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人に見られたくないと思う気持ち

絵描きのお友だちの中には「自分の存在を世の中に知らしめたい」という動機で絵を描いている子がいまして、私は単純にすごいなぁ…と感心しています。私はどちらかというと、大切なものは大事に箱の中にしまっておいて、心を開けた人にだけそれをそっと見せることはあっても、自分一人で楽しみたい。誰にも私の世界を壊されたくない。という考えが強いので、そういう意欲的で社会貢献度の高い人を見ると素直に尊敬しますし、自分もそうなれたらいいのだろうかと考えることが多々あります。そういう人はそういう人で、決まって自分は欲まみれだとかそういう自分のことを卑下し始めるので(全ての人がそうなのかはわかりませんが)人というのは本当にないものねだりだなぁ、なんてことも考えます。最近は、そういう人のことも愛しいなぁ、頑張って生きているのだなぁ、と思えるようになりましたので、断じて否定的な気持ちで述べている発言ではないことを念押ししておきたいと思います。

まぁ、しかし私も「人に見られるのが嫌だ」なんて言ってるうちは自分の好きなことで社会貢献もできないですし、乗り越えなければならないなぁと考えていたところで、なぜそれを嫌だと感じてしまうのかと考えた時にやはり傷付きたくないからというか、例えば罵倒されたり批難されたりしたら落ち込むし…といったような理由でそう言っている訳で、作品の方はたくさんの人に見てもらいたくて生まれてきたのだろうし、自分に対する否定的な言葉を学びと考えられない自分の人間力の低さがそうさせていることも明白な訳で、このままではいけないという気持ちがあったからオススメされるがままにnoteを始めたのです。

ちなみに、あなたは伝えることが使命なんだから乗り越えなさい、と自分を護ってくれている上の次元の存在の方にも軽く怒られました(笑)

私は自分の描くものに魂を込めすぎなので、もう少し力をゆるめた方が良いのだというメッセージもいただきました。適当が一番適度なのだということです。確かに、描き込まれすぎたイラストレーションというのも見ていて楽しいですが、不必要な常法があまりにも多すぎると見ていて疲れてしまいます。これは、部屋に物が多すぎると疲れたり、入ってくる情報があまりにも多すぎると疲れたりすることと通じるのではないかと思います。適度が一番で、やはり人間ですから限界も寿命もありますし、その中でどれだけ楽しめるかが人間力でもあり、魅力であると思うのです。

人に見られたくないな…と考えているのは自分自身であり、人に見られたくないと思ってしまうという心理は自分自身が「見たくない」と思っている気持ちがあるからそう考えるのです。だったら、全てをさらけ出してしまってそんな自分をも「これでいいのだ」と肯定してしまうことができれば、今の悩みは悩みではなくなるのです。

さぁ、noteで見せている自分を肯定しましょう。私ってこんな部分もあったんだなぁ!と、新しい自分との出会いに感謝しましょう。

話はそれからです。

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