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時計台というか

時計台というか建築物としては、これは市役所なんでしょう。これを制作中。↓

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(映画「バックトゥザヒューチャー」より)

ゴシックと言って良いのかも分からないが、おごそか感だけは伝わってくる建物。明らかに現代建築とは違っていて、権威的なものと”古さ”みたいなものが繋がっていることを前意識的に踏襲する、まさに権威的建築物の、どこにでも見かけるお手本みたいで、こういうのを”古めかしさ”とでも言えば良いのか。アメリカという歴史の浅い郊外の街の公建築物にでも顕れてくるある意味普遍的古めかしさ。

建物のファサード部分に掲げられた大時計は、社会生活における時間を司るというある種の権威性を持って、建物全体のオーソリティに貢献しているようにも見える。

ゴシックだろうとロマネスクだろうと、元は宗教的建築物なのだから、日本で言えば寺社と同じような扱いなはずだが、欧米に戦争で敗れ、文化的にもリセットされている日本としては宗教観に歴史的な分断があって、常に自国の宗教を保っている欧米の感覚は完全には理解できない。とかく日本人の自分が思う以上に、いつだって欧米文化は奥底までキリスト教と強く結びついているようにみえる。

だがこの建築はファサード以外に宗教的なものを感じることはなく、むしろ近代民主主義を体現するような庶民性=味気なさみたいなものもある折衷建築。


権威的建築物といえば城や宮殿を思い浮かべるが、それら近代以前の建築物は見てすぐ分かるような豪華感とともに立地も市井とかけ離れている(丘の頂上にあったり)が、近代民主主義的世界になって、権威的建築物は役所となり、街に馴染み、装飾も控えめになり、権威の所在が城の時代と比べて不可視化しているよな、と日本でもアメリカでもどこに行っても思う。

物理的には不可視化されたが、しかし権威性そのものはなくなるものではなく、単に物事が全て複雑化し、内面化し、不可視化していっているイメージ。これとインターネットの発達などを併せて鑑みると、世界はやっぱり全て不可視化=非物質化するんじゃないだろうかという妄想をついはたらかせてしまう。


自分としては時計から随分と離れた生活が続いていたので、逆に時間に沿って制作を管理するの、やっぱり作業効率もアップして良いのだが、効率を考えること自体がすでに何者か(作業に対する対価)に支配された状態。大人の世界から完全に離脱するにはさらにもっと歳を重ねて老人になるしかないらしい。

老人になると子供にかえっていくというが、酷な言い方をすれば、それは時間と社会からの離脱を意味していて、社会的に不要な人間とされ、社会から疎外される世知辛い現実を言い表すものの一つにすぎないとも思うのだった。


今日の進捗↓

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