脳みそのモード
今日は制作しない日にしたので、文章だけになります。
作品制作の作業内容をざっくり仕分けると、
制作
言語化
インプット
くらいの感じになる。
制作やコミッションがひと段落ついたら、インプット作業でリセットするという自然なローテーションがある。
なにかしら思いつくと、それを裏付けするために調べたり、勉強したりというインプットもあるが、そもそもその思いつきは、特に目的もない散歩や旅や読書や人だったりという自由なインプットによる刺激であるので、全く何もしない時間というのも制作作業の大事な工程ということになる。
しかし、時間の掛かる作品を制作などすると、つい制作に時間を使いがちになり、他の作業がおざなりになって、調子を崩すというのはある。心に余裕がなくなって、これはまずい。無理矢理にでもローテーションを作らないと行き詰まってしまう。
そこでひとまず、時間のかかる作品は、一日の作業時間を区切って、一日ごとに終わりがある作業方法を今は試したり。
このマガジンで制作している立体ドローイングの制作方法がこの区切り式。
他の作業も同時進行できるので、今は並列的に複数の作業を一日に組み入れるようになっている。
話は変わるが、このマガジンの投稿当初では、時間を掛けたテキストを投稿していたが、言語化と読書、調べ物モードに重心がある状態だった。
どうしても重心は偏りがあって、考えてみれば、モードによって使う脳みそも違うのかもしれない。
使う脳みそが違うと言えば、同じ言語化モードでも、ツールやフォーマットによって、できる文章も違ってくる。使う脳みそが少し違ってくるんだろうか。
今の自分は、このnoteの投稿をメインに考えていて、noteの投稿用フォーマットで文章を書いている。
自分の場合、このフォーマットが重要なポイントで、投稿プレビューで確認しながら文章を整えていく。
なぜだか、実際に目にするカタチで確認しないと文章がきちんと推敲できないのだ。グラフィカルに文章を見ている面があるのかもしれない。
Twitterを頭の整理やアイデアメモに使ったりもするが、これは自分には合ってないなあと思ったりする。ツール的に即興的な要素が強いと思う。
閃いたことをささっと記しておこうとするのに、その前提を説明しないと、となって、その説明をしているうちに閃いたことの焦点がぼやけてしまったりする。
それでもツイートしてしまうのはやっぱり閃いたテンションで人に話したくなるんだろう。
一方、PCで文章を作成すると、推敲していく過程がパズルみたいで、グラフィカルな脳みそかもしれない自分にとっては都合が良いようで楽しい。
コピペ的に切った貼ったして整えたり、作り込んでいく作業が好きなのだ。
手書きノート(メモ)は、文筆作業ではなく、頭の整理、吐き出しに使う。
吐き出して整理してすっきりする、という衝動的な表現欲求。
この衝動を整理することから、制作は始まるのかもしれない。
そういう意味では、このノートモードの時が一番クリエイティブな脳みその時なのかもしれない。
インプットされた刺激が衝動を誘発し、書き散らした脳みそから仕事につなげる。
インプットとアウトプットを呼吸のように繰り返す。
この循環は偏りなくスムーズなのがいい。ローテーション。
さて、ローテーション。散歩にでも行ってこよう。