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今日はアニメ感想文

今日もちまちま制作中(奥の看板phillipsとmotel)↑


今日の話はまた立体ドローイングからは離れて、今ごろになって見た細田守監督の「未来のミライ」の感想。

終始、圧倒的に気になるのは、主人公(多分3〜4歳児)の言語能力がティーンネイジャー程度にして3〜4歳児のリアルを描いていくこと。

その圧倒的な違和感ゆえに、細田の真意がここにあるとフォーカスせざるを得ない。細田監督はここら辺がすごいなと思う。

どんな表現でも、前時代をひっくり返す”価値観の転倒”が必要なんだと思うが、細田は、”どうしてもファンタジー”というアニメ独特のジレンマを逆手に取る。


その手法は”正確なリアリティ”だと思う。「未来のミライ」でも、主人公の言語能力(他、真意を詰め込みたいがゆえにわざとファンタジー化した箇所)以外では極めてリアルに様々を描写している。その”正確なリアリティ”ゆえ、変な言い方だが、”漫画の中の漫画”が、翻って強いリアリティを持つような手法になっている。計算づくだろう。


例えば、主人公がタイムスリップして自分と同じ年頃の母親と遊ぶシーン。子供の無軌道ぶりが、まるで無重力の世界で起こることのように、ファンタジックに描かれたり。

こういうファンタジックなシーンは全てに細田からのメッセージが含まれている。そしてそのメッセージが結末まで連なり続ける。


かたや、そのファンタジーで起こる無軌道ぶりは、その後の正確なリアリズムとして、中和される。

このアクセントこそが細田の真骨頂のように思える。


要所以外をリアルを描写するからこそ、突然の要所=違和感(ファンタジー)に強いメッセージ性が浮かび上がる。


結局、単純に、細田は3〜4歳児の心情を描くために言語能力を現実以上に引き伸ばしたが、しかしまず、そのリアリズムはその他の描写のリアリズムが担保する。その上で、そのファンタジー描写の本質がリアルであるがゆえに、物語背全体が十分リアルに立ち上がってくるのだ。

そして、それよりももっと大事なリアリティは、その違和感ありまくりの言語能力によって表現される感情なりが、現実の3〜4歳児のそれだとちゃんと思えること。

言葉を駆使できれば、自分のよくわからない感情を言葉にするならこうだろうな、というリアリティがあること。

そのことのために、細田はあえて3〜4歳児に思春期レベルの言語能力を持たせたんだと思う。3〜4歳児の感情をリアル以上にリアルに表現するために。


この辺りは、宮崎駿のアニメにも通底していると思う。リアルをより鮮明に表現するためにファンタジーを使う、とでもいうか。

宮崎もその荒唐無稽さが批判されがちだが、それは間違っていると思う。宮崎の荒唐無稽さには意味がある。荒唐無稽であらねばリアルが表現できないところだけを飛び抜けたファンタジーで表現するのだ。この点が宮崎と細田の共通点じゃないだろうか。

そして、それがアニメーション(漫画)の本質なんだろう。と思う。




さて、話と全く関係ないながら、今日の立体ドローンイングの進捗↓

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