も。 そこは、天職だと思うくらい楽しくて、個別相談を受けることが特に楽しかったです。その人の問題を一緒に考える、なんとかするというのが面白くてほんとに夢中になってやったなと思います。

管理職になってからは事業所運営、職員さんの気持ちのメンテナンス、調整も面白いと思うようになりました。

支援の現場って、職員さんへの重圧がすごく高い。辛くても仕事なんだから目の前のことをやんなきゃいけない、自分の気持ちは後回し、自分に向き合わなきゃ・・・という環境の中で辛くなってしまう人も見ました。

誰かの生活を支援しながら、支援者が辛くなってつぶれるのは違うんじゃないかと思って、後輩には「あなたはそのままのあなたで働こう!無理はしない!辛くなったら休むように!失敗も全てOKとしよう!」とサポートしたんです。

その育成の仕方は賛否両論あったけど、職員が心地よく働くことで事業所の雰囲気が本当によくなったと思っています。今でもその後輩たちは事業所で働いてくれています。


また、精神疾患の地域で暮らしている方々をメインに支援していたので精神医療の現場で起きてしまう権利侵害も気になっていました。ある程度経験を積んで、仕事に余裕が出てきた時に、イタリアのトリエステで精神病院閉鎖のきっかけとなったフランコ・バザーリアの本を読んですごく感銘を受けたんです。

それから精神医療についても勉強する機会がたくさんあり、仕事仲間や、出入りしているピアグループと一緒に神奈川精神医療人権センターを立ち上げました。2020年5月から活動しています。

ほかにも、色々な活動に手を出していたら、いつの間にかクタクタになっていました。あるとき、 なんで自分こんなに疲れているんだろう?社会のためにたくさん活動して、自分は・・・?と思い始めて、もっと自分のことを大事にしよう。自分を優先して生活しよう。そんな風に思うようになりました。

そのためには、どんな進路があるだろう…?と考えている時に、フリーランスという働き方についても意識するようになりました。

自分を優先して生きていきたい


フリーで働くということよりも先に、退職を決めたんです。

退職を上司に伝えた当時は、人権センターで働くということしか決まっていませんでした。そこから数ヶ月、自分にとってのベストがわからなくて、書いて書いて書いて、自分の考えを整理しました。あれは、自分自身へのインテークの時期でしたね。

その当時に始めたSNSを通して、フリーランスソーシャルワーカーとして活動している人たちがいることを知って、とてもワクワクしました。仕事やお金がどうなるか心配で、悩みに悩みましたが、「自分がちゃんと心に決めればそのとおりになる」という信念に従って、フリーになろう!と決めたのが2021年4月です。

自分がちゃんと資源に繋がって活用し始めたのもこの頃です。キャリア相談を受ける、コーチングを受ける。新しい人たちに出会い、新しい感覚に触れる。そんな時期でした。

5月開業届を出しました。退職してから、時間ができたことに感動しました。今まで仕事一本だったのが余裕ができて、時間があるとこんなにも気持ちが穏やかなんだとビックリしました。
余裕があることで、冷静に物事を考えることができたんです。こんな余裕があったらもっといい支援ができただろうな、と思いました。

今は、新しい環境に余裕が出てきたので、自分で1本ビジネスを持ちたいと思っています。

「支援者が幸せでいること」をテーマに、研修などをやりたいです。ついついクライエントのために身を削ってしまう支援者たちですが、支援者が自分を大切にしていれば、それがクライエントや同僚のことも大切にできると思うのです。

そのあり方が地域や社会に広がるという、優しいソーシャルアクションを目指しています。

私はアメリカでの学びや、団体の立ち上げなどソーシャルアクションに参加していく中で、全ての活動や実践を行うのは個人なんだなと気づきました。
怒りや、こうあるべきという価値観の中で進んでいく集団の力はすごいけど、参加している個人が疲れて離脱したり解散したら意味がないんですよね。

ソーシャルアクションを起こす個人、その一人ひとりが健康で冷静であることがより良いソーシャルアクションに繋がっていくと思っています。だからこそ、個人を大切にしたサポートがしていきたいと考えています。

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濱田さんの活動のキッカケになったおすすめの本2冊

新しい自分に目覚める4つの質問/バイロン・ケイティ著
組織的にこうだから、とか何かのせいで苦しんでいた時期に、「全ての物事は自分が作り出している」という考え方を学んだ本です。 誰かのせいで苦しんでいると思えばそうだけど、ほんとに果たして誰かのせいで苦しいの?と自分に問いかけてみようという本です。自分の変化で世界の見方が変わるんだ、ということを実感しました。

精神科病院を捨てたイタリア、捨てない日本/大熊一夫著
バザーリアのことを始めて学んだ本です。そのあとから、バザーリア関連の本は、全部読みました。

フリーランスソーシャルワーカーのリレーインタビュー、3人目は産業ソーシャルワーク領域で活躍される中井さんです。


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