原稿連載1

H I N O K A W A


1・龍王山の日の出・倉町川


ひと足先に空はあかるく澄み渡っていましたが、檜の林はまだ真っくらで寒くて、吐く息も凍ります。
空気も凍って静かな山肌を掻き分けて、龍王山のお不動まで甲は駆け上がっていきました。
そこには大岩があって、里の人にとっては洪水からの守り神・八大龍王さんの化身なんですが、甲にとっては絶好の展望台で、尾根の一角に突き出たその突端にあがれば、ちょうど京の方角、どこまでも山並みが連なる多紀連山の山際から日の出が拝めるのでした。

おとといの朝、あたりの檜が伐り倒されて、なおさら見晴らしのよくなった龍王の大岩にあがると、東の山ぎわの空が澄んだ茜色に染まっています。やがて稜線の一点が黄金色に膨らむと、甲は目を閉じてその熱を顔じゅうで受けとめました。そして鼻の先でも頬でもなく上唇の尖った先端がいちばんに、蝋燭の火が灯るようにほのかに熱くなるのを感じました。

蝋燭の火は身体を巡り、甲はサルになって山を駆け降りました。足で木の幹をつかみ、づるを飛び移り、岩だらけの沢は一足飛びにとび越えて、あっというまに大塔ヶ滝の下に出ます。大塔ヶ滝より上に甲の暮らす集落がありました。急斜面だけの山肌にへばりついて小屋を建て、ろくろを回し、茶碗や仏具をつくって暮らす木地師の集落です。
けれど今は甲のほかに誰もいません。皆、いつものように十年して次の土地へ移っていきました。しばらくして里の人たちがその住居を取り壊していきましたが、甲はこっそりその廃墟の片隅に残っていたのでした。
甲は自分の建て直した小屋に戻ると、金槌・カスガイ・藤づる、それに棕櫚縄の入った筒袋を腰に巻き、大塔ヶ滝の下、倉町川をまたサルになって駆け降りていくのでした。

里の木こりはおととい、龍王不動の下の檜を伐り倒しました。小雪のちらつくなか、丸々太った檜が大岩を拝むように次々倒され、四メートルほどに切り揃えられ、次の日、それを木馬(きんま)曳きが倉町川へと曳きずり降ろしたのでした。倉町川に放り込まれた丸太は川をくだって山を降りるのです。
あたりは山の中、川といっても岩だらけの小さな渓流でしたが、伐り出した丸太を運ぶため、倉町川は整備されています。できるだけ岩はよけられ、土砂は大雨ごとに洗えられ、要所には胴木を埋めるなど工夫されています。そして場所場所で流れを堰き止めて水をじゅうぶん溜め込んでおくのです。それを決壊させて鉄砲水を作り出し、鉄砲水ごと丸太を次々押し流すのでした。たくさんの水を腹に溜め込んだ山がいつでも湧水を噴き出していましたからできたことかもしれません。けれどそのぶん夏は洪水も多く、それで里の人も困って龍王さまに祈るのです。
倉町川の沢を丸太が続々流されて、山を抜け、里にちょっと入ったあたり、あとはまっすぐ佐治川に合流するそのあたりに最後の堰があり、その堰に伐り出された檜は流れ着いていました。

甲は山からこの堰までほとんど一気に駆け降りてきました。早朝の、小鳥の声が騒がしく響きだす時間です。
甲が筏堰に到着すると、色が白くてひょろっこい乙が貧相なカメみたいに肩に首をすぼめて岸辺の焚火にあたっています。その乙越しに若いダイサギが朝陽を浴びて、曲芸のように左右に大きく揺れあそびながら、本流・佐治川の気嵐のなかに消えていくのが見えました。
甲が来ると、乙は慌てて急に胸を張り、気嵐のけむる川岸へと、威勢よく大股きって向かいます。山を駆け降りて上気している甲は火にあたるまでもなく乙について堰に向かうと、二人は筏を組み始めました。

陽が出たばかりの真冬の筏堰の水は凍っています。さっきまで火にあたっていたくせに寒そうに震えながら、乙が氷をトビで頼りなく割りながら丸太を二本手繰り寄せると、甲はばりばり割れる氷の川に浸かりながら丸太を抱えこみ、丸太についた氷を掻きのけながら藤づるを巻きつけました。二本の両端を縛ると岸につなぎ、乙がそのうえにのって次の一本を手繰り寄せます。長さ四メートルほどの丸太を四本ずつスエを川下にそろえてづるで巻き、さらにコウガイ(木の棒)をカン(U字金具)で打ち込んで固定して一枚の筏をこしらえます。これを六枚、藤づるで連結していきました。

筏も舟も川をくだるのは秋の彼岸から夏の手前の八十八夜まで。夏のような増水・洪水はない代わりに川は寒さとのたたかいです。どんなに凍る日でも川に浸かって、それでも身体も凍らせず筏を組めるのは上気する己の身ひとつ、身体の放熱だけが頼りですから、筏のりは米を一日に一升喰いました。筏に乗れば寒風は身を斬り、飛沫がかかって褞袍(どてら)が凍てつきます。けれどどんなに辛くても投げ出すわけにもいかず、筏頭に怒鳴られ棹で打たれながら見習いは仕事を覚えました。筏のりは厳しく危険な仕事でしたが身入りがよく、人気のある仕事だったのです。

その点、乙はよく筏のりになれたものです。乙は里一番の庄屋の長男でしたが、とんだうつけで腕力もからっきしの里の笑われものでした。いくら人気があるからと言って、庄屋のあととりが筏のりになろうなどと、また周りには笑われるわ親には勘当されるわで、とうとう住む家もなくしたのですが、仲の良い甲の小屋に転がり込んで、二人して筏のりの修行を始めたのでした。そのうち勘当は解かれて乙は家に戻ることができましたが、二人はその後も一緒に修行を続けました。

修行はもちろん厳しくて、身体のとても強かった甲でさえ辛いものでしたが、乙はそれでもやめるとだけは言いませんでした。それは乙があまりにうつけで、そう言うだけの知恵がなかったというだけなのですが、女のように悲鳴を上げながら、ずぶ濡れに落ちて筏頭に引き上げられながら、甲と三年修行に耐えたのでした。普通なら一人前になる頃ですが、乙はそうもいきません。筏頭も困ってしまいましたが、人一倍できた甲が、自分が一緒に筏にのると言うので、まあそう言うなら好きにすればいい、となって二人はいつでも一緒に川をくだるようになったのでした。

甲が筏を次々飛び移って前後を繋いでいるあいだ、乙は寒さに堪えきれず焚火にあたって甲まかせのズルはんぶん、彼なりに出航の鋭気を養っています。「なんみょーげーきょーほーれんなんみょーげーきょーほーれん」と唱えながら朝陽に手を合わせると、四度柏手を響かせて鼻の下に垂らした鼻水を光らせながら四メートルもの長い棹を握り、先頭の筏・ハナにのりこみました。筏をつなぎ終えた甲は、二枚目のワキにのって櫂と棹を筏にくくりつけると、岸にもやっていた棕櫚縄を解き、ワキの中央に取り付けた舵取り棒・ネジ木を持って乙のかけ声を待ちます。

乙は裏返った声を張りあげると、棹を突いて筏堰を切りました。筏は鉄砲水といっしょに堰を溢れでると、甲はネジ木を強く水中にさし込んで筏が沈まぬよう、岩にぶつからぬよう、冷たい飛沫をかぶりながら舵を取ります。同時に短い声を発して、乙に棹をさすタイミングを伝えます。乙は言われるとおり、必死になって棹をさしました。
いきおいよく筏が鉄砲水ごと佐治川に合流すると景色は一変、空は広く高く、気嵐けむる川面に朝陽が穏やかに煌めいていました。


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